じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
冬型の気圧配置の中で銀杏の落葉がさかん。日に日に景色が変わっていく。 |
【思ったこと】 _01205(火)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(37)学生による授業評価をどう実施するか 最近、学生による授業評価を実施する大学が増えてきた。授業の進め方について学生にアンケートをとる教育熱心な教員は昔から居たが、最近のは全く別物。大学として組織的に集計し公表するという点に大きな特徴がある。 こうした評価には少なくとも3つの目的が考えられる。
これらの目的の違いによって、評価の内容、方法、実施形態も大きく変わってくる。 一般に評価というと数量的評価ばかりが先行してしまう。数量的評価というのは、一口で言えば、評価対象を一次元上のスケールの上の点に対応させる作業であるとも言える。例えば板書が適切かどうかを「5:適切」、「4:やや適切」、「3:どちらとも言えない」、「2:やや不適切」、「1:不適切」といった5段階で評定させるのがこのやり方である。この5段階は、本来は順序のみが意味をなすものであるが(=順序尺度)、統計的意味をあまり考えずに便宜上間隔尺度として扱って、平均値として公表される場合もある。 しかし、主たる目的が3番目、すなわち欠陥授業の解消にあるとするならば、むしろ質的な評価を重視したほうがよい。例えば、私語が多くて教員の話が聞き取れないという事実は、質的な問題であって根絶させなければ意味がない。アンケートで「授業中の私語は迷惑か」を「5:非常に迷惑」、「4:やや迷惑」、「3:どちらとも言えない」、「2:あまり迷惑ではない」、「1:全く迷惑でない」というように5段階で評価させ、その「平均値」が4.8から3.9に下がったからといって改善に成功したとは到底言い難い。この場合には、「私語があるか」という質的な質問に対して、「No」という回答比率が100%になるように努力しなければ意味が無いのである。(念のため言っておくが、私が岡大で行っている授業に関しては私語は皆無。某短大に非常勤講師で出講していた時はこれが大問題であった)。 学生全員に義務的に授業評価をさせるか、自由意志に任せるか、あるいは別の方法をとるかということも目的によって異なってくるだろう。
このほか、学生の授業評価を実施するにあたっては、学生自身がその授業にどう関わったのか、例えばちゃんと出席したのか、予習復習をどれだけやったのか、ノートをとったのかといったことも同時に聞き取ることが必要。よりよい授業は教員と学生の相互の働きかけを通じて実現されるべきものであって、単なるお客様気分で商品を評価するようなものとは性質が異なる点をはっきりさせておくべきであろう。 |
【ちょっと思ったこと】
おかやま内閣? 第二次森内閣が発足したという。ちまたでは「タイタニック内閣」、「大惨事内閣」、「かげろう内閣」などと評されているようだが、岡山県選出の議員が3人も入閣したということで「おかやま内閣」と言えないことも無い。明治維新の時の「薩長土肥」に代わって、中国地方・北関東選出がかなりの比率を占めているようにも思える。 一億円を拾得した人 一億円拾得で話題を集めた大貫久男さんが今月2日、心筋梗塞で亡くなったという。62歳の若さ。生前には寄付を求める執拗な電話、脅迫などが後を絶たなかったということで、かなりのストレスがあったものと拝察される。それをネタに騒ぎ立てた一部のマスコミにも責任があるように思うが、とにかく一般論として、拾得物を正直に届け、合法的な手続によりそれを受け取った善良な市民が平穏な生活を送れないようでは困ったことだ。そういう人に対して寄付を執拗に求めるなどというのはとんでもないお節介であり偽善である。 |