じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 彦根〜安土付近で見た麦畑。いわゆる麦秋というヤツ。結婚した頃は京都と犬山の間を毎週往復していたものだが、減反政策のせいかその頃より麦畑の作付け面積が増えたように思う。



6月17日(土)

【思ったこと】
_00617(土)[一般]「のぞみ」立ち席は望まない/車両借り上げによる多様な座席の提供を

 帰りの新幹線の中で、JRが来月1日から「のぞみ」の「立席特急券」を売り出すことを決めたというニュースを聞いた。立席といっても、満席の場合に限る。しかもデッキに立つことが条件であり、510円引きになるとか。

 今回の上京もそうだが、私個人は滅多に「のぞみ」には乗らない。「ひかり」のほうを選ぶ理由は
  • 値段が安いに越したことはない。
  • 岡山始発が毎時間出ており、少し早めにホームで待っていれば確実に座れる。
  • 東京発岡山行きもそれほど混まない。
  • そんなに早く行く必要が無い。時間がかかればそのぶん読書ができる。
  • 指定席にすると、その時刻までに駅に行かなければならず、渋滞などでバスが遅れるとヤキモキする。また遅れてはなるまいと早めに出かけるので結局ロスが出る。自由席だったらば、遅れても次の列車に乗ればよいと気楽になれる。
  • 自由席ならば好きな位置に座れるし移動もできる。
  • 指定席は事前の予約が面倒。変更や取り消しは更に面倒。自由席の回数券だったらば、旅行を取りやめても次回に使うことができる。
  • 空いている自由席に乗れば、子どもが小さかった頃は3人掛けに寝かせることもできた。
といったところだろうか。

 それにしても、「のぞみ」ができて本当に便利になったのだろうか。以前ならば、岡山から、新大阪、京都、名古屋だけ止まる「ひかり」も運行されていたが、今や、ひかりに乗れば、姫路、新神戸、静岡、三島、新横浜のうちの何カ所かに停まる上に、「のぞみ」通過待ちで余計に時間がかかる。迷惑千万だ。

 そもそもなんで「のぞみ」を全席指定にしたのかも今ひとつわからない。余りにもスピードが速いので、安全対策上から立席を認めないのかとも思っていたが、今回デッキに立たせる所からみるとそうでもなさそうだ。それならいっそのこと自由席を増やせばよいものをと思ってしまう。

 このほかにも新型「のぞみ」が好きになれない点がある。
  • グランドひかりのような展望グリーン車、食堂車が無い。
  • ペットボトルの普及ということもあろうが、水飲み設備が無い。飲料水の安全性は今ひとつであっても、駅構内の埃をいっぱい吸って乗車した者にとって、これでうがいできるのはありがたかった。
  • 全体に車内が狭い。
 以上は主として「のぞみ」の存在に対する文句タラタラであったが、指定席というシステム自体についてもいろいろな側面から考え直してみる必要があると思う。もともと、指定席と言うのは、混雑が想定される列車で、行列を作らなくても、また体の不自由な人に席を譲らなくても確実に座って旅行ができるために設けられた約束事であると言える。しかしこれを維持するための予約システム、みどりの窓口に配置される駅員の人的コストを考えるとその負担は莫大のものになっており、結果的に自由席利用者の料金を割高にしているところもあるように思う。

 この際、発想を変えて、
  • 全国ネットでの予約システムは全廃。
  • 自由席を原則とし、これと別に介護型の車椅子専用車両、赤ちゃん向けのベビーベッド付車両などを設置して便宜をはかる。ボランティアの乗車も認める。
  • 従来の指定席部分は、旅行代理店に車両ごと借り上げにして、内装や予約、料金システムは自由競争に任せる。但し、車内の安全管理の必要もあるので、車掌が全車両を巡回するのは今までどおり。
  • 上記の借り上げ型の導入により、超高級シート、寝台型、インターネットカフェ型など多様なサービスが提供できる。また場合によっては、JRの自由席料金より割安なエコノミーシートを提供できる可能性もある。
としてみたらどうだろうか。
【ちょっと思ったこと】

天文雑誌休刊/天文の趣味について考える

岡山に戻ったところで残念なニュースが1つ入ってきた。ヘールボップ彗星や昨年夏の皆既日食でもいろいろお世話になった某天文雑誌が8月号をもって休刊になるとか。天文関係の個人サイトから得た情報なので未確認だが、本当であるとすれば大変残念なことだ。

 昨日の日記でガーデニングの楽しみの随伴性について書いたが、天文の趣味はこれに比べると地味で、なかなか広まりにくいところがある。
  • 何しろ宇宙が相手なので、能動的な働きかけによって対象を変化させることができない。
  • 天候により努力が無駄になることも多い。
  • 都会では星を見たくても見られない。郊外に出ると、時間も移動費用も相当かかる。
  • 趣味の遂行のために望遠鏡、撮影装置など数十万から数百万のコストがかかる。
  • 深夜しか活動できないので、仕事との両立が難しい。子どもも学校の勉強や塾があるために夜に活動することができない。
  • 恒星や星雲は個人の一生のスケールの中ではいつ見ても同じであり、変化を楽しむことができない。
といったところか。にもかかわらず、一部の人にとってそれが強化的になるのは、
  • 能動的な働きかけによって得られる結果と言えば、望遠鏡から直接見られる美しい天体、上手に撮れた写真、宇宙に対峙することへの意義づけ(←言語的強化)。
  • 希少な出来事が好子となること。彗星、皆既日食、流星雨、オーロラなど滅多に起こらない現象に関与することにより「こんな珍しい出来事に出会えて幸せ」という気分になる。
といったところだろうか。

 初めの話に戻るが、今回の「休刊」の経緯についてはまだ未確認であり経緯もよく分からないけれど、上記のような形での天文愛好家の絶対数減少のほか、リアルタイムの情報提供、簡単にカラーの天体写真が公開できるというネット上の無料サイトに比べて、印刷物としての雑誌が太刀打ちできなくなってきたという側面もあるのではないかと思う。
【今日の畑仕事】

インゲン、キュウリ、ジャガイモ、タマネギを収穫。
【スクラップブック】