じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 暦の上では2/4が立春。ということと関係あるかどうか分からないが、早くも妻手製の雛飾り。

2月3日(木)

【思ったこと】
_00203(木)[教育]『受験勉強は子どもを救う』か(1)メランコ型(躁うつ病型)とシゾフレ型(分裂病型)

 行動分析学会ニューズレターに「生きがい本の行動分析」というエッセイを連載している。今回は受験シーズンということもあって『受験勉強は子どもを救う:最新の医学が解き明かす「勉強」の効用』(和田秀樹、河出書房新社、1996年)を取り上げた。

 この本の著者の和田秀樹氏は、灘中・灘高から東大理IIIに入学。精神分析学を専門とし神経科の医師として活躍されておられるほか、『数学は暗記だ』など受験指南書多数、心理学関係者のあいだでは、市川伸一氏との共著『学力危機 受験と教育をめぐる徹底討論』(河出書房新社, 1999年)が話題になったこともある。私自身もこの『学力危機』を通じて本書の存在を知った。

  人生には、平坦で比較的安定した時期とは別に、困難な状況に全力で立ち向かわなければならない時期がいくつかあるものだ。いまの日本人にとって、その最初の関門が大学受験であるという人は結構多いのではないかと思う。そこで
  • 受験は本当にメンタルヘルスに悪いものなのか?
  • 若者の多くが生きがいを持てないとしたらそれは受験勉強のせいなのか? 
  • 受験がそれが善玉悪玉どっちであるにせよ通り抜けなければならない関門であるとするなら、せめてできる限り「充実した受験生活」を送るにはどうすればよいのか? 
といった疑問が出てくる。多くの受験生やその家族にとって、これらは切実な問題になっているはず。本書には決して励ましの言葉はないが、そうした疑問の解決を通じて、結果的に受験生に生きがいを与える内容を含むものとなっている。

 しかしこの本、単なる「受験生励まし本」でもないし、「受験勉強擁護論」にとどまるものではない。青年の発達や教育改革論議のなかで横行しているもろもろの固定観念に対して、「本当のところはどうなんだろう」というクリティカルな見方が満載されているように思う。和田氏の主張に賛同するにせよ反対するにせよ、そこで提起されている諸問題について自分なりに考え直してみる必要を感じ、例によって不定期更新(主として平日限定)ながら、この連載を始めてみることにした。

 さて、本書は、「受験勉強=悪玉論への反論」、「日本人の性格変化」、「人生にとっての受験勉強の意義」、「日本全体からみた受験勉強の功罪」という4章構成になっているが、依拠する立場やロジックから主張内容を分類してみると、
  1. 御自身の精神分析学の立場から諸現象を解釈している部分
  2. 既存の精神分析学の一派あるいはそこから派生した固定観念を批判している部分
  3. 精神分析学と無関係に形成されているステレオタイプを批判している部分
のあることに気づく。

 まず、上記1.に相当する部分としては、1970年代中盤を境にした学生のパーソナリティの変化についての解釈がある。具体的には、メランコ人間(躁うつ病型)の時代からシゾフレ人間(分裂病型)の時代への変化があったという指摘[p.52〜54、115〜120]であり、実際この頃から、五月病に代わってスチューデント・アパシーが問題にされるようになったという。

 1971年に大学に入学し1980年に大学院を出た私自身、その変化は身にしみて感じた。もっとも、あの当時はベトナム戦争の終結などによる世界情勢の変化や学生運動の衰退が顕著であった。それまでの学生のようにバリケードストライキに参加するのか、団交の場から逃避(もしくは政治闘争は学生の本分ではないとして)勉学に没頭するのかというような二者択一型の選択を求められることは無くなった。「パーソナリティの変化」は事実であるとしても、もう少し外部的な諸要因に因果的説明を求めたいところがある。

 余談だが、Web日記もメランコ型(躁うつ病型)とシゾフレ型(分裂病型)に分けることができるだろう。もっとも個々の人間がそういう形でタイプ分けできるものなのか、同一人間の行動特性を二次元モデルとして説明する時のファクターとして「メランコ要因」と「シゾフレ要因」を取り入れたほうがよいのか、このあたりはまだまだ考える余地があるように思える。
【ちょっと思ったこと】
  •  前回に引き続いて「週刊ストーリーランド」を見る。今回は「完全犯罪? 女殺し屋の想像できない完ぺきな犯行手口は?」というのが面白かった。この殺し屋に金を払うと、依頼対象の人物は数ヶ月以内に必ず死ぬ。しかも、死因はどうみても他殺の疑いの無い「脳溢血」や「心筋梗塞」。警察も手の出しようがない。
     実はその女殺し屋というのは病院の看護婦。余命いくばくも無いと宣告された患者が居ると、その患者に憎しみをいだいている人に殺しを引き受けましょうと話を持ちかける。依頼人にしてみれば、自分が依頼した結果として相手が殺されると錯覚するが、実際は、依頼という行動と病死という結果が時間的に接近していただけ。これぞまさに「随伴性」そのものといった感じだ。原作は星新一氏だとか。もっとも、こういうトリックは霊媒師や占い師、新興宗教の勧誘などでよく使うのでは?あらかじめ十分に調査しておいて、あたかもその時の占いが当たったかのように見せかけるトリック。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
風邪の兆候が出てきたので中止。