じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ハイビスカス。2鉢300円の処分品を植えてみたところ、最初の花が咲き始めた。丈夫な花だが、露地では冬越しはできない。といって鉢上げしても葉が落ちてしまったりする。このさい、一年草として割り切って屋外での開花を楽しんだほうがよさそうだ。 |
【思ったこと】 _00609(金)[心理]男子中高生は努力していない?/「目標を達成するための努力」と「目標を探す努力」 くもん子ども研究所が全国の小中高校生約700人を対象に実施した意識調査によれば、
新聞記事だけではサンプルをどのように集めたのか、調査項目全体が伝えられているわけでないのではっきりしたコメントはできないけれども、
ところで、記事で紹介されている分析の中に 何に向かって努力したらいいか分からない....受験に代わるハードルを探す努力が求められているという文言にちょっと注目してみたい。ここでいう「ハードルを探す努力」もひとつの努力。揚げ足取りみたいに見えるが、このことは「努力」に
ちなみに、くもんのドリルは、与えられた課題を遂行する努力に確実な小結果を与えるという点で大きく貢献をしていると思うが、目標を探す努力がちゃんとできないまま育ってしまうと、せっかくの努力家が大学に入って進むべき方向を見失うことにも繋がりかねない。 これは卒論指導でもよく感じること。私のゼミでは卒論テーマは卒論生が自分で選ぶことを大前提としている。教員の研究の下請けではなく、テーマ探し自体も評価の対象となるという考え方だ。ところが、それまで演習や講読の課題をきっちりこなしてきた学生の中に、なかなかテーマが絞りきれず、結果的に時間切れとなり、能力を十分に発揮できないままに中途半端な研究に終わってしまうケースがある。 このほか、指導教授の指導のもとで業績を次々と増やすことはできるが、その教授の敷いたレールから一歩もはみ出せないという研究者も全く居ないとは言えない。採用人事などでこういう候補が最終審査に残ってきた時に、業績の量だけで評価してよいものか、オリジナリティはどこにあるのかということが議論になることがある。 「目標を達成するための努力」の場合は、努力すべき行動の内容がほぼ決まっている。オリンピック金メダル獲得というように能力ギリギリあるいは能力を超えるような目標ならともかく、ある程度達成可能なレベルで設定された目標の場合には、達成段階を細かく分け、それぞれの段階でのプロセスに適正規模で具体的かつ確実な小結果(好子)を与えれば、そう簡単に投げ出すことはない。 一方、目標を探す努力の場合には、
最後に、そもそも「目標」がなぜ求められるかについて。それは、その日ぐらしの動物と違って、人間の場合には、部品としての行動を積み重ねることによって、信じられないほど大きな成果が上げられることが期待されているからだ。しかし、部品としての準備行動それ自体は単純作業の繰り返しが多く、いくら付加的に結果を与えても強化されにくいところがある。目標がはっきりしていれば、「達成度」という目に見える形の結果が付加され、長時間のスパンを超えた効率的な強化が実現できる可能性がある。「目標はそれ自体、努力を要する諸行動を強化する」という側面があることを忘れてはならない。つまり、行動分析的に見れば、「目標の手段として努力がある」ばかりでなく「努力を強化する手段として目標がある」ということになる。 |
【ちょっと思ったこと】
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【今日の畑仕事】
インゲン、ジャガイモ、タマネギ、チンゲンサイを収穫。 |
【スクラップブック】
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