じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
病室にノートパソコンを持ち込む。 |
【思ったこと】 _00824(木)[生活]【入院編】入院して感じる別の「自由」 手術を受けた21日の夜から翌朝にかけては、腰椎麻酔を受けたために泌尿器系統の感覚がなかなか戻らず中途半端な残尿感に苦しんだが、その後は特別に強い痛みもなく、ベッドに横たわる毎日が続いている。 今回のケガと回復手術によって物理的に課せられた不自由は以下のとおり。
例えば読書。私の場合、ふだんは雑用やら物書きやら次々と用事が舞い込んでくるため、ふだんは30分以上継続して読書をするなどということは不可能に近かった。今度の入院も同様で、他の行動が物理的に制約されることによって、逆に「1つの行動に専念できる自由」が保障されるようになった。ちなみに今回と似たような状況は新幹線乗車中にも感じることがある。新幹線の車内で集中して本が読めるのは乗車中は他にすることが無いからである。 このほか、ノートパソコンを持ち込んだことで月末締め切りの原稿、学内の各種意見書などの提出にも取り組めるようになった。もっとも現時点では、ずっと起きあがっていると頭痛が出てくるので1回10分程度で横になるようにしているけれど.....。 生活時間が毎日24時間に限られている以上、どの人でも、「なるべくたくさんの種類の行動をする自由」と、「1つの行動に専念する自由」は常に競合状態にある。ケガによって行動リパートリーの一部に物理的な制約が課せられたからといって、直ちにすべての自由が奪われるわけではない。後者の自由が逆に浮かび上がってくるということは大いにありうると思う。 話題が変わるが、もうひとつ、「他人との比較」がもたらす「不自由」についても考えてみた。奴隷や囚人でないにも関わらず一般人が「不自由」を感じる一因には、「他人との比較」があるのではないだああろうか。つまり、他人ができるのに自分ができないと何となく自分の中に不自由を感じてしまう。誰もできないことを自分ができなくても不自由には感じない。例えば、
もっとも、こういうことが言えるのは、自分のケガが必ず回復するという前提があるからかもしれない。身体障害者の方から「そんな甘ったれた気持ちで『自由』を口にしてもらっては困る」とお叱りを受けるかもしれぬ。それと、仕事柄、8月から9月が夏休みであるために、松葉杖で教壇に立たなくで済むという不幸中の幸いがあったことも事実。内科系の疾患でないことも忘れてはならない。また、農業に従事している人、営業で毎日各所を動き回るような仕事をしている人であれば、こんなのんきなことは言っていられないだろう。そういう意味では、ここで得られた「自由」はかなり贅沢で、つかの間の「自由」にすぎないということを自覚しておく必要がありそうだ。 |
【ちょっと思ったこと】
中3数学で父親の権威守れた 息子から挑戦があった数学の問題。ケガをする前にはさっぱり解けなかったが、入院してから再挑戦してみたら難なく解決。昔の勘が戻ったのだろうか。ちなみに、息子自身は自力で解答できず、すでに夏休みの宿題の一部として白紙のまま提出済み。父親の権威をとりあえず守ることができた。 y=x2-4x+cにおいて、a=f(b)、b=f(a)がなりたつ[但しa<b]。このとき、a+bの値を求めよ。どうしても解答を知りたい方は、下をなぞってください。 a+b=a+f(a)=a+a2-4a+c=a2-3a+c・・・(1) 入院中に聞いたラジオ 病室には有料(2時間100円)のテレビが備え付けられているが、もともとTV番組にはあまり興味なく、今のところ気象情報とニュースの見出しを眺める程度。4日間合計で70分間しか視ていない。 8/23夜にはラジオで「わが文学 わが回想」という番組を聞いた。この日の出演は石川達三氏で1983年8月に収録されたもの。石川氏が「これは書かなくてはならない」と思ったのは戦前のブラジル移民に参画した時の収容所でのこと。『生きている兵隊』(?)では、本当のことを書いたために禁固刑を受けた。当時の文壇を支配していた私小説を批判し、作家は自分の生活をただ書きつづるだけではダメだとして、批判精神の必要を説いておられた。もし1983年当時にWeb日記があったらどう批評されていただろうか。 |
【スクラップブック】
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