じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] ネメシア。赤、黄、薄紫など多彩。好きな色の苗を買ってきて大事に育てれば、翌年用の種をとることができる。種から育てる場合は霜よけが必要。


4月21日(金)

【思ったこと】
_00421(金)[心理]生きがい本の行動分析(8)内山節『自由論』(1)「自由な関係の創造」という思想

 昨年12月6日以来の続き。今回からしばらく、内山節氏の『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(1998年、岩波書店、ISBN4-00-023328-9)をとりあげていきたいと思う。

 内山氏は私とほぼ同年代の哲学者。ETV特集「ふるさとは華の都にまさりけり」という山村の生活文化を紹介する番組に出演されたこともあり、98年4月28日、同年5月10日の日記で関連する話題をとりあげたことがあった。この『自由論』は、信濃毎日新聞に1995年1月から1996年12月までの連載を単行本化したもの。あとがきで著者ご自身が述べておられるように、「新聞連載にはむかないのではないかと思われるほどに冒険的」な内容。自由をキーワードに労働と生きがいについて斬新な視点が語られており、長谷川ゼミの文献案内リストにも含めてある。

 本書の趣旨をあとがき[p.325〜328]に従ってまとめてみれば、
  • ヨーロッパ近代社会が生み出した近代的自由観を批判
  • 近代思想は、個人を固有のものとして、つまりすべての関係性を断ち切っても、なお個人という実体が存在すると考えた。本書はこれに対して、その関係をすべて失ってしまったら、私という個人もまた成立しえないと考える[p.327]。
  • 自由を固有の個人が所有する権利としてではなく、自由な関係の創造のなかにとらえるという視点[p.327]。
ということになるかと思う。

 内山氏の主張の中で特に参考になるのは、労働と自由についての発想の転換だろう。労働をめぐっては
  • 労働は人間的で自由な営みにしなければならない。すなわち「労働の自由」をめざすという発想。
  • 労働はもともと不自由な面をもっているのであり、余暇時間がすなわち「人間的な時間」にあたる。すなわち「労働からの自由」という発想。
という2つの考え方があるが[p.109〜110]、内山氏は前者の立場をとっている。これに対して資本主義社会では、雇用者側も労働運動側も、後者の立場から賃上げや労働時間短縮の問題を協議してきた。こうした背景には個人を代替可能な一個の労働力にすぎない[p.104〜105]存在にしてしまっているという、産業労働の仕組みがある。このことによって、労働が有用な関係性を喪失していったというのが内山氏の主張。これは産業労働ばかりでなく農業近代化の中にも同じように現れているという。

 じつは内山氏の言う「関係性」は、私がこれまで取り上げてきた「行動随伴性」に完全に置き換えることが可能。次回に続く。
【ちょっと思ったこと】
  • 「二千円札」を早口で繰り返すと.....

     二千円札がいよいよ7月に出回るとか。当初は1億枚。今回の二千円札は偽造防止に特殊な印刷が施されているというが、そもそも二千円札って、早口で繰り返すと、「ニセンエンサツ、ニセンエンサツ、ニセエサツ、ニセサツ、ニセサツ.....」と変化することはないかな。

  • 京都まで15分、米原まで37分と言うが.....

     昼前に岡山発、某学会の理事会出席のため東京に向かう。新幹線で新大阪付近を通り過ぎた時、「京都まで15分、米原まで37分」というような看板が見えた。新幹線を利用した通勤を勧めるもののようだった。米原から37分というのは確かに便利だが、京都から新大阪までだったら新快速でも30分以内で通勤可能。自由席からホーム階段までの移動、二重の改札などの手間を考えたとき、わざわざ新幹線を使って京都から大阪方面まで通勤・通学する人はそうは居るまいと思うのだが。1つだけ考えられるのは、ラッシュ時でもゆったりできる点か。

  • カイシャの制服

     4/22朝6時台のNHKニュースによれば、コスト削減のため女子社員の制服を廃止する企業が増えているとか。もともとカイシャの制服は、戦後の衣料不足の時代に銀行が導入したのが最初だったとか。番組では実際に廃止した某証券会社の事例が紹介されていた。制服については個性が否定されるという廃止論がある一方、9割の女性が制服存続を望んでいるとのアンケート結果もあるという。いちばんの理由は、制服が廃止されると何を着てよいのか悩むことにあるらしい。そのうち出勤用の服を勝手に決めてくれる貸衣装屋さんが繁盛するようになるかも。いずれにせよ、個人負担が増えることは間違いなさそうだ。

  • さいたま市

     埼玉県の浦和、大宮、与野3市の合併後の新市名は、ひらがな書きの「さいたま市」に決まったそうだ。埼玉と言えば、高校の頃、自転車で世田谷から新座市の平林寺までサイクリングに行ったことがあった。練馬区の大泉から新座のほうに入ったとたんに道路の舗装が途絶えて砂利道となり、ああやっと埼玉県に入ったのかと印象づけられたものだが、その後関越道が近くを通るようになりあのあたりもずいぶん様変わりしたことかと思う。

     余談だが、北関東の県庁所在地は、水戸、宇都宮、前橋というようにすべて県名と別の名前になっていた。栃木県には栃木市、群馬県には群馬町、茨城県にも水戸の南に茨城という地名が別にあったけれど、埼玉はどうだっただろうか。


【今日の畑仕事】

 上京中につき何もできず。
【スクラップブック】
  • 昨年配達された郵便物は国民一人あたり208通で過去最高。ネットの普及で減少するとの予想に反し、企業などからのネット関連の案内物が増えたため[NHK4/22朝のニュース]。