じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


9月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] カシュガルで見た面白い看板(その1)。ホラー館のようにも見えるが....正解は、この写真をクリックしてください。看板の中に英語で正解が書かれています。なお、帰国後に気づいたのだが、看板中央上部からはロバのしっぽか鳥の足のようなものがつり下げられていた。何かの厄よけだろうか。



9月13日(水)

【思ったこと】
_00913(水)[一般]「無視されること」と「適当にあしらわれること」

 8月14日、大分県野津町で一家6人が高校1年の少年(15)に殺傷されてから1カ月が経過した。この日、私はパミール横断旅行からちょうど戻ったところで、京成スカイライナーの車内のテロップでこの事件の一報を知った。

 当初、この事件は、少年に覗きの疑いがかけられ、以前親しくしていた被害者一家から無視されるようになったことに腹を立てたためであろうと報道されていた。それを聞いた時、「無視されるようになったことぐらいで皆殺しをたくらむほと腹をたてるものだろうか?」とどうしても信じることができなかった。

 しかしその後の報道では、じつは無視されたためではなく、下着泥棒の発覚を恐れて、口封じのために殺傷に及んだものである可能性が高まり、9月4日、少年は家裁に送致された。その後、大分家裁は添人側が求めていた精神鑑定の実施を決め、少年は12月5日までの約3ヶ月間の予定で鑑定留置されることになったという。

 事件についてはこれ以上の知識は何も無い。今回は、事件から完全に離れて、当初私が疑問に思った「無視されるようになったことぐらいで皆殺しをたくらむほと腹をたてるものだろうか?」という問題について少し考えてみたいと思う。

 さて、ひとくちに、「無視される」と言っても、3つの文脈により行動は変わってくると思う。それは
  1. 何の関わりもない状況で無視された場合。
  2. 過去に良好な関係が継続いたが、その後何らかの事情により相手にされなくなってしまった場合。
  3. 自分から相手に何らかの働きかけを行ったが、相手がそれを無視した場合。

 このうち一番目では、通常、何の情動的変化も起きない。例えば混雑した駅の構内ですれ違う人はみな自分を無視するが、それをもって腹を立てることはあるまい。

 二番目は心理学で「消去」と呼ばれる現象に相当する。これは、
  • 行動→結果(=相手になってくれる)
  • 行動→何も無し(=無視される)
という2段階から構成されるものであり、最終的には行動は減少していく。但し、2番目に移行した直後には一時的に行動が爆発的に増えることがあり、これはバーストと呼ばれる。

 バーストには「そう簡単にあきらめるな、もう少し頑張ってみろ」という適応的価値もあるが、恋愛関係の場合には、相手をもう一度呼び戻そうと、ストーカー的な行為に走る場合もある。もっともそれゆえに相手を憎むことはまずあるまい。あるとしたら、ライバルに恋人を奪われた場合であろう。

 三番目は、自分が好意を示したにもかかわらず相手が何も反応しなかった時に「ムカッ」とくるやつだ。例えば狭い道路で、対向車に道を譲ったにもかかわらず相手が当然のような顔で通り過ぎていくと「ムカッ」とすることがある。すれ違う際にこちらが挨拶したのに無視された場合、年賀状を出したのに何の返事も来ない場合などもこれにあたる。

 三番目のタイプの無視は、ネット上ではおこりがちである。あるサイトの開設者に誠意をこめて長文の手紙を送ったのに返事が来ない、それをもって開設者は冷たい人間だなどと反応してしまう人がいる。しかし、私は、そういう反応をするのは手紙を書く側の自分勝手だと思う。開設者はそのサイトを日々更新するだけで時間的に精一杯なのかもしれない。「ご意見をよろしく」と記されているならともかく、ただアドレスだけを見つけて手紙を書いても、相手にそれに応対できる時間があるのかどうかは保障されない。人気サイトであれば一日100通ものメイルが届く場合だってあるかもしれない。手紙を出す読者側から見れば一対一の関係であっても、受け取る側は「1対100」になっているかもしれないのだ。

 「無視」の弊害を避け、なるべく相手を刺激せずに関わりを外していく方法として「適当にあしらう」というのがある。上記のメイルの場合であれば、無視をするかわりに「ご意見をどうもありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。」という当たり障りの無いメイルをあらかじめ用意しておいて機械的に応答するというものだ。

 「適当にあしらう」というのは日常場面でもごく当たり前に見られるものだ。ある意味ではすべての人間関係はお互いを適当にあしらっているとも言える。ただ、関係を一定レベルに保つためにあしらうのと、断絶を望みつつ、相手を刺激しないためにあしらうのとでは、ずいぶんと意味が異なってくる。

 本来関わりを持ちたくないのに「適当にあしらう」というのはずいぶん不誠実な気がする。しかし、無視されるとすぐにカッとなるような人が、そうやって適当にあしらわれる場合にはそれに気づかず、好意を示してくれていると思いこんでしまうのならそれも1つの方便かもしれない。私個人は「あしらう」よりはきっぱり断ることを好むし、「あしらわれている」と感じた時にはさっさと自分から断ち切ってしまうタイプではあるけれど。

 ランダムハウス英語辞典で「あしらう」を調べてみたところでは
Whenever she asked for anything he'd meet her halfway.
という用例が一件あっただけだった。曖昧な態度を好まない英米人では「あしらう」頻度は日本より少ないのだろうか。また、無視や拒否に対する「ムカッ」もそれだけ少ないのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】
  • 高級車盗難防止の決め手とされていたイモビライザー設置に盲点あり。まず車後部のドアからシリンダーを抜き取り合い鍵を作成、ついで助手席のドアを開け、IDを管理するコンピュータをそっくり入れ替える手口(9/14の民放11チャンネルより)。