じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 千日紅。「紅」という名がついているが、この写真のように、ピンクや白(←ピンクの右後)の花もある。なお、さらに後ろにはる黄色の花はルドベキアであるが、これの野生種と思われるものが札幌周辺各所で見られた。バスガイドさんに花名を聞いたところ「反魂草(ハンゴンソウ)」と言っておられたので近縁種であることは間違いない(ルドベキアは大反魂草とも呼ばれる)。

7月31日(土)

【思ったこと】
990731(土)[生活]史上最短距離(自分比)で花火の打ち上げを見る

 7/31は岡山市の名物?である恒例の花火大会が旭川で行われた。北海道からの旅行帰りで暑さに慣れきっていない私であったが、珍しく家族全員で見に行こうという話がまとまったため、19時半頃にアパートを出て自転車で会場方向に向かった。

 花火大会は、子どもが大きくなってからは毎年見に行っている。見物場所は、記憶に残っている範囲で言えば、新鶴見橋付近、岡山城城壁、後楽園付近の旭川左岸、小橋付近...というように、子どもの成長に合わせて少しずつ打ち上げ現場に近いところまで見に行けるようになった。5〜6年前だったか、娘を自転車の後ろに乗せて帰っていると、娘がそのまま寝てしまったことがあった。自転車から落ちないように左手を後ろにまわして体をささえ、右手だけでハンドルを握るという危ない運転をしたこともあったが、今回はもちろんみな自分で運転。目的地までの時間も大幅に短縮した。

 今回見物会場に選んだのは、打ち上げ地点の中州が目の前に見える京橋北詰の土手であった。すでに帰り始めた人たちもいたため多少のスペースをみつけてすわりこんだが、間近に見る打ち上げは大迫力。特にフィナーレは見上げた空全体に火花が飛び散り、体全体がその中に引き込まれ、ちょうど宇宙船に乗って星雲の中につっこんでいったような気分になった。これほど間近に打ち上げを見たのは生まれて初めて。

 もっともこれだけ近くだと、目を大きく見開いて眺めて居られるわけでもない。風がこちらに向いて吹いていたせいもあったのだが、打ち上げのたびに、燃えかすがパラパラと空から降ってくるのである。私も到着した直後に目の中に燃えかすが入ってしまい、目をこすりながらの見物となってしまった。また、まだ火のついたままの燃えかすが手前の観客席に降りかかったことが数回あった。中には、シートの上でパチパチと火花を出していて観客があわてて消し止めることもあったが、特にパニックにもならず、火の粉を消してから平然と見物を続けるあたり、さすが地方都市ならではの荒っぽい花火大会という感じがした。
【札幌で思ったこと(1)】
990731(土)[一般]札幌で東西南北が分からなくなる理由

 北海道医療大学で行われた行動分析学会年次大会に参加するため、札幌のビジネスホテルに3泊した。この期間に思ったことを、記憶が確かなうちにメモしておきたいと思う。1回目は、札幌に来るとなぜ東西南北が分からなくなるかという個人的な問題についての考察。

 北海道に来たのはこれで11回目になるかと思う。不思議なことに、私は、札幌市内ではなぜか東西や南北の方向を逆向きに勘違いしてしまうことが多い。今回も
  • 駅を出てホテルと反対の方向に向かって歩いてしまった。
  • 地下道から地上に出た瞬間に東西南北の方向が全く分からなくなることが数回あった。
  • 時計台に向かって歩いていたつもりがゼンゼン違う交差点に出てしまった。
  • 札幌駅からJRの学園都市線に2回、千歳空港方面に1回、列車に乗ったが、いずれも列車が思っていたのと正反対の方向に走りだして驚いた。
 私はどちらかと言えば地理の把握や方向感覚は正確なほうであり初めて訪れた都市でも滅多に道に迷うことはないのだが、なぜか札幌だけは例外。そこで今回4日間滞在したのを機会に、その原因を徹底的に考えてみることにした。で、その考察の結果を記すと...

 札幌に来て方向を取り違える最大の原因は、私が学生・院生時代にずっと京都に住んでいたことと密接に関係しているように思う。周知のように、京都も札幌も道路が整然とした碁盤の目にしかれており、南北は「1条、2条...」というように数字がふられている。

 ところが、京都と札幌では次の点が根本的に違う。
  1. 京都は駅の北側に中心街があるが、札幌は南側。そこで、例えば今回のように駅のやや東寄りにホテルがある場合、「東に行くならば、駅を出て右に曲がればよい」という習慣が影響を与えてしまう。

  2. ホテルの住所が「西○丁目」などとなっていると、どうしても駅の西口から出たくなってしまう。実際には市内中心部は殆どが「西○丁目」という住所になっているのだ。

  3. 京都では、北から南方向に、一条、二条、三条というように数字が増加していくが、札幌では、駅から南方向に向かうに従って、北5条、北4条、..というように数字が減少する。

  4. 京都では、一条、二条というのは、通り(=道路)の名前。札幌では通り名ではなくて、ブロックの住所を表しているらしい。そこで交差点にある表示板を見ても、斜め向かいと「条」および「丁目」の数値が異なっている←そういや、道路の反対側にあるバス停の名前はどうやってつけるのだろうか?

  5. これまで札幌市内に滞在した時はたいがい曇りか雪、雨ばかりだった。そこで太陽を手がかりにして方向をつかむことができなかった。
 札幌駅から列車に乗り込む時に進行方向を間違えるのにはもう1つ別の理由があることが分かった。札幌駅のホームは全体が天井と壁に覆われているが、高架なのでガラスの窓ごしに外のビルが少々眺められるようになっている。そこで、列車に乗り込む時、まず、「札幌の市街地は駅の南側に広がっている」と復習した上で、窓の外にビルが見えているのであっちのほうが南なんだろうと判断する。次に地図上で、学園都市線や小樽方面は西向き、千歳線は東向きなので、窓の見えている方向の左手が千歳方面、右手が小樽方面であろうと判断してしまうわけだ。ところが、今回最終日に念入りにチェックしたところでは、学園都市線とか千歳線のホームから間近に見えているガラス窓の外の景色は、実は北のほうを向いていたのであった。「ビルが見えているから南向き」という思いこみが取り違えの原因になっていることがやっと確認できた。

 元の話に戻るが、もし私の仮説が正しいとすると、京都在住者は札幌に来て同じような錯覚を起こすはずである。また逆に、札幌在住者が京都に来た時にも混乱する可能性がある(もっとも、京都の場合は、比叡山や大文字が間近に見えるので、絶対方向を誤ることは無いと思うけれど)。もしそういう体験をお持ちの方がおられましたら、お互いを更新する掲示板などで情報をいただければ幸いです。
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】