じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] デージー。園芸書によれば「モンストローザ・ピンク」という大輪種。


3月23日(木)

【思ったこと】
_00323(木)[数学]一進法その後

 昨日の日記
そもそも一進法とはどういうことなのだろうか。基本的には1個のキャラクターで個数や序数を表記する方法ということになるのだろうが、二進数以上と根本的に違うのは、文字列の位置が情報をもたないということ。例えば二進数では「10」を左右逆転させると違う数になるけれど、「一進数」は別に二列でも、縦でも斜めでも、かたまりでも情報が変わらない。袋の中に入ったコインのようなものだろうか。
と書いたことについて、もう少し考えてみた。この種のことはおそらく数学教養書に書かれているはずなんだが、とりあえず私が自力で考えたことを先に記しておきたいと思う。

 まず、上記で二進数以上は文字列の位置が情報を持つというように書いたが、これはn進法の必須条件ではないということに気づいた。そもそもn進数の「進数」とは有限個のキャラクターと位取りによって、個数(基数)や序数を簡潔な情報として伝えることに意義があったわけで、位取りが正確に伝えられるのであれば必ずしも位置にこだわることはない。例えば、十進法ではふつう一の位の左側に十の位を書くけれども、一の位を赤字、十の位を青字で表すということに決めておけば、35という数と53という数は同じ数を表すことになる。色の代わりに、コインのように大きさや材質で区別してもよいわけだ。

 次に漢数字について。漢数字の場合もそれなりの位取りをしていることは確か。算用数字との違いは、位取りを位置ではなく文字列の挿入によって表しているということだろう。例えば「二百万五千三円」という時、「百万」は100万の位、後のは100の位を表しているということ。ずいぶん複雑なようだが、我々が数字を読み上げる時は、漢数字表記そのままで読んでいる。漢数字のキャラクタは、万、億、兆、京、....とずっと続くので一概に何進法と言うことはできないけれど、数字を四桁で区切る読み方が多いところからみて「万進数」に近い扱いをしているようにも見える。とすると英語の読み方は「千進数」か。

 漢数字による表記というのは、簡単に言えば、多数の1円玉を、最少枚数の1万円札、千円札、100円玉、10円玉に両替した時に、それぞれの紙幣・貨幣が何枚あるのかを大きい順に並べた文字列と考えてもよいだろう。「三万一千五十三円」とは、それだけの金額の1円玉を1万円札3枚、1000円札1枚、10円玉5枚、1円玉3枚に両替できるという意味だ。

 もう1つ、昨日の日記の「11111111」から連想したことだが、上記の、紙幣・貨幣による数量の表記を考えた場合、例えば「53円」というのは「十十十十十一一一円」というように表すこともできる。ずいぶん長ったらしい表記になるように見えるが、十進数2桁の数値はすべて2個のキャラクターだけで表現できるというメリットがある。キャラクターを増やして桁数を節約するのと、どっちがよいのだろうか。こういうメリットデメリットの議論を小学校の算数に取り入れたら面白くなると思うのだが...

※3/24追記:その後gooで検索した結果、以下のような参考サイトが見つかった。
※3/25追記:息子が中1の時に読んでいた『数学物語』(矢野健太郎、角川文庫、ISBN4-04-311801-5)に、いろいろな記数法についての紹介があった。
【ちょっと思ったこと】
  •  3/23は全学の委員会の引き継ぎ。懇親会の席上である先生が、大学の教員が行うべき講義は
    • その教員の専門分野について独自の研究内容を伝える講義
    • その研究を遂行することについてのフィロソフィーを明らかにする講義
    • 専門的知識をもたない一般市民、経済界、政治家などに、その分野の内容を分かりやすく伝える講義
    の3つであり、どれも欠けてはならないというような話をされていたのが印象に残った。ちなみに来年度は私は新委員として、全学の中枢機構の実施部門の一端を担うことになる。実名でこの日記を書いている手前、発言内容もますます慎重にならざるをえなくなってきた。

  •  3/24朝日新聞によれば、自民党・教育改革実施本部のグループは23日、自民党の大学政策の基本になる提言案をまとめたという。記事の内容を私なりに箇条書きしてみると、
    1. 特例法による国立大の法人化
    2. 金融業界のように国立大の「再編統合」を進めるべき
    3. 「選別と淘汰は避けられない」
    4. 各大学の業績を予算配分に反映させること
    5. 「先端分野の研究に重点を置く大学」「教養教育に特化した大学」など個性化を進める
    6. 選挙による現在の学長選考が「人気投票」になっているのを改め、本当に能力がある人を選べる仕組みを考える
    7. 教授らが地位に安住しないように、任期制の導入を進める
    8. 大学の意志決定がスムーズになるよう、学部の教授会の権限を限定する
    などを示したという。

     この中には納得できる点もあるし、積極的には同意できないものの御時世としてやむを得ない点もあるが:
    • 岡山大学のような地方大学の場合は、「先端分野の研究に重点を置く大学」か「教養教育に特化した大学」かという二者択一型の選択は難しい。先端分野の研究をめざすだけだったら研究所を作ればよい、学生なくして何の大学かという気がする。それと、地球環境全体のことを考えながら先端研究を進めていくためには、テクノロジー一本槍の教育では不足。その技術が人間にどういう価値をもたらすものなのか、それを使うことで人間の行動がどう変わっていくのかという面もきっちり考えていく力が必要。そういう意味では教養教育を抜きにした研究者や専門家の養成はあり得ない。
    • 選挙による現在の学長選考が「人気投票」になっているというのは、何を根拠に主張されているのだろうか。もし「選挙による」だから「人気投票」というなら、国会議員も地方自治体の首長もみんな人気投票ということになってしまう。ちなみに、私の大学の場合は、学長選挙に先立って各候補者の政見が紹介され、立ち会い演説会のようなものも開かれている。
    • 教授の任期制導入については、任期満了後の再任用を誰が決めるのかという点に大いに問題がある。再任用の審査が身内で行われるのであれば形骸化してしまう恐れがあるし、学長直属機関が判断するとなると反対勢力の排除に悪用される恐れがある。私はむしろ教授の定年を60歳に引き下げ、60歳になった時点で自動的に解雇。その後は、別の大学に招聘されてさらに研究を続けるか、学部長・評議員など管理職として再雇用されるか、教養教育中心の非常勤講師として雇用されるか、その教授の得意とする道を選べばよいと思う。
【今日の畑仕事】

多忙につき何もできず。
【スクラップブック】