じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


8月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 朝顔。いろいろな種類があるが、個人的には澄んだ空色の花が好きだ。涼しさを感じるせいかもしれない。写真(8/19撮影)にもあるように、青系統といっても濃さや彩度はさまざま。



8月29日(火)

【思ったこと】
_00829(火)[生活]【入院編】看護婦さんいろいろ/「臨床心理」は出たけれど...

 今回私がお世話になっている病棟には7〜8人の看護婦さんが勤務しておられる。どこの職場でもそうだが、細かいことまで心配してくれる方もおられれば、マニュアル通りの応対しかしてくれない方もいる。

 一日のサイクルの中で私からリクエストをするのはただ1回、朝食前の時間帯である。この病院のエアコンは病室別にナースセンターで電源管理している。マニュアル上は、朝の10時から夜10時まで使用可となっているが、私の病室は東南向きのため朝日が入り込んで朝食中に汗が出てきて困ることがあった。そこで最近では、8時頃からエアコンを入れてもらうようにお願いするのだが、看護婦さんによっては「お待ちください」と言ったきりでなかなかつけてくれない方もいるし、こちらから頼まなくても「エアコン、入れましょうか」と聞きにくる方もいる。「お待ちください」ばかり言う人は、トイレのスイッチを消し忘れた時などは「消しましょうね」と言ってくる。厳格なわりには点滴の針入れで失敗したりする。こうしたところに微妙な違いがあるのが興味深い。

 比較的年配の看護婦さんの中に、お子さんが某私立大学の「臨床心理」を卒業されたという方がおられた。「全員就職できます」というようなうたい文句に惹かれて受験したが、卒業してもなかなか希望する職に就けない。いったんは正規職員の産休を補完するための臨時職員として採用されたが、任期満了で退職。けっきょく現在は普通の企業でごく一般的な仕事をしているという。「臨床心理」は国家資格が無く病院側でのポスト配置が基準化されていないために就職のさいに弱い、子どもが是非入りたいと希望するので通わせてやったが、もっと「手に職をつける」勉強をさせたほうがよかった、と残念がっておられた。

 「臨床心理」を看板に掲げた大学はますます増えているが、看護婦さんも言われるように、卒業したからといって、看護婦(士)、PT、OTなどのようにすぐに希望する職務内容で就職できるわけではない。いまのところどの大学でも「臨床心理専攻」の受験倍率は高いと聞くが、卒業生の就職先が十分に確保できず、実績の示せない状態が何年も続くことになれば、少子化の荒波の中で「Fランク化」も避けられないのではないかと不安を感じざるを得ない。

 ちなみに、私のところの心理学講座は、入学案内で
なお、当教室の学部・大学院では「臨床心理士」を養成するための教育を行っておらず、心理学を基盤とした幅広い可能性を追求しています。
と記し、カウンセラー養成コースと勘違いされないように注意を促している。

 もちろん、岡大の文学部心理学の卒業生の中にも「臨床心理士」、「カウンセラー」として活躍している人たちはいるが、みな、かなりの苦労をした上で現在の安定したポストを得ているのであって、卒業してすんなりと決まったわけでは決してない。

 私個人としては、「臨床心理士」、「カウンセラー」といった非常に狭い職域を狙うよりも、なるべく広い分野に出て、大学で身につけた概念的枠組み、分析法、調査法などを活かしてもらったほうが結果的に「カウンセラーに頼らずに済む環境」に貢献できるのではないかと思うのだが、入学してきた学生がどうしても臨床系をめざそうとする場合にはできる限りの助力をしようと考えている。

 あくまでこれから大学を受験する方の話になるが、医療系の現場で働くことを大前提とした上で心理学を学びたいという人の場合には、今回、看護婦さんが言われたように、まず、看護婦(士)、PT、OT、介護士など、それだけで身を立てられるだけの技術・資格をしっかりと身につけ、安定したポストを確保することのほうがベターではないかという気がする。一昔前と違って、現在では、4年制大学を卒業していなくても大学院に入学できるしくみ、心理学を全く学んでいない人でも別分野で実績があれば入学可能は修士3年コース(←入学後1年目は心理学の基礎レベルの演習が受けられる)、その他、修士、博士いずれにおいても社会人入学の道が開かれている。医療現場で研究フィールドが確保できている分だけ、修士論文や博士論文に取り組みやすいというメリットもある。

 大学の社会的役割は一昔前に比べて大きく変わっている。かつては、いったん卒業した者にとって大学は懐かしい同窓の場にすぎなかった。いまでは社会人を広く受け入れる生涯教育の場としての機能を発揮しつつある。もちろん4年制の学部教育の意義はいささかも軽視されるべきものでないが、「大学で教育を受ける→大学に別れを告げて社会に出る」という時代から「大学や各種専門学校で教育を受ける→社会人としてさらに大学院で教育を受け研究に取り組む」という時代になりつつあることは事実である。看護婦さんの話から、話題が思わぬ方向にふくらんでしまったが、参考にしていただければ幸いだ。
【思ったこと(2)】
_00829(火)[_008PC]生涯で最高の景色


