じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ハナミズキの赤い実。右の写真は一カ月前の11/1にご紹介した写真。紅葉が進み、冬の訪れが感じられる。 [今日の写真]



12月4日(月)

【思ったこと】
_01204(月)[一般]ボランティア団体への寄付をうたった自販機の功罪

 先日、市内某所の公共的な場所で、珍しい自販機を目撃した。その自販機から缶飲料を購入すると、売り上げの一部がボランティア団体に自動的に寄付されるというものだ。自販機兼用の自動募金機と言ってもよいだろう。

 その後、この方面に詳しい方から募金の仕組みについて教えてもらった。それによれば、この募金型自販機は、ボランティア団体が直接設置しているものではなく、あくまで自販機業者が自主的に設置し、売り上げの一部(3〜4%程度)を寄付しているらしいことが分かった。これまでに得た知識だけでは、それが自販機業者の純然たる社会貢献活動なのか、それとも募金を売り物にした営利活動なのか、今ひとつはっきりしないところがある。

 大学などを含めて公共的な施設においては、設置される自販機の台数には限りがある。業者の選定は見積もりなどを経て公正に決定されているものと思うが、いったん業者が決まったあとでは、なかなか新参業者が入る余地はない。そんなとき、ボランティア活動支援の名目で施設管理者に働きかければ、別枠で新規設置が認められる可能性がある。こんな深読みも可能かと思う。

 ところで、こういう自販機が置かれていた時、利用者は果たして募金を意識しながら飲料を購入するのだろうか。
  • 仮にその場所に自販機が一台しか置かれていなければ、募金は半ば強制になってしまう。
  • 複数の自販機が置かれていても、飲みたい缶飲料がその自販機以外で購入できなければ、上記と同じ強制状態になる。
  • 少なくとも、売り上げの何%が募金に充てられるのか、自販機業者の儲けとなる部分があるのかどうかは、利用者に明示する必要がある。
といった点を考慮する必要がある。

 そもそも募金活動というものは、募金者の自発性が保障されてこそ意味があるものだ。毎年、町内会徴収と一緒に、赤十字とか歳末助け合い等々の募金を定額で求められることがあるが、本来は各戸が自主的に決めた金額を別組織が集めるべきものかと思う。もちろん、町内会の回覧板には「この募金は強制ではありません」といった断り書きがあるけれども、たいがいの人は、募金拒否で目立つのを恐れて事なかれ主義的にお金を払っているようにも見受けられる。あるいは、戸別訪問や街角での募金を求められるのが煩わしいので、「うちは町内会でちゃんと払っているから」というアリバイづくりと考えている人もいるかもしれない。

 もし自販機利用者に募金を求めるのであれば、コイン投入口のすぐ横に、募金箱を設置するのが筋というものだろう。またそういう設置も、自主的な運動の盛り上がりの反映として行われるべきであって、自販機業者と施設管理者のトップ交渉で決めるような性質のものではない。

 もうひとつ言わせて貰えば、我々は一台の自販機を設置することによって消費される電気、そこで発生する空き缶やペットボトルの処理などが環境にどれだけの負荷をかけているのかをもっと認識すべきだと思う。例えば大学構内の自販機台数を50台から25台に減らし、どうしても欲しいものが無い時は多少不便でも歩いて買いに行くことのほうが、募金型自販機を増設することよりも遙かに意味があるように思う。
【ちょっと思ったこと】

女性専用車両
 12/5朝のNHKニュースによれば、東京の京王線で、女性のための専用車両を深夜に試験的に運用することになったとか。利用客からのアンケートに基づき、酔っぱらいや痴漢などから女性を守るための方策というが、反対の声も結構あるという。
  • 酔っぱらいの行為は、男性でも同じように不快。そもそもそういう乗客を乗せること自体が問題。
  • 痴漢は明らかな犯罪。専用車両を設けなければ防止できないようでは情けない。
  • 同性どうし(女性→女性、あるいは男性→男性)の痴漢は防止できない。
  • 女性専用車両以外が結果的に男性専用車両になってしまう恐れがある。、
女性専用で思い出すのはイランのバスだ。ここでは一台のバスが前後で仕切られ、女性(とその子供)は後部に乗るきまりになっていた。