じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
パステル調の楷の木。南側からの写真を何度か紹介してきたが、ここにあるのは北側から撮ったもの。後ろ側の銀杏の黄色から手前の薄緑色の葉に至るまでパステル調の色彩を織りなしている。 |
【思ったこと】 _01110(金)[一般]「なぜ選挙をしなければならないのか」と子どもに聞かれたら何と答えますか? 米国の大統領選挙の当選決定は17日以降に持ち越しになったという。勝敗のカギを握るフロリダ州ではブッシュ候補が当初は1700票あまりリードしたと伝えられたが、その後の再集計では327票差に縮まっているとか。 この票差は絶対数で考えても「日記猿人」の月間得票数なみ。比率で考えると想像できないほどの僅差となる。かりに票差を1000票と考えてフロリダの投票総数580万票に対する比率を考えると0.017%の差となる。これは標高3776mの富士山の頂上にある65cmほどの岩石を麓から観察しているようなもの。一部地域での集計ミスや海外票の動向によって簡単にひっくり返るほどの微妙な値であることは間違いない。 さて、このことでふと思ったのだが、そもそも選挙というのは何故やらなければならないのか。もし子どもに理由を聞かれたらどう答えればよいのだろうか。 一般に想定される解答は、 ●民主主義なんだから当たり前 ●みんなで決めなければ誰も決めてくれる人がいないから というものだろうが、これは選挙の積極的な意義をちっとも述べていない。 ためしに妻と娘に聞いてみたところでは ●(娘)みんなでまちを守るため ●(妻)よい国を作るため という答えが返ってきた。これらはまことに教科書的な模範解答ではあるが、そういう理想を実現するためになぜ選挙という方法が妥当であるのかについて何も理由を述べていない。例えば、博愛主義者で賢い王様、あるいは学術会議で推薦た学者が政治を行う場合に比べて何がメリットになるのかについて何も述べられていない。 このほか、 ●選挙をすれば、独裁や政治腐敗を予防できるため という説明も可能だが、これも、もしそれだけの意義しかないならば、くじ引きもしくはローテーションによる選出、腐敗を防止するための監視機構の整備で事足りるはずだ。 では、結局、なぜ選挙をしなければならないのだろうか。 ●対立を合意に変えるための最も合理的で平和的な道具 というのが私の解答だ。じつはこのあたりの議論は「民主主義について考える」という連載の中で何度かふれたことがある。その時の言葉を使えば選挙は「人類が数々の犠牲を教訓として知恵をしぼって作り上げた最高の「暴動回避装置」とも言えるし、使い方を誤れば単なる文句を言わせない道具にもなってしまう。いずれにせよ、これらは、選挙の結果を全員が受け入れるという暗黙の前提のもとでうまく機能するもの、そういう意味では、投票方法の不備とか開票ミス、不正などに関心が向けられてしまうような選挙結果はもはや意味をなさない。 米国の文化のことには全く素人の私であるが、あのような多民族国家では、
何はともあれ、対立を合意に変えるための道具がうまく機能せず、米国人が最も大切とする「公正さ」のレベルで混乱が起こっているようでは、もはや末期的症状と言わざるを得ない。世紀末にこんな「ハプニング」があるとは思ってもみなかった。こうした混乱は、ヘタをすれば世界的な株価大暴落、大恐慌にもつながりかねない。そして、混乱が長引いた時に決まって持ち上がってくるのが「カリスマ」願望、独裁者の登場というシナリオだ。また、国内の混乱を団結に結びつける一番よい方策は、国外に敵を作って戦うことだ。日本などはまさにその標的になりやすいところがある。あまり悲観的な見方はとりたくないけれど、来週以降の動きが非常に気になるところである。 |
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