じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 中パ国境のクンジェラブ峠で見た白い花。。こちらのアルバムにも同一の写真をアップしてあるが、今回の旅行の最高地点に咲いていた花ということでここに再掲した。



9月10日(日)

旅行中にちょっと思ったこと(5)】

左から赤、黄、青と並ぶ交通信号に感激したわたし
 今回のパミール横断旅行では、山の景色とは別に、中国に行ったらぜひ見たいと思っていたものがあった。それは左から赤、黄、青と並ぶ横型の交通信号である。

 周知のように日本国内、豪雪地帯(上から赤、黄、青の縦型)を除く大部分の地域では、自動車用の交通信号は左から青、黄、赤と並ぶ横型になっている。赤が右側にあるのは、信号機の大部分が道路端に設置されているため、見誤るといちばん危険な赤を道路の中央寄りに配置させたためであると聞いている(出典は不明)。

 とすれば、こちらにも記した、車が右側通行になっている国では当然、横型の信号は左から赤、黄、青と並んでいるはずである。しかし、じっさいには私が訪れた国では縦型の信号ばかり。去年訪れたイランでは特に注意深く観察していたが、ついに横型に出合うことは一度もなかった。

[信号の写真]  こうした左右の位置は、よほど注意しないと見過ごしてしまうものだ。強度の色覚障害の方を除けば、ふつう我々は、ライトの位置ではなく色で「止まれ」「進め」を見分けているためだ。じっさい、20年前に上海、蘇州、ウルムチなどの大都市を訪れた時にも横型の信号をたくさん見ているはずなのに、全く記憶に残っていなかった。

 今回、最初に横型に出合ったのは、カシュガルであった(右上)。信号機は道路にあり、赤が柱側ではかえって見づらいように思えたが、とにかくナマの「赤、黄、青」に出合えて感激した。

[信号の写真]  さらに感激したのが、中国の最も中心に位置する天安門前広場の信号であった。まさに毛沢東主席の写真の正面にある信号機が横型になっていた。このあたりよく分からないのだが、他の外国に比べると横型信号の比率が非常に多いように思う。何か理由があるのだろうか。情報をいただければ幸いです。

 このほか、こちらに記したいくつかの疑問、例えば
  • 車の広告写真は左右どちらを向いているか
  • 自転車やバイクに乗降するとき、どちら側から乗るか
  • 遊園地の乗り物は進行方向に向かってどちらから乗るか
については、滞在時間が短く、調べることができなかった。どなたか情報をいただければ幸いです。ちなみに、昨年のイラン旅行、今回の旅行とも、それぞれ4回ずつ飛行機を利用したが、国際線・国内線を問わずすべて左側からの搭乗だった。左側以外から乗ったのは、むかし日本国内をよく飛んでいたボーイング727ぐらいのものか(←機体後部のの真下からステップを上がったように記憶している)。

[信号の写真]  もうひとつ余談だが、天安門広場の信号の中に、赤から青に変化する途中で、赤と黄が同時に点灯するタイミングがあることを発見した(写真右)。その理由を新米のガイドさんに尋ねたのだが、日本語がうまく通じなかったのか、ガイドさん自身が知らないのか、とにかく正確な意味を知ることができなかった。どなたか情報をいただければ幸いです。
【思ったこと】
_00910(日)[一般]イソップのぶどう園の話2年後

 2年前のことになるが、1998年9月12日の日記で、イソップの「ブドウ園の三人兄弟」に関する話をとりあげたことがある。このことについて、7月中旬に、イソップワールドの主宰者のはなまさんから追加の情報をいただいた。パミール旅行前のあわただしい時期で、せっかくの情報を日記でご紹介させていただく機会を逸してしまっていたが、まもなく2年になることを記念して転載させていただくことにしたい。【 】は長谷川による補足、また機種依存文字や改行箇所、リスティングを一部変更させていただいた。
【ブドウ園について述べた、はなまさんの文章の】の中で、

それにしても、これほどよく出来た話なのに、日本ではあまり知られていないことが不思議でなりません。

と書いたのですが、その後調べた所、この話はどうやら日本の昔話に取り入れられていたようです。
  • 昔話インデックス424『父の遺言』
    1. 親が怠け者の息子に、裏の畑に黄金を隠してあるから、掘り出して使え、と遺言して死に、息子は畑一面を掘るが黄金は見つからない。
    2. 隣人のすすめで息子はその畑に作物を作り、豊作となり金もうけをする。
  • 昔話インデックス730『田の中の財布』
    1. 作男が大田の草取りをいい加減にすませると、旦那が田の中にわざと財布を落とし、探し出した者に与える、と言う。
    2. 作男は田の隅々まで掻きまわし、草取りは首尾よくできる。
  • 稲田浩二 『日本昔話通観28』 同朋舎

 この話は、16世紀の末から17世紀の中程に日本で出版された、「イソポのハブラス」や「伊曽保物語」には、含まれていないのですが、当時、西洋で広く流布していた、シュタインヘーヴェル版には入っていますので、もしかすると、イエズス会の宣教師の持ってきたイソップ寓話集の原本にはこの話が含まれていて、そこから、日本の昔話になったのかも知れません。

 しかし、明治以後に日本に入って来たイソップ寓話集から、日本の昔話になったようにも思えます。出版物として残っていない、口承伝承では、なかなかこういったことも特定できないようです。
どうもありがとうございました。はなまさんからは別にも情報をいただいているのだが、本日のところはここまでの部分を紹介させていただく。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】