じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] アマリリス。1球100円の処分品として買ったものが見事に花をつけた。アマリリスとは書いたが、厳密には近縁種と交配された品種ということだ。
[6/25追記]球根が入っていた袋を見たところ、「ヒッペアスケリア(赤花種)」となっていた。アマリリス(ヒッペアストラム)とスプレケリアの交配種だという。と言われても何のことやら分からない。




6月24日(土)


【思ったこと】
_00624(土)[一般]特定候補・政党への支持表明ではなく、各党の議席配分を決定できるような選挙制度が望ましい

 6月25日は第42回の衆院選挙投票日にあたる。当面の景気対策から憲法改正論議まで、日本の将来を決定づける重要な選択機会になるはずだが、投票率はどうなるのだろうか。

 新聞等の資料によれば、戦後の総選挙の投票率はこれまでずっと60%以上をキープしてきたが、前回、3年8カ月前の総選挙の時には59.65%と、初めてこれを割った。今回は、将来に不安を感じる無党派層が投票に向かうので若干アップするとの見方もあるようだが、それでも70%を超えることはあるまい。投票率の長期低落傾向は今後も続くのではないかと私には思われる。

 では投票に参加しない人は本当に政治に無関心なのだろうか。それとも議会制民主主義を否定するアナーキストなのだろうか。行動分析的な見方をするならば、それはどちらも当たっていない。一口に言えば
随伴する結果が小さすぎたり、随伴の確率が小さすぎるような行動は強化されない
ということに尽きるかと思う。これは次のような事例として知られている。
  • 虫歯の予防のためには、3度の食事のたびに歯を磨くことが有効であると言われるが、なかなか習慣化することは難しい。これは「一度ぐらい歯を磨かなくても、虫歯という結果が随伴することはない」ためだ。
  • ダイエットを心がけている人でも、たまにはケーキを食べてしまう。これは「一度ぐらいケーキを食べても直ちに体重や体脂肪率の増加には繋がらない」ため。
  • 歩きながらタバコの吸い殻を平気でポイ捨てするのはなぜか。これは「吸い殻が一本ぐらい落ちても目立ったゴミにはならない」ため。
選挙の投票の場合も同様。投票の結果というのは何万もの得票が集計されて初めて決定されるものである。自分一人の投票行動の影響力があまりにも小さすぎれば強化されるはずがない。棄権したからといって、必ずしも政治に無関心ということにはならないのだ。

 前回から導入された小選挙区制は投票率の低下にさらに拍車をかけているように思える。
  • 小選挙区では、例えば一位の候補が40%の得票で当選した場合、残りの60%の投票はすべて死票になってしまう(比例区の当選基準に多少は反映するようだが)。
  • 小選挙区では、政党間の協定により、自分の支持する政党の候補者が立候補していない場合がある。
  • 特定の政党を支持していても、その政党に属する政治家すべてが好きというわけではない。中選挙区であれば、支持政党に属する複数の候補者が立候補することがあるので、その場合は好きなほうを選べるけれども、小選挙区では選択の余地が無い。
 しかし、小選挙区を廃止して元の中選挙区、あるいは完全比例代表制にすれば国民の意思は反映されやすくなるのか、私はこれでもまだ不十分であると思う。というのは、現行の選挙制度は一人一票(もしくは比例区と合わせて一人二票)が原則になっている。このような投票では、「自分の支持する候補を当選させてください。」あるいは「自分の支持する政党の議席を増やしてください」というように、まず支持候補や支持政党を明確することが前提となってしまう。

 ところが現在のように各政党の主張に似たり寄ったりのところがあり、離合集散が繰り返し行われるような状況のもとでは、特定政党の議席の増減よりも、議席のバランスのほうが日本の将来に影響を与えていく可能性が高くなっている。例えば、自民党を主体とした安定政権を望むが、あまりにも議席を増やしすぎて汚職が起こりやすくなったり国粋主義的な内部勢力が台頭することには懸念を懐く人も多いのではないかと思う。そこで、一定の抑止勢力、監視勢力として共産党に投票したいが、共産党の議席が増えすぎて経済が不安定になったり、万が一にも共産党政権ができたら困ると考える人も同じように多いのではないかと思う。

