じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
カラクリ湖手前のスパシ峠4000mに生えていた植物。こちらのアルバムにも同一地点からのムスターグ・アタの写真あり 。 |
【思ったこと】 _00911(月)[一般]ベンチャーブーム 9/10の朝日新聞にベンチャービジネスを紹介する記事があった。取り上げられたのは、プロ野球のスコアをリアルタイムで発信するアソボウズ、デジカメのプリントサービスを手がけるデジプリ、北大医学部教授らがベンチャー企業役員の兼業を認められてスタートさせた「ジェネティックラボ」。こうしたベンチャーブームの背景として、米倉誠一郎・一橋大教授は、インターネットに代表されるIT技術の登場と、資金の調達しやすいマザーズやナスダック・ジャパンなどの新市場開設を挙げている。しかし米倉氏は、ブームを可能にした技術および経済的背景を指摘しただけで、なぜそれに参画する行動が増えてきたのかということまでは説明していない。おそらくそこには、スキナーが 物を作り上げるそれぞれの段階で得られていた、かつての職人たちの喜びは、産業革命によって失われてしまった。細分化されてしまった作業をやり終えた時に与えられるものは、今や賃金だけになってしまった[長谷川によるかなりの意訳、スキナー, 1990, 行動分析学研究、5, p.102. 関連記事がカシュガルの旅行記にあり。]と評した社会的背景があるのではないかと思う。大企業や官公庁での労働は、分業化が進むことによって人工的に付加された(contrived)好子だけで強化されるようになり、作ること自体の喜びから疎外される。そこからの脱出を目指そうという行動が、米倉氏の指摘されたような背景の中で強化されやすくなってきたと考えるべきではないだろうか。 スキナーに暗合するような指摘は、内山節氏の『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(1998年、p.142-143、岩波書店、ISBN4-00-023328-9)にも見られる。 二十世紀の欧米の企業労働は、雇われて新しい生産は販売のシステムをつくる人々と、その時間だけ働けばよい人々に、働く者だちを分裂させていったのである。あえて次のような表現をとれば、前者は「仕事をする」ことを期待されて雇われた人々であり、後者は時間分だけの労働をするように求められた人々であった。おそらく、時間分だけの労働をするように求められることへの失望が、ベンチャーへの心をかき立てていったのであろう。 とはいえ、ベンチャービジネスを成功させるための苦労・努力は並大抵のものではなかろう。同じような独創性をもち同じ程度に努力しても、運に左右されることさえある。業を起こしても、後発に追い越されたり需要が変化したりすることによって一時的に活況に終わってしまうリスクも大きい。新聞やテレビでは、成功例ばかりでなく、中途で失敗してしまった人たちの事例やその後の生活ぶりなども紹介してほしいものだ。 ベンチャービジネスはその性格上、農業などの一次産業や、多額の設備投資を必要とするような鉱工業生産には馴染まない。大部分は、大企業が行っている事業の間隙を縫うような、小回りのきくサービス業に限られてしまうように思える。悪く言えば根無し草であり、ちょっとした景気の変化や社会情勢の変化にかき回されやすいところがある。経済には全くの素人の勝手な判断になってしまうが、よほどの高度専門技術を売り出すならともかく、アイデア勝負だけで経営を維持していくのは相当に難しいのではないだろうか。 |
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