じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] そろそろ栗拾いの季節となってきた。いつも疑問に思うのだが、天津甘栗の材料となる栗の実は何故日本では採れないのだろう。気候に合わないのか、品種が国外持ち出し禁止になっているためなのか、それとも天津甘栗という品種は無くごく普通の栗の実を使うだけなのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。

9月15日(水)

【思ったこと】
990915(水)[教育]大学っていうのは単位をとるだけの場では無いはずなんだが...

 9/15の朝日新聞によれば文部省は14日、大学設置基準、大学院設置基準など6つの省令を改正したという。この中に、ひじょうに気になるものがあった。それは
学部学生が早い段階で単位を「固め取り」して学習をおろそかにしないよう、一年間または一学期間で登録可能な単位数に上限を設ける
というもの。これが大学審議会の答申の中でどういう形で指摘され省令化に至ったのか、勉強不足でよく分からないが、勉学意欲旺盛な学生にまで「これ以上単位を取ってはいけない」という上限を課すというのはどうにも理解できない。岡大の学生が取得可能な単位は月曜日から金曜日までの各5コマ計25コマ分と、夏休みなどに行われる集中講義、授業時間とは独立して設定される卒論単位に限られており、これを超えて単位を取得することは物理的に不可能。上限を課すというのは、例えば一日に5コマ分フルに授業を受けてはいけませんということになるかと思うが、いったい何コマだったら適正ということになるのだろうか。

 “単位を「固め取り」して学習をおろそかにしないよう”ということに関連して1つだけ思い当たるのは、大学の単位の計算方法に関することだ。大学ではふつう、1回90〜100分の通年の講義が4単位として計算されている。この4という数字がどこから出てきたかというと、1回の授業時間に対してその3倍分を予習・復習、課題に取り組む時間に宛てることが前提になっているから「1+3=4」という数値が出てくると聞いたことがある(それゆえ、同じ授業時間であっても、予習・復習をあまり必要としない「演習」は2単位、その時間の体験だけが重視される「実習」は1単位になる)。もしこれを厳格に適用すると、1日2コマ200分の講義を受ける学生は同じ日に600分の予習・復習をしなければならない。となると講義時間と合わせて1日の勉強時間は800分=13.3時間となる。私も大学院入試の直前には毎日12時間の勉強をしたことがあるが、食事、入浴、買い物などの時間を考えると毎日13時間以上はちょっときつい。いずれにしても、現実の講義に対してそこまで予習、復習をしてくる学生は居ない。教官側もそこまで期待せずに簡単に単位を取れるようにレベルを下げてしまうから結果的に安易な「固め取り」ができてしまうのだろう。

 しかしそれでは上限を課したら学生が予習・復習時間を増やすようになるかと言えば、これはかなり疑問。授業のレベルを上げない限りは、余った時間が勉学以外に費やされる可能性が高い。内需拡大を期待するというなら話は別だが...

 このほか、もっと根本的に、“「固め取り」→学習をおろそかにする”ということが本当なのか、単位さえ取れば大学で学んだことになるのかというような所を、各大学の実状に合わせてもっと検討してみる必要があると思う。1年目に固め取りした学生が2年目に遊びまくるとは限らない。何らかの福祉施設でアルバイトをするとか、海外でボランティア活動をするとか、あるいは、夜間に専門学校に通って特別の資格を取得するというのは、全日制の大学教育の理念からみればふさわしくないとしても、本人にとっては生涯またとない貴重な体験になるはずだ。あるいは、「固め取り」をしたあと2年目以降も、さらに上級の講義をたくさん受けて必要単位を大幅に上回る単位の取得をめざす学生もいる。授業料を払って大学に来ている以上、授業をたくさん受けたいと希望する学生に多すぎるからダメだと言うわけにはいくまい。そのほか、単位はむしろ必要悪としてさっさと取っておいて、本当に学びたいことは研究会で学ぶという学生もいるはずだ。じっさい私の学生時代などはまだバリケードストが盛んでしょっちゅう休講になる時代だったから、講義よりも大学院生が組織する、学習心理学、知覚心理学、発達心理学といった分野別の研究会に参加することのほうがよっぽど勉強になった。

