じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 桃の花が見頃になった。写真にあるのは花を見るための桃で近くの老木の種から育った二代目。食べられるような実はならない。


3月24日(金)

【思ったこと】
_00324(金)[数学]日本語と英語で面白さの違う?数列問題

 Island LifeのShiroさんが3/21の日記で

1
11
21
1211
111221
312211
...
この数列の規則をみつけて後を続けよ。
という問題を出しておられた。すでに正解を公表されているのでその一部を引用させていただくと、
1を "1個の1 (One one)" と読み、11が得られる。 11を "2個の1 (Two ones)" と読み、21が得られる。それを One two, one one と読み1211が得られる。.....
と続くというものだ。私もさっそく、その日本語バージョンを「日記読み日記」に書かせてもらった。「日記読み日記」では一部曖昧なところがあったので、次のような伝言ゲームに書き改めてみた。受け取ったカードに書かれてある数字を一定のルールに基づいて別のカードに書き換え、次の人に引き渡していくというリレーゲームであり、
  1. 受け取ったカードに書かれてある数列は、左から順にその人が受け取るn万円札の種類を示すものとする。但しは、n万円札(n=1、2、3、...)はすべて揃っているものとする。
  2. カードを見た人は、お札の金種とその金種を連続して何枚受け取ったかということを、枚数→金種の順に、新しいカードに数字を並べて記していく。例えば「11222」とあった場合は、「2枚の1万円札、3枚の2万円札をそれぞれ連続して受け取るので「2132」と記さなければならない。
  3. さらに次にカードを受け取る人は、その数列を1.と見なして同じように書き換えを進める。
このルールに基づいて伝言を続けていくと...
  • 1:1万円札
  • 1→1枚の1万円札→11
  • 11→2枚の1万円札→21
  • 21→1枚の2万円札と1枚の1万円札→1211
  • 1211→1枚の1万円札、1枚の2万円札、2枚の1万円札→111221
  • 111221→3枚の1万円札、2枚の2万円札、1枚の1万円札→312211
というように数列が形成されていく。

 さてこの問題で面白いと思ったのは、英語では、oneとかtwoという言葉が、名詞と形容詞の両方の意味をもつということだ。例えば「One two, one one.」というのは「1、2、1、1」にも聞こえるし、「1個の2、1個の1」という意味にもとれる次第。部分的に複数形の「s」がつくけれど、名詞と形容詞のどちらにもとれる発音をするからこそ、問題としての面白味があるのだと思う。

 日本語でも「みっつのひとつ、ふたつのふたつ、ひとつのひとつ...」というように「の」を小声で言えば何とか体裁が整うだろうが、あまりスッキリしない。この問題は、数学的な面白さとは別に、数を表す名詞と形容詞が全く同じ言葉で表せるという英語特有の語呂合わせの面白さが含まれているように感じた。
 
【思ったこと】
_00324(金)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(16)クォーター制の導入

 最近の大学教育改革の中で俄に浮上してきた話題の1つに「クォーター制の導入」という問題がある。ここでいうクォーターとはquater、つまり4学期制のことだ。うちの大学では昨年度から、それまで7月中旬から8月いっぱいとなっていた夏休みを8月〜9月に移動し、前期は7月末まで、後期は10月1日から2月中旬までとする完全セメスター制が実施されている。「クォーター制」が導入された場合は、これらをさらに2分割、たとえば、4〜5月、6〜7月、10〜11月、12〜1月というふうに分割し、それまで週1コマ15時間で行っていた授業を週2コマ、7〜8週間で完結させるというものだ(アメリカでは各期10週間程度、あいだに短期間の休みが挿入されているようだ)。このメリットはどういうところにあるのだろうか。

 主な根拠を箇条書きにしてみると
  1. そもそも同じ講義が1週間に1コマだけでは間延びしすぎる。同じ講義を1週間に2コマ実施することで教育の高密度化がはかれる。学生にとっても各クォーターにおける具体的な獲得目標と修得の成果が明確になる。
  2. 授業の高密度化によって必然的に予習・復習が必要となり、過剰な数の履修登録は実質不可能になるため、登録上限制を設ける必要も無くなる。
  3. 教員側としては、特定期間を授業に専念する見返りとして、残りの期間を研究に専念できるため、教育と研究の両立がはかりやすい。海外出張による休講なども避けられる。
といったところだろうか。いっぽう、クォーター制を導入するデメリットとしてはどういうものがあるだろうか。考えられるものとしては
  • 人文社会系の場合、数カ月程度では実験や調査が終わらないケースが出てくる。
  • いずれにせよ卒論指導やゼミ指導には通年の指導が必要であり、「サバーティカル」のように研究に専念する期間を設けることは実質的に不可能。
といったところだろうか。もっとも、クォーター制の中で「実習1、実習2、実習3、実習4」というように便宜上4分割して通年指導することもできるので、これによって何かが損なわれるというデメリットはあまり無いようにも思える。外国語教育の場合なども、通年や半年でだらだらやるよりは短期集中型のほうが成果が上がるとも言われている。もう少し資料を収集する必要があるが、「具体的な獲得目標と修得の成果が明確になる」というのはまさに行動分析学的な発想であって大いに肯定できるように思う。
【ちょっと思ったこと】
【今日の畑仕事】

多忙につき何もできず。
【スクラップブック】