じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


6月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] ジャンボ綿帽子。大学構内の数カ所に、タンポポの10数倍の大きさの直径の綿帽子を作る植物があり、前から気になっている。種名をご存じの方、ぜひ教えてください。



6月6日(火)

【思ったこと】
_00606(火)[一般]「失敗学のススメ」

 科学技術庁長官の私的諮問機関「二十一世紀の科学技術に関する懇談会」は6日、失敗や事故、ひやりとしたニアミス例をデーターベースとして社会が共有、それを「失敗学」という新しい学問に発展させるという提言をもりこんだ報告書を中曽根長官に提出したという。

 今回の報告書は懇談会の名称から見てもテクノロジー分野での失敗に限ったデーターベースの共有をめざすものと思われるが、失敗談にも耳を傾けるべきだというのは、種々の自伝、犯罪事件においても同様。

 このうち、犯罪事件において「未遂事件にこそ教訓あり」と考えるべき点については本年2月22日の日記で書いたことがある。

 人生についての「成功談」、「失敗談」についても同じ視点が必要。いっぱんによく売れるのは、困難を克服して現在の栄誉を勝ち得た成功者の話、受験関連の本でも「合格体験記」ばかりが掲載される。

 その一方「わたしはこうして人生に失敗しました」、「頑張ったけれど結局合格できませんでした」という失敗談のは、小説ならともかく、実話としてはあまり売れにくい。その理由は、第一に本人がそういう恥ずかしいことは書きたがらないということにあると思うが、それに加えて、成功した人しか注目されないという読み手側の事情もある。しかし、他者の教訓を活かすという意味では、成功談から得た教訓も失敗から得た教訓も同等の価値がある。上記の「失敗学」は、共通して起こりやすいヒューマンエラーの問題に行き着くかと思うが、これをさらに拡張し、人生経験一般において共通して陥りやすい失敗の共有に高めてもらいたいものだと思う。

 話題が大きくなってしまうが、成功談、失敗談から教訓を得るためには、話者が原因を何に帰属させているのかについてクリティカルな目を養うことも大切だ。何かが成功するためには、無数に近い原因がすべて加算あるいは積算されて十分原因を構成する。しかし、話者は、その一部だけにしか注目できない。

 成功談では、一般に、成功の原因を自分の努力や能力に帰属する傾向が高い。本当は偶然にうまくいった場合でも、自分の努力を過大に評価している場合がある。受験生が先輩の合格体験記に記されているとおりに勉強してもうまく進まないのは、合格のための十分原因に記述漏れがあるためと考えられる。

 失敗談は、ある課題を達成するための必要原因の1つが欠けていたということを具体的に実証したものとは言える。しかし、そこで指摘された失敗原因を克服したからといって直ちに成功にこぎ着けるわけにはいかない。
  • ロケットの打ち上げが点火段階失敗した場合、それを克服しても今度は制御段階で失敗が生じるかもしれない。
  • 英語の誤用事例ばかりを勉強しても英作文や英会話が上達しないのもこれと同様。
  • 失恋体験をいくら収集しても、それによって自分の恋愛が成功するわけではない。
 やはり基本は、課題遂行のための能動的で前向きな成功要因を集めること、それを補完するための「失敗学」であるという点を忘れてはなるまい。
【ちょっと思ったこと】

高齢者福祉欄に多い外来語

 国立国語研究所が全国の自治体の広報誌を取り寄せて外来語の使用状況を調べたところ、高齢者福祉欄で特に使用頻度が高いことが分かったという。この結果は6/8の国語審議会に報告される。6/7のNHK6時台のニュースから聞き取ったところによれば、使用されている外来語は、デイケア、ケアハウスなどで、必ずしも統一されていない。なかには「シルバーパフォーマンス」という意味不明の言葉も使われていたという。

 外来語といえば、大学教育改革論議の中でも「シラバス」、「クォーター制」、「オフィス・アワー」というようにさまざまなカタカナ語や略称が使われる。新しい制度について議論する時には、外来語を使ったほうが「これ何やろ?」という注目を集めやすく、いかにも新鮮味があり、かつ、既存の概念にとらわれずに白紙の状態から再定義できるというメリットがあるが、議論が未熟であると外国の制度の物まねに終わってしまう恐れもある。

 最初にあげた「シルバーパフォーマンス」の件だが、そもそも「シルバーシート」というように「シルバー」に「高齢者」の意味を持たせているのは和製英語ではなかったかなあ。でけっきょく、「シルバーパフォーマンス」って何?

「日陰」発言

 6/7の朝日新聞によれば森首相は6日、千葉市内の中学を視察。そのなかで「コンピュータを使いこなせる人とそうでない人との間で生じるデジタルデバイド(情報格差)をわかりやすく伝えようとし、「できない人は、言葉はよくないが『日陰』というんだ。日が当たらないという意味」と説明したという。前後の文脈が分からないので何とも言えないが、「日陰」というある種の蔑称を中学生に広めるとは、さすがは話題の多い森首相のことだけはある。しかし、問題発言や失言というのは数が増えれば増えるほど、それぞれに対する個別的な関心が薄められていく性質を持っている。個別発言への非難をかわすためのパフォーマンスと考えるのは深読みしすぎだろうか。

【今日の畑仕事】

夕食後にサラダ菜と苺を収穫。
【スクラップブック】