じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 時計草の実(左側)。ケガをする前の19日に撮影したものだが、そろそろ熟しているはず。



8月28日(月)

【思ったこと】
_00828(月)[生活]【入院編】入院から一週間/入院中でも「じぶんを更新」したいものだ

 ケガ&手術で入院してからちょうど一週間が経過した。腰椎麻酔を受けたせいか、最初の3日間はベッドの上で起きあがっていると軽い頭痛やめまいなどがあり、またすぐに眠気がおそってきて一日の睡眠時間は15時間ぐらいに及んでいた。

 その後は次第に元の体調を取り戻し、朝6時過ぎに起床。夜22時頃就寝というペースが確保できるようになった。月末締め切りの前期成績報告のほうもほぼ完成、現在は、各授業専用のHPへコメントを書く作業を行っている。

 24日の日記に書いたように、入院中は、「なるべくたくさんの種類の行動をする自由」が制限されている反面、平常はそれと常に競合関係にある「1つの行動に専念する自由」が十分に確保されるようになった。

 とはいえ、「時間が余るほどある」というのは、寝たきりに近い状態が続いていた最初の3日間に思いこんでいた錯覚にすぎなかった。実際に何かの仕事に着手してみると、本を読む量にしても、何かを書く量にしても、一日にできる量には限りがあることをつくづく感じさせられる。今回は上半身が健康状態にあるので仕事量はそれほどペースダウンしていないが、年をとって内科系疾患で寝たきりになった時には、もはややりたいことなど殆ど手につかないのではないかと思われる。「年をとったら○○をしたい」などという老後の夢は懐かないほうがよいかもしれない。

 「時間が余るほどある」というのが錯覚であったため、入院生活にも一定のスケジュールを作ることにした。例えば
  • 朝食前は英語の文献を時間の許す限り読む
  • 午前中は論文書き
  • 午後は前期の授業用HPの更新と後期授業の準備、Eメイルへの返信書きなど
  • 夜はこのWeb日記執筆、旅行記更新作業
これが確実に実行できれば、入院生活であっても山籠もり生活とそれほど変わらない生産性を確保できるものと思う。

 入院をしていて自分でも面白いと思った変化は、あまりテレビを見なくなったことだ。病室には備え付けのテレビがあり2時間100円の有料制となっている。視聴可能な残り時間のデジタル表示によれば、この一週間の合計視聴時間はわずか100分、一日あたり15分程度しか見ていないことが分かる。別段100円を節約するためというわけでもない。普段私がテレビを見る時というのはたいがい食事中に限られている。つけっぱなしにしておいて、面白い話題があれば注目するという程度であった。しかしここのテレビはイヤホンをつけないと音が聞こえない設定になっている。その煩わしさが、「ながら視聴」を起こりにくくしているように思える。

 それから、入院以後はコーヒーを全く飲んでいない。これも別段止められているわけでもないのだが、飲まなくても眠気におそわれることが無くなった。これまでは、朝と昼に飲まないと眠くて考えがまとまらないことが多かったが、飲まなくても特別支障が出ることは無かった。「コーヒーで眠気を覚ます」というのは、単なる気分的なおまじないのようなものであったかもしれない。

 今回のケガは、日常生活で起こりうる事故のレベルからみて想定範囲以上にダメージが大きく、抜糸までが約10日、入院期間は回復の経過により3〜4週間程度、リハビリを含めた通院期間は8週間程度になると聞いている。とりあえず9月中旬の教授会までには退院したいと願っている。
【思ったこと(2)】
_00828(月)[_008PC]高原の広さ、牛肉の本質?を知る


