じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] シロタエギク。丈夫な多年草で、時々切りつめないと花壇全体を覆ってしまう。銀白色の葉や茎を鑑賞する目的で植えられるようだ。葉や茎の色と黄色い花の取り合わせは、どこか、巨大なハハコグサを連想させる。



6月3日(土)

【思ったこと】
_00603(土)[生活]アパートの排水溝の清掃作業がもたらしたもの

[Image]  土曜日午前は、アパート前にある排水溝(写真左)の清掃当番。1時間あまりにわたって、溝の中のゴミを取り除いたり、柄付きブラシなどでヘドロ等を押し流す作業に参加した。

 この作業は、3棟のアパートの各階段、計9戸から当番が出て、第一土曜日と第三土曜日に行われている。アパートの1つの階段には10戸、当番は2カ月交代なので、20カ月につき2カ月のわりあいで当番が回ってくることになる。

 そもそもこういう作業が課せられてしまったのは、公務員アパート浄化槽から排出される汚水が完ぺきには処理されておらず多少の悪臭をはなつことにあった。何でもアパートが建てられる時に周辺住民との間で約定書が交わされ、アパート入居者が勝手に取りやめるわけにはいかない仕組みになっているということらしい。つまりこの当番は
◆約束事は守るべきだ。地域住民との摩擦は避けなければならない◆
によって第一義的に義務化されていると言える。

 こういう作業が好きな人はあまり居ないらしい。中には勝手に休む人もいるらしく、今回当番がまわってきた時には、わざわざ「休まれる場合は、必ず代理を人を出してください。他の方に迷惑がかかりますので」という匿名のメモまで郵便受けに入れられていた。この場合は、
◆他の人に迷惑をかけてはいけないから◆
という第二の義務化がはたらくことになる。

 では、こういう当番は、100%義務だけでしなければならないのだろうか。
◆清掃をすることで、溝が透き通り、蚊やハエの発生が防げる◆
というポジティブで目の見える結果を随伴させることが有効ではないかと思うのだが、溝の底がデコボコでヘドロが逆流したりするため、思うように結果を出せないところが問題だ。環境側に目の見える変化が無ければ、個人内でそれに変わるポジティブな結果を見つけるしかない。これは
◆重労働に参加することで、体重、体脂肪率が減少する◆
に期待するというもの。もっとも、残念ながら、この日の夜の測定では体重がちっとも減っていなかった。これも効果的な好子にはなっていなかったようだ。

 で、結局、排水溝清掃に参加することで随伴した最大の好子は何だったのかと言えば

◆日記ネタが増えたこと◆

ではなかったか、と思ってみたりする。
【ちょっと思ったこと】


政党HPあれこれ
 6/4の朝日新聞に、各政党のHPが紹介されていた。興味深いのは、民主、共産、社民の3野党がそれぞれ英語略称の「dpj」、「jcp」、「sdp」をurlに使っているのに対して、自民、公明、保守、自由の4党は党名をローマ字で綴ったurlにしている点。それと、少し前に保守党のHPが見つからないのでヘンだなあと思っていたが、保守党だけは「hoshutoh.com」というcomドメイン(他政党はすべて「or.jp」)になっているという点が面白い。ちなみに、各政党HPへの月間アクセス数は、
  • 民主党:450万
  • 自民党:402万
  • 共産党:350万
  • 自由党:170万
  • 公明党、社民党:93万
  • 保守党:2万
となっているそうだ。日記猿人へのアクセス数と大差ない政党もありますなあ。月間2万アクセス程度だったら、私のHPのほうが多いかも。


毎週土曜日は...  同じく6/4の朝日新聞には、自由党の全面広告が掲載されていた。この中に「自己中心的社会から、規律ある自由に基づく開かれた社会に改める。」という指針が示されていたが、日本の現状を「自己中心的社会」と規定することの妥当性については、いろいろと考えてみる必要がありそうだ。この種の主張は、米国の伝統的な共和主義思想にも類似しているようにも見える。しかし川出良枝・東京都立大助教授のご指摘(元は2000年1月6日の日記):
「公」のために「私」を犠牲にすることが、倫理的に価値の高いものであるとの思い込みは、共和主義とは無縁である。自由な政治参加を支えるのは、各人が国家に依存しない生活基盤をもち、国家から自立した存在であるという社会条件である。国なくして個人なし、誰(何)のおかげで君たちは繁栄と安全を享受できると思っているのか、といったたぐいのレトリックは、共和主義の精神を転倒させたものである。
という共和主義の理念とは全く別物であることは確かだ。かといって、国家を必要悪とみなす近代自由主義の国家観と相容れるものでもなさそうだ。そもそも何で「自由党」という名前を付けたのだろうか。

 余談だが、自由党の具体策の1番目の
....毎週土曜日は家族で道徳と集団生活のルールを学ぶ日にします。
というのは、土曜日には自分の家の庭いじり、釣り、ゴルフといった「自己中心的な趣味」をしてはならないという意味にもとれる。あんまり自由が感じられないなあ。


「国体」発言
 森首相が3日に行われた奈良市内の講演で「(共産党は)綱領は変えないと言っている。天皇制を認めないだろうし、自衛隊は解散でしょう、日米安保も容認しない。(民主党は)そういう政党と(組んで)どうやって日本の国体を守ることができるんだろうか」と批判したという[6/4朝日]。その後「国体は今の国のあり方のことを言ったものだ」と説明があったというが、さて、そういう意味、例えば「アメリカの国体」とか「中国の国体」という意味で「国体」を使う人ってどれだけ居るんだろうか。いっそのこと、「じつは、国民体育大会を守りましょうという意味だった」と言い訳したほうがよかったんじゃないの。それは冗談として、近くの国道を頻繁に通行される右翼の街宣車も同じようなことを主張されていたような....


いろいろ書いてみたが

 こんどの選挙では、「自・公・保」の連立の枠組みを支持するかどうかが最大の争点だなどと言われているが、仮に自民党が大幅に議席を減らしたからといって、直ちに民主党主体の非自民党政権ができるなどということは決してありえないと思う。過去の経緯をみれば分かるように、政党にとっても政治家個人にとっても、政権党であるかないかということは存亡に関わる重大事。政権党であればこそ、地元からの強大な支援を受けられるという政党もあるはずだ。どんなに議席を減らしても、何が何でも政権にしがみつこうとするのが政権党の宿命。おそらく近い将来には、自民党内の加藤紘一氏を中心とした勢力と民主党内の多数派をまきこんだリベラル勢力と、自民党の森氏、亀井氏、それと保守党、自由党、民主党内の保守派をまきこんだ保守勢力に二極化され、どちらにも属さない公明党、共産党、社民党がキャスティングボートを握るという形になっていくのではないだろうか。

【今日の畑仕事】

キャベツ、小松菜、ハツカダイコン、チンゲンサイ、キュウリ2本を収穫。
【スクラップブック】