じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 仰向けになって昼寝を楽しむウォンバット。一瞬死んでいるのかと思ったが、ちゃんと息をしていた。まさに無防備状態。安心しきった様子だ。ちなみにウォンバットは有袋類。下腹部の穴はそのためにあると思われる。念のため。




5月5日(金)

【思ったこと】
_00505(金)[一般]ディベートを読み解く(6)憲法改正論議は結婚や離婚とどう違うのか

3/25の日記の続き。これまで「キャッチフレーズを読み解く」というタイトルで連載してきたが、内容が、ディベートの中で用いられる種々のレトリックに焦点をあてたものばかりだったので、今回からタイトルを変更させていただいた。
 さて、西鉄の高速バスの乗っ取り事件報道のせいもあってすっかり存在が忘れられてしまったが、5月3日は憲法記念日であった。

 種々の世論調査によれば、最近では「憲法改正に賛成」と答える人が過半数を超えるようになったというが、一部の新聞の熱心な改正論調とは裏腹に、国民の間で憲法改正を緊急不可避の問題だととらえている人はあまり居られないように思う。5/3朝から5/5朝までの日記猿人の更新報告をみても、一行コメントに「憲法」の文字を入れていた日記は6342番の日記1つだけであった。「憲法論議」が生活雑記系の日記の話題に馴染まないことは確かだが、見方を変えれば、国民生活に密着した形での議論のレベルには未だ達していないということもできるかと思う。

 憲法改正論議でまず思うのは、「改正に賛成か、反対か」というような二者択一型の議論は意味をなさないということ。もっと個別の条文ごとに、具体的に賛否を問うてほしい。支持が得られにくい論点をぼかし、「環境権」のような誰でも賛成できそうな論点とセットにして、改憲の方向への支持を増やそうというような論調があるとすればフェアではない。憲法改正は、結婚や離婚と違って、個別の条文にかなりの独立性がある。
  • 結婚や離婚の場合は、まず「するか、しないか」という包括的で二者択一的な決断があって、その結果により生活面の個々の側面が一律に変化してしまう。
  • 結婚したいけれど、親との同居はイヤだ、田舎に住むのはイヤだ、親戚づきあいはイヤだなどと個別に希望を述べたところで叶えられないことも多い。
  • 離婚したいけれど、この家には住みたい。子供と離ればなれになるのはイヤだと個別に希望を述べたところで叶えられないことも多い。
 憲法改正論議の場合もそれぞれの条文に多少は連関性があるけれど、「第九条を変えなければ環境権を明記することはできない」などというほどの強い連関はない。政治体制を根幹から変えてしまうような革命を起こすわけではないのだから、車で言えば買い換えではなく、部品の一部取り替えをするようなもの。そういう意味では、
あなたは憲法改正に賛成ですか? →→→ 賛成の理由は次のどれですか?
という問いかけはアンフェア。あくまで、
あなたは憲法のXXの部分について改正することに賛成ですか →→→ その理由は?
という形で個別に意見を求めていく必要があると思う。

 次に思うのはそれそれの条文を改正した場合としなかった場合で何が変わるかを具体的に示してほしいということだ。国の基本を示す法律だからと言って、日本人によって必要なことを何でもかんでも追加していく必要は無かろう。例えば、「他人を殺してはいけない」というのは憲法に定めてあっても無くても当たり前のことだ。「地球を破壊してはいけない」、「太陽を破壊してはいけない」なども同様だ。

 憲法で定めるべきこととして、理念的な条文以外に何が必要なのだろうか。それは「簡単に変えてもらっては困る」ことではないかと私は思う。普通の法律の場合は、国会の多数派が合意すれば何でも決めることができる。与党と野党が選挙のたびに交代するような国にあっては、政権のたびに法律が変えられ、国民の生活においても対外的な信用においても著しく影響が出る場合がある。そこで、改正に必要な要件を「2/3以上」とか「国民投票」というように難しく設定しておくことにより一貫性、継続性を高めようとしているのだと思う。そういう意味では、ただ必要だから条文追加しようというような議論ではなく、簡単に変えてもらって困ることは何かあるいは、条文に基づかない行政的な施策だけでは対応しきれないことは何かということを視点から主張を展開することが求められる。

