じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] カラクリ湖のアザミ。この近辺のアザミにしては珍しく、あまり棘が無かった。



10月9日(月)

【ちょっと思ったこと】

Windows meその後

 meを使い始めて2日目の感想。私の認識に誤りなどありましたが掲示板にてご指摘いただければ幸いです。
  • 全般的に、Win98と比べてあまり違いが感じられない。
  • 私の使っているシャープのノートパソコンの場合、Win98では、Zipディスク(パラレル接続)を繋ぐとフロッピーディスクの読み書きができないというトラブルが多発していたが、meでは今のところ問題なし。ということは、Iomegaのツールのバグではなくて、OS側のバグだったのだろうか。
  • Nortonの「Zip+フロッピーディスク」によるレスキューは、再起動した時に「...ファイルが無し」というエラーメッセージが多発して作動せず。
  • MS-DOSプロントの出し方が分からず慌てる。おやっ?、MS-DOSはアクセサリになってしまったのか??
  • ハードディスクの圧縮ができない? どっちみちするつもりはないのだが......
  • 掲示板で133MHzのパソコンにインストールする方法(CPUの150MHzチェックを回避する)方法を教えてもらった
    ・DOS もしくは Windows9x を起動する。
    ・C:\>x:\setup /nm と入力。(xはCD-ROMのドライブレターです)
    ちょっと試してみたところ、おかげさまでこれによりインストール可能であることは確認できたが、再起動の段階で凍ってしまって立ち上がらなくなってしまった。念のため作っておいて起動ディスクからも立ち上がらない。この場合、そうすればよいのでせう。


積、和どちらか一方だけと、相手の反応から2つの数を当てる問題

 イカサマな日々さんが10/5に出題された問題を息子と一緒に考えてみたが、未だ解決せず。Bさんが「そういうと思った....」と発言したのは、2つの数の和が素数の数の和としては決して表されないという意味(素数の数の和として表された場合、Aさんが教えられる積が素数の積となる場合があり得るので「そういうと思った」とは断言できないから)であることは分かったのだが、素数の和にならない2〜100までの数はいっぱいある。Aさんがそのあとでなぜ「わかったぞ」と結論できたのか考えてみたが眠くなってきて断念。余談だが、これに似た問題として、例えば3つの数の積または和だけが個別に教えられ、相手の反応から3つの数を当てるなんていう問題もありうるのだろうか。
【思ったこと】
_01009(月)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(32)外国から何を学ぶか(3)TA制度/大学教育改革の実行原理

 6日の日記の続き。本日は、4番目の演題:「米国の大学のTA制度とTA研修システムについて」について感想を述べたいと思う。

 話題提供をされた宮尾先生は、神戸大大学院をご卒業のあとハーバード大学大学院に入学され、Ph.Dを取得された。その時のTAの御体験が今回の話題の中心となっていた。

 米国大学院に留学している方のWeb日記にも書かれていることがあるように、米国のTAは、宿題や中間、期末試験の採点補助のほか、補習授業(section)を担当するという点で日本の一般的なTAの業務とは大きく異なっているようだ。補習を担当するためには当然、教授の講義にも出席しなければならない。そして、講義のポイントや難しそうな点をチェックし、プリゼンテーションを工夫する。補習授業では次々と質問が出てくるのでそれにも明解に答えなければならない。

 さらに充実しているのは、TAのためのハンドブック、研修専門のセンターがあり、模擬授業を行ったり、その様子をビデオでチェックしたりする。こうした体験を通じて、TAは分かりやすい授業とはどういうものかを体得する。大学教員養成の役割を果たしているとも言える。

 日本の大部分の大学では、TAはもっぱら採点補助や授業のアシストに使われているだけで補習授業担当が制度化されていない。研修センターが無いことも大きな問題であると指摘された。

 他の講演でも指摘されていたが、外国の制度を日本に導入する時には、しばしば、形だけの骨抜き導入になってしまう。TAの場合も、
  • TAのための研修を行っていない
  • 時間給で一律平等にばらまいている
など、問題が多い。定員削減で助手のポストが減らされ、助手の雑用の肩代わりをさせられているのが現状かもしれない。

 ところで、アメリカの大学と言えどもすべての大学に大学院があるわけではない。TAの居ない大学ではどうやって補習を行っているのだろうか。全体討論の中で真っ先にこの点を質問してみたが、日本より学生あたりの教員数が多いのだろうか。学部だけの大学では教員が補習を担当している場合もあるとのお答えだった。

 このほか、全体討論の中で、教育活動と研究活動のバランス(こちらの連載の、有馬先生への質問参照)についても質問してみたところ、大学教員には
  • 研究を一生懸命する。
  • 教育熱心。
  • 学会活動への貢献。
  • 大学への貢献。
  • 地域への貢献。
といったパターンがあり、助教授まではこのうちのどれか1つでも該当していればpromoteしてもよいが、そこから上は業績、実績をちゃんと示してもらうことが必要という回答をいただいた。

 以上、3回にわたり、研究集会に参加して学んだこと、考えたことを簡単にまとめてみたが、とにかく、外国の制度を導入する場合も、改革を行う場合も、日本の実状をきめ細かく調べた上で、統一的な実行原理に基づいて推進していくことが必要かと思う。 最近私が大学教育改革に関して書いた文章を以下に引用しておきたい。
 これまでの大学教育改革は、(1)文部省あるいは関連審議会の答申の具体化、(2)教育現場からの体験の集積、(3)外国とりわけ米国の教育システムの参照、といった多方面からの提案を集約し合意を形成することにより行われてきた。しかしその合意は、学内教員の個々の成功あるいは失敗体験に依るところが大きかった。すなわち具体的な提案が出されるたびに、それが自己の教育経験や学生時代の体験に照らし、有効であると判断できれば賛成、効果なしあるいは有害であると判断された場合には反対を表明する。そして、それらの集約に基づいて、合意の形成された部分から先に改革が推進されることになる。

 もちろん、すべての検討課題が、経験的知識の一致に基づいて合意されていくのであれば問題は無い。しかし中には、分野の違いが異なる経験をもたらし、その個々の経験の一般化にとらわれるあまりに主張が相反する方向に分かれる場合もある。また、検討される内容がいまだかつて導入されたことのない新しい仕組みを含むものである場合には、実践経験は活かされず、時として、提案の直感的分かりやすさや一般常識化した固定観念にとらわれたり、逆にポピュリズムに流されたり、ちょっとしたキャッチフレーズあるいはレトリックに引きずられて可否が決せられる可能性も否定できない。

 このような混乱は大学や学部の教育理念がしっかりと定められていてもなお起こりうるものである。なぜなら、目標に到達する手段は通常何通りもあってしかるべきであり、どの道が有効かという議論は、経験科学の成果を取り入れない限り不可能であるからだ。

 本稿は、行動分析の基本原理に照らしながら、いま全国の大学で提案されている種々の改革の中からいくつかの話題を選び*1、それぞれがどういう効果をもたらすものであるのかを統一的に論じることを目的とする。もちろんこれ以外の視点があってもよい。重要なことは、目標理念だけでは不十分であるということ。達成するための種々の施策を検討するにあたって、施策の有効性を議論するための一貫した「実行原理」の必要性を認識しそれに基づいて合意をはかることである。
【スクラップブック】