じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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金木犀。いくつかのWeb日記でも話題になっているように今が見頃(というか今が匂い頃)。岡大構内には、他に銀木犀とヒイラギ木犀がある。 |
【思ったこと】 991014(木)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(2):教養教育の質を向上させるには(その1) 昨日の日記の続き。今日は、教養教育について考えてみることにしたい。 国立大学における教養教育は、かつては法令で設置が定められた教養部によって行われていた。少し前までの4年制大学では、入学後2年間は教養部に在籍し、2年次から専門基礎的な必修科目を受講する機会はあるものの、本格的に学部別の専門教育を受けるのは3年次以降というのが一般的であったと思う。しかしこのシステムでは、せっかく特定の分野を志望して入学できたのに、なかなか専門科目を学べない。まったく興味の湧かない人文・社会科目、体育、さらには第二外国語の単位取得で四苦八苦しているうちに志望していた専門への興味も薄れてしまう。こうした問題をバックに、4〜5年ほど前から全国レベルで教養部が廃止され、教養科目は、教養部教官ではなく学部に籍を置く教官によって担当されるようになった。 実名で日記を書いている立場上あまり具体的なことは言えないが、どうやら全国レベルの教養部廃止は教養教育の質をどう向上させるかという議論に基づいて行われたものでは無かったようだ。新学部の設置であれ単なる改組であれ、それらは教官のポストをどう再配置するかという議論であって、教養教育についての議論をふまえた上での改革ではなかった。つまり、初めに教養部廃止ありき、あとから教養教育のあり方を議論しましょうという動きがあったことは否定できない。 ところがその前後から、オ○ム真理教の事件で理科系学部の秀才がいとも簡単にマインドコントロールされてしまったことが明るみに出たり、医師の倫理的な問題が議論される中で、教養教育の重要性を再認識する動きが出てきた。どの大学でも、教養部は無くしてしまったけれど、さてどうしましょうかという議論が求められているのではないかと思う。 昨日の日記では、学生が自力で学ぶことをサポートすることが大学教育の基本であろうとは指摘したが、そうは言っても、教養教育の質を向上させることはやはり必要だ。時間がないのでこの続きは明日以降とさせていただくが、私が言いたいことは結局は「質の高い教養教育行動をいかに強化するか」に尽きる。現行の「責任コマ数」というような発想では、いくら研修会などを実施しても質の向上には限界があると考えている。 |
【ちょっと思ったこと】
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【本日の畑仕事】
ミニトマト、ナス、人参、枝豆を収穫。 |
【スクラップブック】
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