じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa

[今日の写真] 万両。実をならせたままにしておくと翌年は裏年になる。この鉢は3年目で「表年」にあたる。そういえばよく間違えられる木に「千両」があった。ミレニアムにちなんでもっと売り出してもよいように思うのだが、キリスト教起源のミレニアムに和風庭園の木は合わないのだろうか。

12月12日(日)

【思ったこと】
991212(日)[一般]推理サスペンスものを好む子どもたち

 このところ子どもたちが毎晩のようにTVの推理サスペンスものを見ている。我が家は室内が狭いことと家族バラバラになるのを避けるために、未だにテレビ受信機は居間の1台のみ。この1台がビデオ再生用にもTVゲーム用にもなるわけだが、私としては少々耳障りだ。

 子どもたちがこのジャンルを好むようになったきっかけは月曜19時からの「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」にある(99年1月25日の日記に関連記事あり)。その後、妻の好みもあって「古畑シリーズ」に熱中、さらにそのパロディ版、21時台の番組へと広がっていった。まさに行動分析で言うところのシェイピング手続そのものである。

 こういう番組で多少気になるのは、毎回のように殺人があること。98年10月26日の日記にも書いたように、あまりにも人の死を粗末に扱いすぎていないかという気がしないこともない。もっとも子どもたちにあっては殺人事件はあくまで推理対象にすぎない。謎解きそのものが面白いのだという。

 その証拠に、今年の10月頃から、上記の番組のうち「名探偵コナン」を見たがらなくなった。理由を聞いてみると、すでに二人とも単行本を読んでしまっており、ストーリーを知っているとつまらないからだという。このことから、コナンの面白さは単純に謎解きの面白さのみ。キャラクタへの魅力や、殺人事件それ自体へのホラー的快感ではないことが分かる。

 謎解きものが好まれる理由は、おそらく、分かりやすいということに尽きるのではないかと思われる。要するに、最初に殺人事件ありき。それゆえ、もはや「人を殺さなくても済んだのでは...」とか「どうやったらくい止めることができるのだろう」といった余計なことに頭を使う必要が無いのだ。ホントはそっちを考えることのほうがはるかに大切なんだけれど...。

 そして、その殺人事件がどういうトリックによって行われていったか、犯人がどういう隠蔽工作をしたかが解き明かされていく。現実の世界では、多数の要因が複雑に絡み合って初めて殺人事件に至る場合が多いが、ここでは犯人が確認された段階で一件落着。数学の証明問題が解けた時のような安堵感が生じるのではないかと思う。もちろんたいがいの作品では、逮捕後に犯人の弁明や自己反省のシーンが付加されているけれど、それは単に視聴者に納得を与えるだけの気休めにすぎない。真犯人発見に至る推理手順は見事なものだと思うが、真犯人の最後の告白内容は無批判に受け入れてしまうところがフィクションらしい。もっとも最後の告白がスッキリしなければ、番組を「完」とするわけにはいかないけれど.....。

 推理サスペンスと逆に子どもたちがゼッタイ見たがらない番組がある。土曜の午後にやっているNHKの「中学生日記」だ。中2の息子にはうってつけの番組だと思うのだが、微妙な「心の揺れ」を描くようなファジーな番組は苦手ということなのだろうか。あるいは単に、親と一緒に見るのは恥ずかしいということか。ま、いずれそういうものにも関心を示すようになるんだろう。
【ちょっと思ったこと】
  • 12月10日の日記に書いた「恋におちたシェイクスピア」(字幕スーパー版)を家族の留守中に見た。評判どおりの名作だと思うが、感動の質や度合いは、シェイクスピアの作品をどれだけ知っているか、「ロミオとジュリエット」にどれだけ感動したことがあるかによってかなり変わってくるように思った。妻にこのことを話したら、「教養の無い人間は見ても面白くないのね。じゃあ私は見ないわ」と言われてしまった。どっちにしても妻は字幕スーパーは目が疲れるといって嫌がる。いずれ日本語吹き替え版を借りてきて夫婦でもう一度見たいものだが、結婚生活16年半の今頃になって、夫婦の愛情を深めるような共通の感動は得られるだろうか。
【本日の畑仕事】
ナスとトマトの畑を掘り起こし、ブロッコリー苗3ポット、キャベツ苗5ポット、ネギ苗たくさん植える。ジャガイモ掘りあげ。
【スクラップブック】