じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


4月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 農学部東西通りの銀杏並木。新緑の季節になってきた。


4月20日(木)

【思ったこと】
_00420(木)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(17)科研費優先主義?の弊害(中編)

 まず、昨日の日記で
現行の科研費の採択審査は必ずしも透明とは言えない。採択、不採択いずれの場合も、その理由を審査者の実名を付して公表するとともに、不採択を不服とする者の申し立てを審査する独立機関、あるいは、採択・不採択の決定が適切に行われているかどうかを評価する第三者機関の設置が求められる。
と述べたことに関して、掲示板にてある大学院生の方から以下のような情報をいただいたので一部をご紹介させていただく。なお改行、リスト、リンク部分は修正させていたただいた。
アメリカの場合(NIHやNSFへの研究費の申請:日本の科研費に相当する)、日記の中で提言されているようなシステムがすでに実現されています。
  • 審査員名の公表
  • 不採択理由の説明
  • 不服の申し立て
自分の申請は何人中の何番目の評価を得たか、そして何番目までが採択されたかまで教えてもらえるらしいです。 また、NIHは申請書そのものも公開しています。
(密かに、各種申請書を書くときの手本にしています。)
http://crisp.cit.nih.gov/

[cf.] http://jsi.bcasj.or.jp/Newsletter/JSI_Newsletter_vol7no1_p13.htm
貴重な情報をどうもありがとうございました。

 さて、今日も時間が無いので、昨日の日記で書き残した点を追加するにとどめておく。
  1. 科研費に限らずTAやRAの経費でもそうだが、実際の配分額が申請額の7〜8割、時には半分に減額されるということはよくあることだ。それを見越して、中には最初から不正にならない範囲で水増しの請求をする研究者も居ると聞くが、こうした馴れ合い?は本来あってはならないことだ。

     もし申請者が本当に必要最低限の経費を要求していたとすると、一銭でも減額されれば研究の遂行ができなくなるはず。ここでもっと文句が出てもよいし、場合によっては受給を辞退したってよいはずだ。それをあまり見かけないのは何故だろうか。

     もちろん、従来は、減額された分を通常の講座費で補う形で対処できた場合もあった。しかし、昨日の日記で述べたように、今後、すべての講座に非実験系の予算しか配分されなくなれば、そういう対応は不可能になる。どうなっていくのだろう。

  2.  昨日の日記の4.で

    採択され配分された科研費が本当にその研究テーマどおりに支出されたのかどうか、成果が十分にあげられたかどうかをきっちりと監査・評価する機関が必要。
    と書いたが、別の見方をすれば、研究というのは政策の実行と違って、研究の遂行過程で思いがけない困難にぶち当たったり、逆に予想外の発見から別の方向に展開するという場合もありうるものだ。となると、当初の研究計画を型どおりに遂行するだけが予算の適切な執行とは言い切れない面もある。しかしそういうことを含めて、適正に監査や外部評価を行うには、相当の人的コストを必要とするはず。監査を厳格にすることが、かえって税金の支出を増やすという別の問題が出てくる可能性もある。
【ちょっと思ったこと】
  • 円高なのにマイナス表示とは

     このところユーロがどんどん値下がりし、19日のニューヨーク外国為替市場ではユーロは対ドルで史上最安値を更新。対円でも、1ユーロあたりついに100円を切っている。円ドル相場のほうも、いっときの100円ギリギリよりはやや円安気味にはなっているけれど、昨年夏が120円前後であったことを思えばかなりの円高になっていると言えるだろう。

     このことでふと思ったのだが、新聞やテレビで円安を「↓」、円高を「↑」(いずれも実際には矢羽根が斜めになっている)で表す一方、数値のほうを1ドル当たりの円で表すというのはどうも不自然であるように思う。例えば1ドルが110円から105円になるのは「マイナス5円」の変化になるのに、矢印は「↑」、表現も「円」と言われる。数値が減っているのに上昇表現を使うのはどうも矛盾しているように思える。

     そもそも「円高」というのは、外国人が日本の通貨を手に入れようとする時、いくらの外貨を払えば100円玉と交換してくれるだろうかという視点で為替相場の変動を表現したものであると言えるだろう。上の例で言えば、1ドルが110円から105円になるというのは、100円が約91セントだったものが約95セントに値上がりするということ。だから「円高」と呼ぶのである。

     世界全体の為替相場の動向を見渡したとき、円だけが他通貨全体に対して値上がりしている時には「円独歩高」というような表現を使うことには意味があるけれど、単純に対ドル相場だけの変化を捉えるならば、「円高」、「円安」ではなく「ドル高」、「ドル安」という表現に変えるか、もしくは、「1ドルあたりの円」ではなく「100円あたりのドル」で変化を表示するべきであろうと思うがいかがだろうか。
【今日の畑仕事】

 ホウレンソウとブロッコリーを収穫。
【スクラップブック】