 条文を改正した場合としなかった場合で何が変わるかについて、文字ヅラだけの規定だけでなく、それが、どのような施策や主張の論拠として利用されるか、についても十分に考えていく必要がある。昨年制定された国旗国歌法案の例に見られるように、いったん成立すると、「法律に定められているのだから守るのが当然」という形で教育現場での強制、さらには「○○を認めたくないやつは日本人ではない。日本を出ていけ」といった形で反対論を排除する動きが高まることは十分に予想されることだ。

 例えば、第九条に「自衛軍隊」を明記することは自衛隊の現状の追認に過ぎないのだからいいじゃないかという主張があるが、その存在が憲法に明示されれば、それを維持することが国家の至上命令となる。とうぜん教育現場でも一般企業でも、「自衛軍隊」を保持するために必要な種々の施策が施されるようになるだろう。

 憲法改正論議を別としても、サービス過剰でお客様気分が蔓延している今の世の中。自分の家が火事になっても119番を呼べば消防署が消しに来てくれる。これと同じ発想で、海外派遣なども職業人としての自衛隊員が勝手に出かけていってくれていると思っている人も多いのではないかと思う。

 しかし、少子化が進めばいずれは、自衛隊の志願者も「戦力を保持できない」までに減少することになるだろう。かといって赤字体質の国家財政のもとでは給料で優遇することにも限界がある。となれば、いずれ小中学校で、自衛隊員にあこがれるような種々の教育が導入されるようになるだろうし、教職免許取得の要件として、最近導入された介護体験に加えて、自衛隊への体験入学が義務づけられるようになることも十分に考えられることだ。一般企業の場合も、一定割合で自衛隊退職者の採用を義務づけたり、体験入隊を導入している企業への税制面での優遇が施されるようになるだろう。

 以上述べた防衛上の問題は、憲法改正が行われようと行われまいといずれ深刻化してくることが必至。護憲論の立場の人も、ただ「徴兵制になったらイヤでしょう?」というような個人主義的な不安を煽るような視点から反対論を唱えるのではなくて、戦後50余年の平和がどういう仕組みの中で維持されてきたのか、そのために憲法九条がどう貢献してきたのかという視点から、建設的な主張を展開していくことが求められる。

 それから近く行われる衆院選挙にあたっては、各政党は憲法のどの条文をどのように改正したいのか、もしくは議論となっている部分についてどういう理由で改正に反対するのかを正々堂々と明記して戦ってもらいたいと思う。投票前には「国民の意見を聞いた上で慎重に対処する」などと綺麗事を並べて曖昧にしておき、選挙後に本音を出すなどということは絶対にやめてもらいたい。

 以上、Web日記には馴染みにくい話題ではあるが、これをパスして日常生活を語ることはできないとの視点から、あえて長文の考えを述べてみた。この種の話題には感情的に反発する方も多いと思うが、いつものことながら、ご意見・反論等は御自分のHPのほうに掲載のうえurlのみお知らせください。
【ちょっと思ったこと】
  • 「I love you」によるウィルス

     昨日あたりからTV番組で「『I love you』というタイトルのEメイルを開くと画像や音声情報を含むファイルが破壊され、さらに登録されているアドレスにばらまかれる」というようなニュースが伝えられているが、どんなOSで、どんなメイルソフトを使った場合に被害にあうのかをもっと具体的に伝えてもらいたいものだと思う。私が主として使っているWinbiffの場合は、原則として「テキストベース+添付ファイル」として受信されるので、添付ファイルを開かない限りは自動的に感染することはあり得ないと思うのだが。余談だが、先日、妻がEメイル練習用に私とやりとりしたメイルのタイトルは「愛しているよ」ばかりだった。.....などと笑い事を並べている場合じゃないか。
【今日の畑仕事】

旅行中につき何もせず。
【スクラップブック】