じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] オミナエシ。6/25の日記で一度ご紹介したことがあるが、ますます色づきが良くなってきた。こんなに花期が長いとは思わなかった。その後ろにある白蝶草はさらに花期が長く、もう50日以上咲き続けている。いちめん蝶が舞っている感じ。




7月17日(月)

【ちょっと思ったこと】

「危険を伝える」より「安全を伝える」

 日本バス協会は17日、西鉄の高速バス乗っ取り事件を受けて、緊急連絡手段の整備や統一対応マニュアルの策定を柱とする対策をまとめたという。そこでは、非常点滅表示灯の点灯とパッシングをバスジャックの共通のサインとすること、SOSという表示灯やハザードランプの点滅回数を通常の倍にする装置をできるだけ早く導入することなどが盛り込まれているというが、こういう連絡は、犯人に阻止されてしまえば不可能。どれほどの効果があるのか疑問に思う。

 7/17の日記読み日記でも述べたように、この種の防止対策では、「危険を伝える手段」よりも、例えば「犯罪に遭遇しない時には定期的に連絡をせよ」というように「安全を伝える手段」をきっちりと確立しておくことのほうが大切だと思う。

 異常時というのは、運転士がどういう行動をとれるかは予想できないものだ。負傷してボタンを押せないことだってある。これに対して、
    30分ごとに運転席でアラームがなる
  • 3分以内に4桁の暗証番号を入れなければ非常点滅表示装置が勝手に点滅を始め、警察に自動的に通報される
というようなシステムを整備しておけば、犯人はそれを阻止できないはずだ。犯人から暗証番号の入力を強要された時は、通常と異なる特殊コードを入れる。この場合は、ランプは点滅せず、秘密裏に警察に連絡が入るようにしておく。

 「危険を伝える」より「安全を伝える」という発想は、独り暮らしのお年寄りの健康管理にも有用であり、すでに部分的に実現されているはずだ。「万が一の時に非常ボタンを押す」という体制だけでは、別室で倒れてしまった時には決してボタンを押せない。電気ポットのお湯が一定回数以上の時に限って、安全であるという信号が定期的に介護スタッフに伝えられるようにしておけば、その信号が届かない時に直ちに駆けつけることができる。もちろん、だからと言って「危険を伝える手段」を廃止してしまえということではない。両者の併用がいちばん確実であることは言うまでもない。

 余談だが、Web日記を毎日公開している人が日記執筆を休止する時には、何らかの休止宣言があったほうがよさそうだ。上に述べた意味で言えば、毎日日記を更新しているということは、読者に対して一種の安全信号を送っていることになるからだ。数年前のことだっただろうか、某大学教員が長期間日記の更新を休止した時には「死亡説」が流され、それを真に受けた人まで出てきた。ちなみに私の場合は、今年の8月も、海外旅行のため2週間あまりにわたって日記の執筆を休止する予定。死亡説などが流された場合は、ここにリンクして否定していただければ幸いです。



「瑕疵」はなぜ漢字のままなのだろう

 このところ、そごうや新生銀行(旧日本長期信用銀行)の問題をめぐって「瑕疵担保特約」という難読漢字が目につくようになった。新聞記事などでは、例えば「被曝」を「被ばく」、「心筋梗塞」を「心筋こうそく」、「脳腫瘍」を「脳腫よう」、「補填を補てん」というように、難読部分を平仮名にしたり、「遵守」を「順守」、「激昂」を「激高」というように代用字を用いる方針があったと思うのだが、今のところ「瑕疵」は漢字のまま、時たま、ふりがながつけられるだけのようだ。

 今回話題になっている瑕疵担保特約というのは「債券の譲渡後3年以内に、新たな要因で価値が2割以上目減りした場合、国が債券を買い戻す」ということを意味するようだが、『新明解』によれば元の意味は“「きず・欠点」の意の漢語的表現”ということらしい。「きず担保特約」と言い換えるわけにはいかないのだろうか。



またまた保険金目当て?

 奈良県で、薬物を混ぜたお茶を飲ませて長女を殺害しようとした容疑で母親の准看護婦が逮捕されたという。この事件では子ども二人が長女と似た症状で亡くなっているという。事件の背景については未だ不明な点が多いが、保険金目当てではないかとの指摘もあるようだ。

 7/18の朝日新聞天声人語では、保険金目当てで子どもを殺した事件として、過去に起こった4件の事件が紹介されており「家族とは何だろう。人間とは、何なのだろう。」と結ばれていたけれど、そのことをもって、「母性や父性の欠如」、「家族の絆の喪失」のような言葉を持ち出してきたところで再発の防止にはなるまい。「母親は規範意識が欠如していた」と言ったところで何も始まらない。

 保険金目当ての殺人は、家族間ばかりで起こるものではない。他人を水死や交通事故に見せかけて殺す事件は殺人事件全体の中でもかなりの比率を占めているはずだ。1月13日の日記(こちらを参照)に書いたように、とにかく、「人が死ぬことで儲かる人が出てくるような生命保険制度」が如何に多くの犯罪を誘発しているか、もっと問題視すべきである。繰り返し述べているように、保険というのは、被保険者が不幸にして亡くなった時にそれによって被る関係者の経済的損失を補償するためにあるべきもの。生きているよりも死なれたほうが得をするような保険制度は、何の「安心」ももたらさない。ギャンブル、ネズミ講、霊感商法などが社会悪として禁止あるいは規制されている中で、老後やもしもの時の不安を煽り、高額な保険金をちらつかせて勧誘を行う保険業界だけが温存されているのは何故だろうか。
【今日の畑仕事】

多忙につき立ち寄れず。
【スクラップブック】