 しかし、現行の選挙制度では、国民は、支持政党の選択はできても、例えば「A党:B党:C党」の議席のバランスが「7:2:1」であることを理想とするのか、「6:2:2」をよしとするのか、あるいは「4:3:3」をよしとするのかという選択ができない。日本の運命を決定づける上で最も重要な議席のバランスは、「個々人の個別的な支持」行動の集約として偶然的に決められてしまうのである。

 これを改善する方策としては、例えば一人10票をもった比例代表制選挙というものが考えられる。上記の例で、A党とB党による安定政権を望むが、批判勢力としてC党にも一定の議席を確保してもらいたいと願う人は10票のうちA党に4票、B党とC党に3票ずつ投票すればよい。もちろん自分は絶対この党を、という人は特定党に10票全部を投じてもよいわけだ。こうすれば上記のジレンマは解消する。

 こういう提案に対しては、投票行動に一貫性が無いとか、曖昧な態度を助長するといった批判が出るかもしれないが、そもそも無矛盾性を持ち出してくるほど、政党間の主張に隔たりがあるわけではない。個々の政治家や政党への支持不支持を決めるという旧来の選挙制度を無批判に継承するのではなく、バランス自体を決定できるような選挙制度の創設をめざすというのも一案ではないかと思う。
【ちょっと思ったこと】

[今日の写真] アジサイのひみつ

 6/25朝7時からの「目がテン!」はアジサイの話題。アジサイは私が子供の頃から自宅の庭に植えられており、最も見慣れた花の1つ(写真は先日、上京のおりに撮影したもの)だが、この番組で意外な事実をいくつか知った。
  •  アジサイはシアン化合物を多く含んでおり、八丈島で野生化しているヤギもこれだけは食べない。桑以外も食べるように改良された雑食性のカイコにこれを与えたら死んでしまった。意外なのは、カタツムリでさえアジサイの葉を避けるということ。雨にうたれたアジサイの花とその枝にくっついたカタツムリは梅雨時の代表的な図案として知られているが、葉を食べているわけではなかったようだ。ちなみに、シアン化合物を多く発生する樹木としては桜が知られているが、18ppm(どれだけの枝からは聞き逃した)、しかしアジサイはこれを上回る30ppmを放出しているという。180ppmを10分間吸い続けると人間に害を与えると言っていたが、これって安全という意味?、それとも室内で大量のアジサイを栽培すると危険という意味?

  •  アジサイの色が青く変化するのは、リトマス試験紙の赤が青になるようなものかと思っていたが、酸やアルカリによる色素の変化ではなかったようだ。正解は、酸性土壌のもとではアルカリ土壌に比べてアルミニウムが水に溶け出しやすく、もともと大量の水分を吸い上げる性質のあるアジサイがこれを花(がく)に取り込むことによって青くなる。それゆえアルカリ土壌の多いヨーロッパで露地植えしても赤い花しか咲かない。

     この点で私の記憶違いは無かったかと小学館の学習百科図鑑『植物の観察と育て方』を参照してみたところ、
    アジサイのがくにはアントシアンという色素が入っています。アントシアンは酸性になると赤く、アルカリ性になると青くなります。
    と書かれており、記憶そのものに誤りはなかったようだ。しかし、これでは酸性土壌のほうが赤くなってしまうはず。「酸性の水を吸い上げることで色素が青くなるのではなく、酸に熔けやすいアルミの影響で青くなる」と考えてやっと納得できた。
【今日の畑仕事】

ミニトマト、インゲン、ジャガイモ、キュウリ、サラダ菜、タマネギを収穫。
【スクラップブック】