じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 時計草。余談だが、今年は閏年なので366日。この半分は183日。7/1から7/2の間がちょうどその境にあたっていた。




7月3日(月)

【思ったこと】
_00703(月)[心理]行動主義は危険思想か?

 私のゼミの学生の一人が「行動分析をやっている」と英会話学校のカナダ人の教師に話したところ、ひどく反発され、私の所に相談を持ちかけてきた。非常に一般性の高い内容であったので、御本人の承諾を得て、日記上で私なりの考えを述べたいと思う。

 さて、この教師の論点は、おおむね次のように要約することができる。
  1. Don't limit your thinking by studying behaviorism.
  2. 人間は信念を持っていて、意思決定をしたり考える能力がちゃんと備わっている。
  3. 誰がコントロールの主体になるか。独裁の道具に使われることはないか。
 まず、第一の御主張だが、確かに行動分析的な視点以外の見方を最初から排除してしまうようでは、非常に狭い思考に陥ることになるだろう。しかし、一般常識的な物の考え方に対して「こういう見方もありますよ」という形で行動分析的な視点を提示することは、逆に視野を広げることになることにつながるはずだ。

 例えば、ある課題がうまく遂行できない時には、「自覚が大切」、「やる気を出す必要がある」、「根性が無い」というように思われやすい。その際に、「うまく遂行できないのは、その行動に、適正規模の好子が確実に随伴していないことが原因だ」という行動分析的視点を提示することは、クリティカルな思考を養うことにつながる。

 行動分析的な発想は対立的な考えを頭ごなしに排除するものではない。予測と制御可能性という真理基準に照らして、最も有効な概念的枠組みや視点だけが結果的に残ることになるのだ。「Don't limit your thinking by studying behaviorism.」という信念を持つことで、最初から行動分析的な視点を除外してしまうことのほうが思考を「limit」していることになるのではないか。

 次に第二の「人間は信念を持っていて、意思決定をしたり考える能力がちゃんと備わっている。」という御主張だが、では、そういう信念はどこでどうやって形成されるのだろうか。意思決定も思考も、判断の結果の影響を受けて修正されていくはずである。そういう意味では、信念は「ルール支配行動」として形成され保持されていくもの。ある日突然、人間の心に発生したものでは決してない。

 誤解が無いように言っておくがオペラント行動が「過去の随伴性と強化子にコントロールされている」というのは、流れに身を任せる藻の動きとは異なる。まずオペラントを自発する個体があって、それが能動的に外界に働きかける際に随伴性が影響を及ぼすという意味なのだ。行動分析的視点の根源には、オペラントという、生活体の能動的な働きかけが前提とされている点を忘れてはなるまい。

 最後に第三について。行動分析というと、何か他者や集団をコントロールする独裁者のツールであるかのように誤解されているところがあるが、行動分析の理論があろうと無かろうと、人は、その生活環境の中で常に随伴性によるコントロールを受けているのである。

 例えば、街に出てショッピングをする場合、誰しも、自分の意志で好き勝手に店に入り、自由に物を買っていると錯覚する。しかし、実際の所は、コマーシャリズムの影響を受けて、それを買うようにコントロールされているだけなのかもしれない。税金控除の優遇措置があるために家を新築する人の場合も同様。自分の意志で優遇措置を利用しているようなつもりで、実は、景気回復策を支えるために設定された正の強化の随伴性のコントロールを受けているだけなのかもしれない。

 そういう意味では、多くの人々が行動分析的な視点を持てるようになれば、自分が他者からどのようにコントロールされているのかを的確に知ることができるし、万が一、独裁政権を目指す勢力が世論操作のために巧みに随伴性を仕掛けてきてもそれを見破ることができる。

 もちろん、行動分析的視点を持つことで「自在」という意味での自由を手にすることはできない。しかし、自由であると思いこんでいる世界が実は随伴性の呪縛から逃れられない世界であるということに気づくことはできるだろう。それによって真の自由とは何かという意味を問うこともできる。

 今年の夏は、スキナーの『Beyond freedom and dignity』という著作と、この日記でも何度か取り上げている内山節の『自由論』を中心に、行動論的自由の意味について何かまとまったものを書いてみたいと思っている。
【ちょっと思ったこと】

今どきのユースホステル

 7/4朝5時台のNHKニュースで、礼文島・桃岩ユースホステル(YH)が紹介されていた。学生・院生時代には登山目的で何度か北海道を旅行したものだったが、泊まったのは殆どがユースホステルであり、これまでの私の合計宿泊数は200泊を超えている。TVで紹介されていた桃岩YHは、当時から北海道の名物YHの1つとして知られており、1泊しか申し込んでいないと連泊を求められるとか、真面目人間が泊まると人格が改造されるとか、南京虫に刺されるとか、いろんな噂が立てられており、私はわざわざそこを敬遠して、船泊の別のYHを申し込んだほどであった。しかし一般的には桃岩YHの人気は高く、旅行中にその噂を聞いたために、他のYHの予約をキャンセルして泊まりにいく若者が増える。そのとばっちりをうけて、船泊のYHのキャンセル率は9割もあるんだとか、当時のペアレントが嘆いていた。

 YHと言えば、禁酒、男女別、セルフサービス、ミーティング、毛布たたみ、清掃など、いろいろと規則があって、少なくとも大学生の宿泊先としては少々堅苦しすぎるような所があった。最近では飲酒を認めるとか、個室タイプ、家族部屋など多様化が進んでいると聞いたこともあるけれども、どういうタイプの若者に好まれているのだろうか。

 考えてみれば、私がよく利用した頃からすでに20年以上が経過している。いま泊まっている若者たちが、当時出会った仲間たちの息子さんや娘さんたちばかりというのはちょっと不思議な気がする。
【今日の畑仕事】

 ミニトマト、ブロッコリー、長ネギを収穫。
【スクラップブック】