じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] ハイビスカス。2鉢300円の処分品を植えてみたところ、最初の花が咲き始めた。丈夫な花だが、露地では冬越しはできない。といって鉢上げしても葉が落ちてしまったりする。このさい、一年草として割り切って屋外での開花を楽しんだほうがよさそうだ。



6月9日(金)

【思ったこと】
_00609(金)[心理]男子中高生は努力していない?/「目標を達成するための努力」と「目標を探す努力」

 くもん子ども研究所が全国の小中高校生約700人を対象に実施した意識調査によれば、
  • 自分を努力家と評価する割合は、女子は年齢に関係なく50〜60%
  • 男子では、小→中→高となるにつれて、64%→37.6%→35.6%と減少傾向
  • 「目標に向かって努力したことがない」という質問も同様傾向
となっており、同研究所では「何に向かって努力し、自分を試したらいいのかわからない子どもが増えている。受験に代わるハードルを探す努力が求められている」と分析しているという[朝日新聞6/9「くらし」欄]。

 新聞記事だけではサンプルをどのように集めたのか、調査項目全体が伝えられているわけでないのではっきりしたコメントはできないけれども、
  • 「努力家」という時の「努力」が何に向けられたものなのか
  • 「目標に向かって」という時の「目標」はどういう内容なのか、小→中→高となるにつれて内容がどう変わっているのか
  • 「目標が無いために努力していない」のか「目標に向かって努力しようとしても目に見える形の成果が上がってこない(=具体的で確実な小結果が随伴しない)ために諦めてしまっているのか
といったことについてさらに精密な分析をする必要がある。

 ところで、記事で紹介されている分析の中に
何に向かって努力したらいいか分からない....受験に代わるハードルを探す努力が求められている
という文言にちょっと注目してみたい。ここでいう「ハードルを探す努力」もひとつの努力。揚げ足取りみたいに見えるが、このことは「努力」に
  • 目標を達成するための努力
  • 目標を探す努力
という性質の違う2つのタイプの努力があることを示している。

 ちなみに、くもんのドリルは、与えられた課題を遂行する努力に確実な小結果を与えるという点で大きく貢献をしていると思うが、目標を探す努力がちゃんとできないまま育ってしまうと、せっかくの努力家が大学に入って進むべき方向を見失うことにも繋がりかねない。

 これは卒論指導でもよく感じること。私のゼミでは卒論テーマは卒論生が自分で選ぶことを大前提としている。教員の研究の下請けではなく、テーマ探し自体も評価の対象となるという考え方だ。ところが、それまで演習や講読の課題をきっちりこなしてきた学生の中に、なかなかテーマが絞りきれず、結果的に時間切れとなり、能力を十分に発揮できないままに中途半端な研究に終わってしまうケースがある。

 このほか、指導教授の指導のもとで業績を次々と増やすことはできるが、その教授の敷いたレールから一歩もはみ出せないという研究者も全く居ないとは言えない。採用人事などでこういう候補が最終審査に残ってきた時に、業績の量だけで評価してよいものか、オリジナリティはどこにあるのかということが議論になることがある。

 「目標を達成するための努力」の場合は、努力すべき行動の内容がほぼ決まっている。オリンピック金メダル獲得というように能力ギリギリあるいは能力を超えるような目標ならともかく、ある程度達成可能なレベルで設定された目標の場合には、達成段階を細かく分け、それぞれの段階でのプロセスに適正規模で具体的かつ確実な小結果(好子)を与えれば、そう簡単に投げ出すことはない。

 一方、目標を探す努力の場合には、
  • 探す範囲をどこまで広げるか
  • いったん見つけた候補を目標として採用して、とりあえずそこにとどまって努力を重ねてみるか
  • とりあえず努力しつつも、さらに別の目標を探し続けるか
  • どこで踏ん切りをつけるか
という種々のジレンマがある。こればかりはあらかじめ妥当な基準を設けることができない。あまりはやく固定してしまうと「思い込み」と言われるし、いつまでもモタモタしていると「優柔不断」など言われる。お見合いによる結婚相手探しでも似た場面があるが、この場合は、結婚を望んでいない人を「努力が足りない」と非難するのは筋違い。

 最後に、そもそも「目標」がなぜ求められるかについて。それは、その日ぐらしの動物と違って、人間の場合には、部品としての行動を積み重ねることによって、信じられないほど大きな成果が上げられることが期待されているからだ。しかし、部品としての準備行動それ自体は単純作業の繰り返しが多く、いくら付加的に結果を与えても強化されにくいところがある。目標がはっきりしていれば、「達成度」という目に見える形の結果が付加され、長時間のスパンを超えた効率的な強化が実現できる可能性がある。「目標はそれ自体、努力を要する諸行動を強化する」という側面があることを忘れてはならない。つまり、行動分析的に見れば、「目標の手段として努力がある」ばかりでなく「努力を強化する手段として目標がある」ということになる。
【ちょっと思ったこと】
【今日の畑仕事】

インゲン、ジャガイモ、タマネギ、チンゲンサイを収穫。
【スクラップブック】

  • 宇部市の高校でお年寄りが車椅子の乗ったまま園芸作業ができる庭を制作中[6/10朝のNHKローカルニュース]