じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] フンザのホーパル氷河近くの休憩所に植えられていた反魂草(ハンゴンソウ)。このあたりの民家の塀沿いでも見かけた。特別の用途があるのだろうか。



9月7日(木)

【思ったこと】
_00907(木)[心理]法律か道徳か宗教か? あるいはそれに代わりうるものか

 9/6の各種報道によれば、自民、公明、保守の与党三党は多発する凶悪犯罪に歯止めをかけるため、刑罰対象年齢を現行の「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げることで大筋合意したという。こうした法律による対処とは別に、道徳教育を強化することで非行や犯罪を防ごうという動きもある。

 道徳や倫理の教育による対策も、法律による対策もそれぞれ議論のおこりやすい話題ではあるが、そもそも、それらはどういう特徴をもち、どう使い分けられていくべきものなのだろうか。また、道徳・倫理にも法律にも頼らずに世の中を改善していくことは不可能なのだろうか。

 ウェスタン・ミシガン大学のマロット(R. W. Malott)教授は『Elementary principles of behavior』という共著書の第26章の中で次のように述べている。なお日本語の行動分析の教科書として知られる『行動分析学入門』(杉山ほか、1998)はこの本の第2版を元に日本語版として出版されたものである。原書のほうは現在第4版まで刊行されているが、ここでは第3版を参照してマロットの主張の一部を要約したいと思う。【 】内は長谷川によるコメント。
  1. 道徳も法律も、ふつう、人類や生物の幸福のために必要な資源を適切に使うためのルールとして機能する。【実際には、独裁者が自らの権益を保持するために利用する場合もある。】
  2. 法律による行動の制御は、観察されやすい行動に対してのみ有効。【人を殺せば罰せられるが、殺意をいだいているだけでは罰せられない。】
  3. 道徳・倫理(宗教を含む)による制御は、警察など第三者が観察できない行動に対しても有効。【「人を殺してはならない」というルールを持つ人は、殺意をいだいただけで自分を恥じる。】
  4. 法律に違反する行為は、通常、物質的な変化を与えることによって罰せられる。道徳・倫理に違反する行為では通常物質的な罰は与えられない。ルールに反してしまったことへの嫌悪や、超自然的(宗教的)な結果によって罰せられる。
  5. 道徳や法律は罰的制御(「〜すると罰せられる、奪われる」という嫌子出現や好子除去の随伴性、あるいは「〜しないと罰せられる、奪われる」というような嫌子出現阻止や好子消失阻止の随伴性)によって有効となる。「善行に対してご褒美」だけではサボりや先延ばしが起こりうまく機能しない。
 マロットが指摘しているように、道徳や法律の規制が無かったら世の中は今以上に混乱してしまう。現代社会でなお混乱があるのは、道徳や法律が悪いからではなく、それらがうまく守られるように機能していないためである。その理由についてマロットは
  1. 法律が守られないのは、個々の違法行動に罰が与えられる確率が小さいため。例えばスピード違反のように。
  2. 道徳・倫理(宗教を含む)が守られないのは、違反行為に例外を作って合理化してしまうため。例えば「人を殺してはならない」というルールは戦争では適用されないというように。ルールを信じない自由が与えられていることも例外を作りやすい。
という理由を挙げている。このほか、我々は自らの行為をいちいちルールに照らし合わせながら生活するほど暇でないということも一因になっていると思う。厳格な倫理実践家や人格者と言われる人でも、歩きながらタバコをポイ捨てしたり、自転車を駅前に放置させたりすることがある。これは、ルールを破ってもよいと思っているからではなく、それらの行為をルールに照らし合わせるチェックを怠っているためと考えられる。

 マロットの本では、道徳・倫理による制御は大部分、宗教による制御と同じ意味で論じられている。欧米ではそれだけキリスト教が生活に密着したものになっているためであろう。

 昨年日食見物のために訪れたイランは厳格なイスラム教の国であったが、都市部では交通事故や無理な割り込みの場面を何度も見た。宗教的制御は交通安全にはかならずしも有効に働いていないような印象を受けた。今回パミール横断で訪れたパキスタンもまた「イスラム共和国」の代表格であった。パキスタンは私が訪れた地域に限っては治安がよかったという印象を受けているが、今年3/17の朝日新聞では「ラホール地裁は子ども100人を殺して遺体を酸で溶かしたとされる被告に死刑を言い渡した。被告は被害者の前で絞首刑になり、その遺体は100に切り刻んで酸で溶かされる。」などという凶悪事件のニュースも伝えられているので、必ずしも宗教が平穏をもたらしているとは言えないように思う。

 いまの日本では、神や仏の罰はほとんど無力化しているように思う。正確な文言は忘れたが、東京・世田谷のある神社の入口に、
境内で起こったトラブルや事故については、当神社はいっさい責任を負いません。
というような立て札があった。境内の様子から判断すると、この場合の「トラブルや事故」というのは、夜間境内で起こりうる痴漢、恐喝、その他非行一般を意味するようだが、神社が自分の境内の中のことに責任を負えないというのはちょっと情けない気がする。ホンマに神の力を信じるのであれば、ここはひとつ、
当神社の神聖な境内で痴漢、恐喝、その他、犯罪や非行と見なされる行為をした者は必ず、口には出して言えないような恐ろしいバチがあたります。
ぐらいの宣言を出してもよいのでは無いかと思う。