下記の内容を加筆修正して、こちらのエッセイに再掲しております。そちらのほうでお読みいただければ幸いです。

 パミール横断旅行のうち、中国側の最初の町タシクルガンからカラクリ湖直前のスパシ峠に至るまでの景色をこちらにアップした。

 タシクルガンには8/9の夕刻に到着した。北京時間では18時半頃であったが、ここは中国でも西の果てに位置するところ。実質は15時半ぐらいに相当する。ここではまず中国側への入国手続を行った。フランス人の旅行客の近くに彼らとそっくりの顔立ちをした男性がパイロットのような制服で立っていた。変だなあこの近くに飛行場があるわけないのに、と思っていたところ、その男性はしばらくしてから税関のカウンターで荷物検査を始めた。じつは中国側の税関職員だったのだ。中国人というとどうしても漢族だけを思い浮かべてしまうが、このタシクルガンは人口の90%がタジク人だという。タジク人は中国の少数民族の中でも唯一の白色人種系だと言うが、その税関職員の顔を見てなるほどと感じた。

 タジク人と言えば、17〜18年前のことになるが、やはり8月に旧ソ連の中央アジア一帯を夫婦で旅行した時にタジキスタンの首都ドゥシャンベに3泊させられたことがあった。サマルカンドなど有名どころのホテルが満杯だったため、旧ソ連側の旅行会社の勝手な都合により、ホテルの空き室の多いドゥシャンベでの滞在を多めに設定させられたのであった。ドゥシャンベでの思い出と言えばとにかく暑かったこと。日中は40度以上、夜中でも30度以下にはならなかったと思う。エアコンは殆ど効かなかった。中2日の自由時間を利用して、市内の動物園を訪れたこともあった。その他郊外のワルゾフ渓谷への半日ツアーにも参加した。今のタジキスタン国内は実質内乱状態になっているとか。あの時は不平ばかり言っていたが、考えてみれば貴重な体験をしたものである。

 タシクルガンで宿泊した「パミール賓館」は、その素敵な名前とは裏腹に今回のツアーで宿泊したホテルの中でも最低クラスの設備であったが、幸いなことに時間限定で浴槽にお湯をためることができた。5000メートル近い峠を越えて軽い頭痛がしていただけに、標高3200mのこの地で風呂に入れるとはまさに天国。加えて、私の人生の中で最も標高の高い場所での入浴を体験したことになった。ホテルの食事もそれほど豪華とは言えなかったが、フンザ滞在のあたりから消化器系が不調で食欲が無かった私としては、中華風の炒め物がとても美味しく感じられた。

 翌朝はまず、町の外れにある石頭城(入院中で手元にメモが無いので不確か)を訪れた。城壁が崩れたところからは眼下にいちめんの草原が広がっていた(写真5、6)。これがホンマのパミール高原なのかと思わせるような壮大な眺めであった。

 城の見学のあとは、町の中のバザールに立ち寄った(写真9〜12)。中国国内ではどこでもマンツーマン型の物売りにうんざりさせられたものであるが、ここのバザールはもともと外国人観光客など想定していないらしく、通りを歩いても声をかけられるようなことは一度もなかった。

 そんななか、バザールの外れで目をひいたのが肉屋さん(写真11〜12)。皮をはいだ羊が丸ごとぶら下がっているばかりか、足下にはなんと脳を砕かれた牛や羊の頭が並べられている。いっけん残酷なようにも見えるが、ほんらい肉というのはこういうものだ。スーパーで売られているステーキだって全く同じもの。気味が悪いなら菜食主義者になるほかはあるまい。

 タシクルガンを後にしてからは高原の道が続く。タシクルガンは前夜からの小雨があがったばかりの雲がたちこめた景色であったが、しだいに雲が晴れて明るい緑の草原が広がっていった(写真14〜15)。途中、タジキスタンに向かう道路との分岐点もあった。国境まではわずか15kmとか。

 1時間半ほど走ったところで、車はふたたび高度を上げ標高4000mのスパシ峠にさしかかる。このあたりからはムスターグ・アタ7546mが間近に迫る(写真16〜18)。幸いなことに頂上付近の雲もみるみる取れて快晴状態になった。
【スクラップブック】