下記の内容を加筆修正して、こちらのエッセイに再掲しております。そちらのほうでお読みいただければ幸いです。

 昨日の続きとして、標高4000mのスパシ峠と、カラクリ湖滞在中に思ったことを記したいと思う。この時の主な写真はすでに、こちらにアップしてある。

 帰国直後の8/17の日記にも書いたように、カラクリ湖は今回の旅行の中でも私が最も期待していたポイントであった。この湖は標高3600mの高さにある広さ10平方kmほどの湖。ムスターグ・アタ(7546m)と、コングール(7719m)という7000メートル級の2つの山に囲まれ、湖面にそれらの姿を映し出すことで知られている。カラコルムハイウェイを1週間近く走行しやっとたどり着いたこと、日本出国時点では洪水のため道路が不通になっており修復事情によっては到達できない恐れも大きかったこと、完ぺきに晴れ上がったことなどもあって、感激はひとしおであった。

 日本で募集されているツアーの中には、クンジェラブ峠越えはせずに、カシュガルからの日帰り小旅行としてカラクリ湖まで往復するツアーもあるようだ。しかし、こんなに素晴らしい景色を1〜2時間程度眺めただけで戻ってしまうのは山好きの人間にとってはまことに勿体ない。今回私が参加したツアーは湖岸のパオに宿泊するものであった。そのおかげで、昼間の景色はもちろん、夕日に赤く染まる姿、澄み切った夜空、そしてコングールの間から突き刺すように差し込んでくる朝日、これらをほぼ快晴の天候のもとで眺められたのはまことにラッキーであった。

 カラクリ湖は、タシクルガンからは車で約2時間のところにある。この区間の標高はおおむね3000〜3500mとなっているが、到着の30分前に標高4000mのスパシ峠という所を越える。ここからの眺め(写真1〜4)も抜群であった。これらの写真にも写っているように、「ムスターグ・アタ7546m」とか「コングール7719m」というのは単独のピークの名前ではなく、ひとまとまりの山脈もしくは山群全体を呼ぶものであるようだ。日本で言えば、穂高や槍ヶ岳をひっくるめて1つの山名で呼んでいるようなもの。それだけに、眺める角度によって見え方は相当に変化する。スパシ峠からのムスターグ・アタは山体が2つに割れており、その間を含めて大きな氷河が4つほどせり出していた。ちなみにカラクリ湖から眺めるムスターグ・アタは、スパシ峠からの写真の左側面となっており、そちらからは氷河を見ることはできなかった。

 カラクリ湖畔に到着したのは北京時間で14時頃、実質的には午前11時頃に相当している。湖岸に歩いていくと少年たちが群がってきて「ウマノル?」という。近くには観光用の馬やラクダが繋がれていた。現地の人々にとっては相当の収入源になっているのだろう。このほか別の少年が手のひらに紫や黄色、ピンク色の宝石?を乗せて「チェンジ、チェンジ」という。時間が無くて交渉には至らなかったが、おそらく、一着170円で買ってきた下着兼用のTシャツ、100円均一ショップで買った懐中電灯なども交換の対象になったかと思う。あまり粗悪なものを交換すると日本人全体の信用を失うことになりかねないけれども.....。

 昼食後から夕食までの5時間は完全にフリーとなったので、私は一人で湖畔を左回りに散策することにした。写真5〜10はその時撮影したものであり、結果的にツアー参加者のうち私だけのオリジナルのアングルからの作品ということになった。

 湖畔を巡った目的の1つは、ムスターグ・アタやコングールが水面に映し出された写真を撮ることにあった。この日はけっこう風が強く、カラクリ湖本体の湖面には波が立っていて山の陰が写らない。そこで湖岸近くの湿地帯の沼から撮影したのが写真の6と9であった。湿地帯の中には写真7のような、かろうじて飛び越えられるぐらいの幅の小川もあったが、全般的には砂地で地盤がしっかりしており歩くのに不自由はなかった。

 湿原帯では、写真5のような桜草(プリムラ?)の仲間と思われる花の群落のほか、小型のタンポポなど10種類程度の花が見られた。いずれ「印象に残った花」のコーナーに写真をアップしたいと思う。タンポポがここに生えていた理由は不明。

 湖に生息する魚は栄養不足のためせいぜい体長10cmにしかならないと聞いた。写真7のような小川で実際に私が見たのはメダカ程度の大きさ。湖岸の浅瀬には5〜6羽の水鳥が羽を休めていたが、これでは餌をとるのに苦労するだろう。このほか湖岸の草地では5〜10mm程度の小さなバッタが鳴いていた。テントウムシの仲間も1匹。また湖岸の波打ち際にはカワニナのような形をした白い貝殻がたくさん落ちていた。ビニール袋に入れて持ち帰ろうとしたが、貝殻がひじょうに薄く、帰国した時には大部分が粉々にくだけてしまった。

 夕食後の21時半すぎ(北京時間、実質18時半頃)からはムスターグ・アタやコングールが日の入りとともに変化していく様子をくっきりと捉えることができた(写真11〜18)。この日は月齢10.5であり、夜半までは月に照らされたムスターグ・アタが神秘的に光り、さらに月没後は満点の星。何度か外を眺めてみたが、ぎょしゃ座の五角形の中に20個以上の星を眺められるほどの透明度。また、流れ星を3個目撃することができた。

 翌8/11もほぼ快晴。太陽はコングールの後ろ側にしばらくとどまり、十分明るさを増してから突き刺すように湖面に差し込んできた(写真19)。前日の風も止んで、なめらかになった湖面にはムスターグ・アタの雄姿がくっきりと映し出されていた(写真20)。
【スクラップブック】