 宗教に頼らない道徳・倫理的制御の例としてマロットは「secular humanism」を挙げているが、人類の滅亡を「地獄」に見立てて地球環境の保護や核兵器廃絶を訴えるのも同様ではないかと思う。この場合、本当に人類が滅亡するのかどうかという科学的議論は必要ではない。そういう地獄の存在を「信じる」ことで、身近な問題に取り組む行動を動機づけることが重要なのである。

 法律、道徳、宗教といったルールに頼らない方策としては、「憎しみ」や「嫌悪」をもたらす条件づけという手段も考えられる。例えば、ゴミのポイ捨て、いじめ、恐喝、暴走などの行為を目撃した時に憎しみや嫌悪がわき上がってくるような条件づけを試みることである。こうすればルールが守られなくてもそういう行動は忌避されるようになる。

 こうした情動的な条件づけは、戦争の時に支配者がよく使う方法である、敵国の民族自体に憎しみをいだくよう、あらゆるメディアを使って条件づけるというもので、ナチスがユダヤ人に対して行ったのがまさにそれにあたる。それが徹底されると、ドイツ兵士は、命令に従うという理由ばかりでなく、憎しみをいだきながらユダヤ人を虐殺するようになる。このように使い方を間違えば恐ろしい方法であるが、絶対にあってはならない行為を抑止するためにはある程度有効であるかもしれない。

 もっとも、月並みな言葉になるが「憎しみからは憎しみしか生まれない」という可能性もある。やはり、時間はかかっても、社会的に望ましい行為にあこがれるような条件づけを主体とし、憎しみを生まない人間を作っていくことのほうが結果的に大きな前進につながると考えるべきかもしれない。
【ちょっと思ったこと】
【旅行中にちょっと思ったこと(2)】

パミール横断旅行で役に立ったもの、立たなかったもの

 今回は、旅行に役立ったものと、持ってこなくてもよかったと思ったものをリストアップしてみたい。
  • 役に立ったもの
    • ノンシュガーのビタミンのど飴
      ビタミンCでどれだけ免疫力が高まるのかは分からないが、乾燥地域で砂ぼこりも多いだけに、大いに役立った。ノンシュガーをオススメするのは、歯を磨いたあとでも虫歯になりにくいから。ただし、飴の袋には「還元水飴などの糖アルコールを使用しているため、大量に摂ると、体質によってお腹がゆるくなることがあります...」というような注意書きがあるので、事前に摂取し、体質の合わない人は控えたほうがよいだろう。
    • ペットボトル茶
      毎日現地のミネラルウォーターが支給されたが、高山病や消化器系の調子の悪いときはやはり日本製のお茶で脱水症状を防ぐのが一番。500mlボトルを4本持参してたいへん役に立った。
    • スーツケースでない、肩ひも付きの鞄
      出発前に旅行会社から「道路が不通になった時は、自分で荷物を担いでもらうことがありますので、必ずザックか肩ひも付き鞄で」という指示があったため、スーツケースは避けた次第だが、不通にならなくても、布製の鞄にしておいてよかったと思った。とにかく簡易舗装の道路ばかりを通るので揺れが激しい。パキスタンではバスの屋根に、中国では専用の小型トラックに載せて運んでもらったが、スーツケースだったら傷だらけになっていたことだろう。なお、盗難を防止のため、私は鞄のチャックの穴どうしを100円均一ショップで買った小型南京錠でつないでおいた。あまり当てにはならないが、ポケットからちょっとした小物を盗られる恐れは減るだろう。以前、某国のホテルで、ザックのポケットから、交換用に持参した100円ライターをそっくり盗まれてしまったことがあった。
  • 役に立たなかったもの
    • 虫除け
      暑い地域を通るので蚊やアブを警戒したが、どの地域でも刺されることは無かった。カシュガルの民家近くの道路で蚊に刺された人がいるというのが唯一の例外。
    • ティッシュ、トイレットペーパー
      インドヒマラヤを旅行した時には、水差し(左手でお尻を洗う)しか置いていないホテルがあり紙不足で困ったものであったが、今回はどのホテルでも完備されており大量に余ってしまった。「中国のトイレットペーパーは何でこんなに幅が狭いのか」という不満も聞かれたが、おそらく排水管が詰まらないための措置かと思う。日本から持参したものは使わないほうがよいと思う。但し、万が一の下痢に備えることは必要。余りそうになった時はプレゼント用に使えるが、無節操に子どもたちに配ると「ペンくれ」という物ねだりが「紙くれ」に転じる恐れもある。
    • 本格的防寒具
      5000m近い峠を越えることと、富士山頂に近い高原で一泊することを考慮して厚手のジャンパーなど用意したが、これはかさばって失敗だった。資源ゴミに出す寸前のセーターを重ね着すれば十分であったと思う。比較的新しいセーター、ジャケット、ヤッケなどを多めに持参し、それほど寒くない時や低地に移動する直前に現地の人との物々交換に使うという手もある。
以上は、季節や天候によっても大きく変わるので、同じコースに行かれる方はあくまで参考程度であると考えてください。
【スクラップブック】