じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] チェリーセージ。各種ハーブの中でもひときわ鮮やかな色彩。金魚草にも似ているが、花弁が平べったいところがユニーク。香りはあまり好まれないようだ。



5月25日(木)

【思ったこと】
_00525(木)[一般]型破りの書道授業


 5月25日の21時15分からのNHKにんげんドキュメント「のびやかに書け君の心」を視た。栃木県の高校では、同校の卒業生である若手書道家の男性が非常勤講師として書道を担当している。20歳代で2回も大きな賞をとったというが、高校時代は、演奏に熱中したり喧嘩をするなど、けっこう暴れん坊だった。

 この授業のユニークなところは、漢字とひらがなが書かれていれば、紙、筆、墨(絵の具?)は何を使っても自由というところ。生徒たちは「文字を上手に書く」ための練習よりも「自分の思いを一番よく表す言葉」探しから始まる。高2学年末の最終作品では、自分の体に墨を塗って魚拓ならぬ「人拓」をとって「人と人」(「人」の字が人拓部分)と書いた者、「命は燃やすためにあるもの」という歌詞(正確な言葉は忘れた)を墨をたらしながら大きな板(発泡スチロール?)一杯にしたためた者など多種多様。こういう書道だったら、不登校なんて無くなりそう。他の高校でも大いに取り上げていただきたいものだと思った。

 先頃発表された自民、公明、保守連立三党の基本政策(こちらこちらに掲載中)の中には「心を育てる教育の徹底」として
......学校・家庭・地域における華道や武道など「日本の伝統文化」の奨励、....
という文言が盛り込まれていたが、ここに紹介した書道のような創造性を発揮させる「創作活け花」、参加者の本音を語り合う「お茶会」というものだったら大いに賛成だ。もっとも、精神抜きの「創作剣道」でナイフの使い方ばかりが上手になるような生徒が出てきては困るけれど。

 それから念のため言っておくが、今回の番組で紹介された書道家は型破りの作品ばかりを書いているわけでは決してない。空海の書体をその通りに書き写す「臨書」を毎日何時間も行う。墨を含ませると15kgになるという大筆を動かすための体力トレーニングも欠かさない。家では父親とともに楷書体中心の書道教室も開設しているという。自由な創作の前提には、毎日の地味な基礎鍛錬があるということを忘れてはなるまい。
【ちょっと思ったこと】
  • 「相次ぐ凶悪犯罪」を政争の具にしてはならない

     このところ、森首相の「天皇中心の神の国」、「教育勅語にもいいところがあった」発言などをサポートするために「少年犯罪が相次ぐなかで命の大切さを教える必要があった」というレトリックがまかり通っているような印象を受ける。もし本当に「神の国」や「教育勅語」が命の大切さを教えることに繋がると考えているのであれば、筋道たててその論拠を示してもらいたいものだと思う。その際には、文言上の証拠だけでなく、対象となる思想、制度、ルール等が現実の歴史の中でどう機能してきたのかについてもふれておく必要がある。

     何人かのWeb日記作者が書いておられるように、日本に土着し続けた古来からの祭祀神道には、人間はもとより生き物全体を大切にあがめる思想が含まれていたように思う。とはいえ、「神の国」として語られる「神道精神」を明治以後の「皇国史観」や「国家神道」と完全に切り離すことは不可能。そう主張するのなら、少なくとも神道が全体主義に利用された原因を徹底的に総括し、今後利用されないための具体的方策を示していくことがぜひとも必要だ。

     それから、これは神道に限らず、キリスト教、仏教、イスラム教すべてについて言えることだが、宗教における「命の大切さ」は宗派の中のみで成り立つもの。絶対的な非暴力主義主義を唱える一部の宗派を除けば、宗教の名による戦争、殺人、テロは今でも世界各地で行われている。明治以降の全体主義に「神道精神が利用された」として神道も犠牲者であるかのように説く人もおられるようだが、少なくとも神道精神に外国での侵略・虐殺行為をくい止めるような力が含まれていなかったことは否めない。5/26に行われるという森首相の釈明会見の中で、これらの点がどこまで明解に語られるか、注目したいところだ。
【今日の畑仕事】

水撒き。長ネギを収穫。
【スクラップブック】

  • 全国農業会議所によれば、大学卒業者や会社を中途退職して新たに農業をめざす人たちからの相談件数は年間9500件、5年前の3倍に増えているという。これらの農業希望者を対象に研修会を開催[5/26NHK]