 ま、いろいろ考え方はあるだろうが、基本的にはあまり制限を設けず、勉学行動が積極的であればあるほどそれに応じてポジティブな結果が与えられるような行動随伴性のシステムを整備し、あとは学生の自主的な判断に任せるのがいちばんよろしいかと思う。高校生では無いのだから、あれやこれやと規制を加える必要はあるまい。固め取りが困るならそれができないレベルまで講義内容を難しくすればそれで済むことだと思う。

 余談だが、今回の省令改正の中には、大学院修士課程の長期在学コース(2年超)の設置を認める改正が含まれている。私はかねてより、「他学部を卒業してそれなりの学力を有するものが一から心理学を学び直しもともとの専門と関連づけながら学際的な修士論文研究を行うため、独自のカリキュラムと指導体制を整備して3年コースとして設置すべきだ」という主張を展開しており、今後はこの省令の中身をよく理解した上で実現化にむけて働きかけていきたいと考えている。
【ちょっと思ったこと】
  • シドニー五輪地区予選を兼ねたアジア選手権で、西武の松坂投手が好投したという。これ自体はまことに結構だと思うのだが、セパ両リーグとも首位と二位のチームが肉薄している時に二位チームの主力投手がなんで他の試合に出場しているのか、私のような素人にはよく分からないところがある。新人しか出られないのかと思っていたが、どう見ても古田は新人ではないよなあ。お国のために絶対勝つことを目指すのだったら、いったんプロ野球公式戦を中断して、巨人の上原、松井とかオリックスのイチローなんかも出場したらよいと思うのだが...。

  • 9/16の朝日新聞にグローバル証券の全面広告が出ていた。「日経平均株価が14800円以下にならない限り元金確保、年率4.0%の利金はいずれも確定」という宣伝文句があったが、株価連動でどうして4.0%もの高金利が確定できるのか、これも素人の私には分からない。絶対確実で安全なら誰でも手を出すと思うのだが、どういう仕組みになっているのだろう。
【イランで思ったこと(15)】イランの大詩人

[イランの写真]
 シーラーズではイランを代表する2人の詩人の墓を訪れた。最初に訪れたのがサアディー廟というところ。2番目がハーフェズ廟という名前。

 ガイドさんが「この二人のことをお話ししてもたぶん日本に帰ったらすぐに忘れてしまうでしょうけれど...」と解説を始めたが、実際、私も翌日には名前を忘れてしまった。特に同じ日に2箇所を訪ねたため、どっちでどういう写真を撮ったのかさえ覚えていない。ガイドブックとデジカメ写真のタイムスタンプを手がかりになんとか、詩人のお名前とそれぞれの廟の写真を見つけだすことができた。

 最初に訪れたサアディーという方は13世紀の詩人で、若い時は各地を放浪、70歳を過ぎて代表作を書き上げるという「生涯現役」を貫いた人である。ガイドさんの説明によれば「地球は1つのからだ。足の指先でも怪我すれば痛くてたまらない。全身の行動にも影響を与える。」というロジックで、世界のどの地域の争いごとも自分には無関係ではありえないと平和の大切さを説いたという。せめて英文に翻訳された詩集でも、と思ったが残念ながら帰国までに手に入れることができなかった。

 2番目に訪れたのはハーフェーズ廟(写真参照)。こちらは14世紀の詩人で、その詩集からゲーテが多くのインスピレーションを受けたことでも知られているという。廟の周りにはブーゲンビリアやバラの花が咲く。イランで最も偉大な叙情詩人にふさわしい庭園風景だった。
【今日の畑仕事】
レタス苗2株、ブロッコリー3株、タマネギ30球、スパラキシス球根50球植え付け。大根、チンゲンサイの種まき。
【スクラップブック】