じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] アンゲロニア。南アメリカ西部、西インド諸島原産の多年草で、丈夫で花期が長いことで知られる。後ろの黄色い花はルドベキア。




7月14日(金)

【思ったこと】
_00714(木)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(28)目標見えぬ大学教育?(その6):日本型社会の中での自己表現/就職のために洗礼?/まとめ

 昨日の日記の続き。7月8日〜9日に行われた第37回大学教育懇談会に参加した感想を書き続けてきたが、今回で最終回とさせていただく。

 今回はまず、吉岡元子・国際基督教大学名誉教授の講演「自己表現力を育てる」に関連して挙げた疑問:
  1. 「書く」ということはWeb日記執筆の中でも鍛えられるのでは?
  2. アカデミック能力として挙げられた「6つの思考」は専門教育、とりわけ卒論指導を通じて養うことができるのでは?
  3. 自分の意見をはっきり表現することは、日本型のムラ社会の中では逆に浮き上がってしまう恐れはないか
  4. キリスト教に対する批判的思考も許されるのでしょうか
のうち残りの2つについて自分なりの意見を述べたいと思う。

 3番目に関しては、自分の意見をはっきり表現する力を養うことは
専門学問の知識探究を可能にし、世界の一市民として責任を担える人間を育成するための基礎的基本的アカデミック能力(方法、方策、技術を含む)を体得させることを目標とする。[絹川正吉『ICU教養学部の誤解を解く』]
という教育理念の根幹をなすものであり、特に国際社会で活躍するために、あるいは研究者の道を進む者にとっては、ぜひとも求められる基礎能力であると言えよう。

 しかし、日本型の集団討議の場では、自分の意見を強く出すことが逆に「浮き上がり」をもたらすことがある。PTAとか町内会の集まりなどがその典型で、何かをしゃべると周囲からうるさい人だと疎まれることがある。それは決して好ましい風潮ではなく改革が求められるべきことではあるのだが、あまり性急に動きすぎると孤立してしまう。また、今回の教育懇談会のような場でも、あまり頻繁かつ長時間にわたって発言することは、他者の発言機会を奪うことにもなり歓迎されない。けっきょくは、自己表現力養成に加えて、「場をわきまえる」、「場の流れをつかむ」という能力が車の両輪をなすぐらいに大切になってくると思うのだが、これはどのように養成していけばよいのだろう。場数をこなす以外には無いのか......。




 4番目の「キリスト教に対する批判的思考」についての疑問は、おおやけには出しにくい疑問であり、私も懇談会の席上では一切口にしなかった。今回の懇談会の趣旨に配慮されたのか、吉岡先生御自身の講演の中でも、宗教教育とアカデミック能力養成との連関については一切ふれられなかったが、別の場で、「ICUでは教員採用にあたって、応募者のICについて考えをしっかりと聞くというようなお話を聞いた。じっさい、ICUの公募書類には、今でも「キリスト教信徒であること」や「推薦者4名のうち1名は所属教会の牧師またはこれに準ずる人であること」が明記されている。かつて私自身がオーバードクターで職を探していた時には、洗礼を受けてでも応募しようかと思ったほどである。ま、にわか信者では採用してもらえるはずはないが....。

 もっとも、この種の宗教的な制約を課して教員を公募すること自体は私学の特色を強調したものであると見なすこともできるので、この場であれこれ言うべきことでは無かろう。私が知りたかったのは、やはり、教養教育の中で、アカデミック能力養成と宗教教育が不可分のものであるのか、それとも独立的に切り離して教育可能なものであるのかという点だ。岡大の9月の教員合宿研修には絹川ICU学長をお招きしているので、機会があればこの点をお伺いしようかと思っている。その前に御著書を拝読しなければ....。



 最後に、今回の教育懇談会に参加したことについて全般的な感想を述べたいと思う。
  • この種の懇談会に来られるだけあって、さすが、ご自分のご意見をはっきり述べられる先生が多い。それだけに、言いっぱなしに終わらない工夫、他者の発言機会に配慮するなかで自分の考えを最大限に伝える心配りというものが要求されると思った。ちなみに、私個人が発言したのは、有馬先生の講演後、分科会、翌日の全体討論でそれぞれ1回のみ。
  • この種の会議を2度、3度と繰り返すと、毎回出席する人学内ローテーションなどにより初めて出席する人という2種類の参加者に分かれてくる。初めて出席する人は、新鮮な気持ちで御自分の意見を披露するが、何度も出ている人にとってはそれらは陳腐で何の情報的価値も無いものとして受け止められる。いつも同じことの繰り返しでちっとも前に進まないという印象を受けることになりかねない。そういう意味では、会議で何が合意されたのか、何が議論の中心になったのかをきっちりと記録に残し、次回参加者もそれを熟読した上で会議に臨むという姿勢が求められる。そういう点では、懇談会終了時にアピール案と示された
    その際、我々が最も大切だと考えるのは、錯綜するさまざまな問題に対応する知を形成するために、自立し偏見にとらわれない自由な発想とそれを実現してゆく創造力、構想力、異分野を総合してゆく協調性を育てることである
    という文言は今後の方向を明示する部分としてはアピール文全体に占める比率が少なすぎ、今ひとつ具体性に欠けるように思えた。なお、このアピール案は、後日、運営委員の先生方の間で修正を加え、公表されるとのことだ。
【ちょっと思ったこと】

合鴨の行方不明を嘆く私

 岡山市内の小学生が、合鴨を孵化から育て、合鴨農法を体験するために水田に放した。そのシーンは7/13夕刻のNHKローカルニュースで紹介されたのだが、翌朝小学生たちが水田に行ってみると、水田を囲んであった網の一部が壊され、合鴨はみな居なくなっていたという。小学生たちはさっそく、行方不明になった合鴨を探してくださいと、ポスターなどで呼びかける活動を始めたとか。

 以上のニュース多少聞き間違いがあるかもしれないが、とにかく人の手によって合鴨が持ち去られたとすれば、純真な心を踏みにじるまことにケシカラン話であり、警察は犯人の逮捕に向けて全力で取り組んでもらいたいものだと思う。

 幼稚園園児だったらば、とりあえず誰かが別の合鴨をこっそりと水田に放して、「合鴨さん、帰ってきてよかったね」で子どもの心を傷つけないための配慮をすることも可能だろうが、今どきの小学生、果たしてそんな嘘に騙されるだろうか。このさい、悪いことをしたらちゃんと罰せられるということをきっちり示すことのほうが大切かもしれない。
【今日の畑仕事】

多忙につき立ち寄れず。
【スクラップブック】