じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 鹿子百合。行きつけの花屋で買った処分品の球根を植えっぱなしにしておいたところ今年も花をつけた。園芸書によれば「内田カノコ」という品種に近いようだ。

8月1日(日)

【思ったこと】
990801(日)[日記]99年7月の日記猿人界(1):4300番台の連続欠番の謎

 月初め恒例の日記猿人の話題。はじめに日記数の推移の報告から。表は8/1の8:40現在における登録日記数(最大登録番号-1)と、実質数(登録数から離脱した番号を差し引いた数)、ランキング不参加数の推移を示す。97年分についてはフリーティケットにアップしてある1998年6月1日の日記、98年分全体については本年1月2日の日記をご参照いただきたい。管理者用2本を除く登録番号数は4407、実質数は3852となった。登録番号の増加281は史上最高となったが、実質増加数229は前月の248をやや下回った。それでも史上第二位の記録だ。

 7月の特徴は、登録番号の増加(281増)の割に実質登録数の増加(229増)が少なかったこと。これは登録抹消などによるマイナス分が52本と、かなりの数を占めていたことを示す。なぜこれほどの登録抹消?が生じたのだろうか? ざっとチェックしてみたところ、こちらのリストに示すように、登録番号4300番から4343番のあたりで、連続した欠番があることが分かった。これだけ連続しているということは、個別的かつ自発的な登録抹消以外の何らかの要因が働いたに違いない。可能性としては、
  1. 日記猿人サーバー側に何らかのトラブルがあり、最初からその部分の番号が割り当てられなかった。
  2. 特定個人が、登録が失敗したものと勘違いして繰り返し登録操作を行い、あとでミスに気づいて抹消した。
  3. 登録された日記が、何者かによって削除されてしまった。
  4. 「恐怖の大王」が登録を妨害した。
 このあたり、私のほうでは原因はつかめない。どなたか情報をいただければ幸いです。
調査年月日登録数前月比実質数前月比存続率ランキング
不参加数
不参加率
99年 1月(990201)2984+2022607+1770.8744560.175
99年 2月(990301)3199+2152787+1800.8714160.160
99年 3月(990401)3404+2052963+1760.8704810.162
99年 4月(990501)3628+2243169+2060.8735120.162
99年 5月(990601)3861+2333375+2060.8745380.159
99年 6月(990701)4126+2643623+2480.8785740.158
99年 7月(990801)4407+2813852+2290.8746300.164
【思ったこと(2)】
990801(日)[一般]公衆道徳?

 昼過ぎ、家族が「噂の!東京マガジン:もう許せない!電車内の無礼横行」というTV番組を見ていた。電車の7人がけの座席シートを「3:1:3」の色分けを発案した人間工学専門の教授(お名前は失念した)が登場。「3:1:3」の色分けは当初は効果があったらしいが、現在ではさらに1人分ずつの席ごとにへこみをつけるとか、座席に密着してポールを立てるなどして、隙間を作らずに定員分の着席ができるような対策をとっているとのことだが限界あり。結局は「人間工学の守備範囲を超えた公衆道徳の問題である」というのが発案した教授のご意見であったように聞き取れた。

 しかし、車内での無礼行為が公衆道徳教育の徹底という形で解決できるかどうかは疑わしいところだ。というより、公衆道徳教育によってどういう行動を形成し、その効果がどこまで及ぶか(どこまで一貫した行動がとれるか)については、確固たる根拠があって発言されているわけではなさそうに見える。放置自転車問題とか学級崩壊問題などもそうだが、すぐに解決できない問題があった時の逃げ口として「公衆道徳の欠如」を持ち出しているに過ぎないように思った。

 では、本当の原因はどういうところにあるのか。私は日頃電車で通勤していないので現状やよく分からないけれど、周囲の人々と関わる行動に適切な結果が伴っていないことが最大の理由であることは間違いない。つまり近くにお年寄りが立っていても、そこで自分が席を譲る行動をとらなくても他の人がするだろうとか、それ以前の問題として、まわりに誰がいようと自分には関係無い、自分に関係のある世界は携帯電話を通じて聞こえてくる相手だけ。また近くで迷惑行為や不法行為があっても自分が迷惑を受けなければなるべく関わらないでおいたほうがネガティブな結果が伴わなくて済むという環境。この環境がある限り、いくら学校の中で公衆道徳の教育を受けたからといって現場で実践されることには結びつかない。ボランティア体験をさせても同様だろう。

 具体的な解決策についてはまた別の機会に書くことにするが、とにかく、人間の行動というのは思われているほど一貫性のあるものではない。状況や文脈に依存して、そこで設定された独自の行動随伴性に制御されるところが大きい。公衆道徳に限らず、知能とか創造性、思いやり精神などもそうだけれど、そういう精神、能力、性質等の一般性・普遍性に対する過度の期待は禁物だと思う。

※この番組専用のページがこちらにあった。「真ん中色分けシート」を考案されたのは千葉工業大学の小原教授であることが分かった。
【ちょっと思ったこと】

  • 新聞記事を見ていた息子が「ホクリ大学」と言っていたのでどこの大学かと思ったところ、「北里大学」であることが判明。そういや私が子どもの頃には北里柴三郎の伝記本などを読まされたものだが、我が家には1冊も置いてなかった。
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【今日の畑仕事】
  • 雨の合間にニンジンの間引き、インゲン収穫、ネギ移植。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
  • 8/1の朝日新聞記事によれば、長崎への原爆投下については、当時のレーダーの性能が低いことから「目視で投下できない場合には原爆基地に持ち帰る」という命令に反してレーダーを使用して投下された。その背景には、燃料浪費により4.5トンもある爆弾を持ち帰れないという事情と、「開発に20億ドルをかけた原爆を無駄にすれば作戦は大失敗とみなされ、軍法会議にかけられ投獄されるに違いないと思った」(当時の副操縦士のオリビ氏)といった心境があったという。