じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] フンザのナガールで見た白い花。ニラの花を大きくしたような形だが種名は不明。日本の山にも生えていたような.....。背景の山はウルタル(7388m)。



9月6日(水)

【思ったこと】
_00906(水)[一般]公衆電話100年、ケータイに抵抗するわたし

 1900年9月11日に東京の上野と新橋両駅に設置された公衆電話がまもなく設置から100年を迎えるという。9/6の山陽新聞によれば当時は「自働電話」と呼ばれていたとか。

 私個人が公衆電話を使い始めたのは小学生の頃からだったと思う。幼稚園の頃は、いまでは郷土資料館などに置かれてあるような手回し式で交換を呼び出す方式になっていた。祖父母の家に泊まりに行く時、中央線の浅川駅(現、高尾駅)前から、母がそれを使っていたことを思い出す。当時はまだ私の生家には電話が引かれてなかった。設置されるまでにはずいぶんと待たされ、そのうえ今の物価で言えば給料1ヶ月分に相当するぐらいの電話債券を購入する必要があったと記憶している。

 結婚後しばらく、私は京都と犬山の両方で仕事をしており、夜21時すぎの割引時間を待って公衆電話をよくかけたものだ。当時はまだ携帯などなかったから、この時間帯はけっこう混雑した。自転車に乗りながら空いている電話ボックスを探し回ったこともあった。そういえば、長男、長女がそれぞれ無事に産まれたという知らせも、公衆電話から受けたものであった。

 山陽新聞によれば、NTT公衆電話の売り上げは1994年に約3200億円であったものが、1998年には1/3に減少。岡山県内の設置台数は今年3月末で11888台となっており減少傾向にあるという。

 公衆電話ばかりでなく、レストランや店先に置かれていたコイン電話(いまでも「赤電話」で意味が通じるだろうか)もずいぶん数が減ったように思う。レストランで「電話はどこですか」と聞くと、「私の携帯をお貸ししましょう」と言われることがある。しかし、日頃公衆の面前で携帯を使ったことの無い私の場合、お客がいっぱい座っている中で大声で連絡をとるのはつい気がひけてしまう。

 事故や災害時の連絡の必要のためにも公衆電話は不可欠であると考えられていることから、街角から電話ボックスが完全に消えることはあるまいと思うが、携帯を利用しない私としては、ますます電話をかけづらい環境になっていくことは確実であろう。

 ちなみに、我が家で携帯を使わないのは、私自身は、仕事中や移動中に呼び出されるのはかなわん、というわずらわしさが第一の理由、妻のほうは、もし携帯を持っていたら私が「いまどこに居るんだ」とか「早く帰ってこい」という電話ばかりかけてくるのが目に見えているのでお断りという理由だそうだ。

 携帯は確かに便利なものだが、その普及とともに失われていったものも多いのではないかと思う。例えば、
  • 約束の時間をきっちり守るということ。初対面の人に会う時などは時刻と場所が唯一の手がかりであったが、お互いに携帯を持っていれば、多少遅れても融通がきくというところがある。もちろん公的な対面であればそういうルーズは受け入れられないだろうが。
  • 待つことのワクワクや不安。「駅についたら電話する」、「家に戻ったら電話する」というのはもともと携帯が無かった時代に、電話をかけられる場所に制約があったために作られた約束事である。その電話を家で待つ時には、用件によってワクワクすることもあれば不安をいだくこともある。お互い携帯を持っていると、いつでも繋がるという安心感が先にあるため、ワクワクや、不安解消による安堵感の度合いが減るのではないだろうか。
 これらは携帯を使わない私の勝手な推測にすぎないが、「公衆電話から携帯」が、利便性以外の点で文化や慣習にいろいろな変化を与えていることは確かだと思う。
【ちょっと思ったこと】

「自分にプレッシャー」or「参加できることを楽しみに」

 オリンピックに出場する外国選手のインタビューを聞いていたら、「女子陸上で5個の金メダルを取ると宣言」(米国の女性選手)、「金メダルを取る責任がある」(日本の男子レスリング選手)というように、あえてメダルを取ることを自分の義務と見なしている人がいた。そういうことを公言するのは「自分にプレッシャーをかけているのだ」ためだというが、要するに「メダルを取れなかったら責任を果たせなくなる」というルールを自分に課すことによって、「いま一生懸命、練習・調整をしておかないと世間に対して恥をかく」という「嫌子出現阻止」の随伴性で緊張のゆるみや油断を引き締めているのだろう。

 いっぽう、そういったプレッシャーをかけずに「参加できることを楽しみにしたい」(豪州の男子・長距離水泳選手)という選手もいるようだ。すでに金メダル獲得の自信が十分にあり、かつその場の状況に左右されずに実力を発揮できる種目の選手の場合は逆にリラックス気分を盛り上げたほうがよいのかもしれない。もちろん、緊張を高めるかリラックスを求めるかというのは、種目や自信の程度よりも、選手個人の自己管理スタイルの違いによるところが大きいとは思うけれど....。

【旅行中にちょっと思ったこと(1)】

「交通の常識」所変われば...

 パミール横断旅行関連のエッセイは、前回の「中国テレビ事情」でほぼ完成。これからしばらくは、ちょっと思ったこと、気づいたことを中心に補足していきたいと思う。

 1回目のきょうは「交通の常識」について。旅行記のカラクリ湖〜カシュガルの旅行記で「『砂防ダム不要、壊れてから直せばよい』という発想」というタイトルをつけたように、カラコルムハイウェイ通行中には、日本の道路や交通の常識とは異なるようないくつかの特徴を見い出すことができた。
  • 日本では、見通しの悪い曲がり角には丸い反射鏡が取り付けられていることが多いが、カラコルムハイウェイではそのようなものは1つも見なかった。無ければ無いで、カーブではそれなりに減速する。見通しの悪いT字路ならともかく、曲がり角のたびにああいうミラーが必要かどうか、検討に値すると思った。
  • 同じく日本では曲がり角や路肩にガードレールが設置されているが、これも多すぎるような気がしないでもない。通学路周辺の道路だけにつければよく、山道は不要という気もする。
  • もうひとつ、これは要不要論でない。軽自動車というのは意外に重い物を運べるということに驚いた。パキスタンでは、大半がトヨタとスズキの車であったが、このうちのスズキは軽トラックを改造し、荷台に幌と座席をつけて乗り合いバスのように使っているのをよく見かけた。通常1500CCクラスのワンボックス車でも8人も乗せたら坂道を上るのが大変だと思うが、ここでは同じ人数を軽自動車で運送しているのである。あるいはエンジンだけ取り替えたのかもしれない。それはそれとして、この地方ではエアバッグ、シートベルト、あるいはバイクのヘルメットなど全く無用。事故で重体になっても近くに収容する病院が無いのでヘルメットで脳だけ保護しても無意味という発想だろうか。もちろん、運転者の熟練度、交通量、天候などが日本と大きく異なっている点も考慮しなければならないが。
【スクラップブック】