じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ニゲラ。和名は黒種草という。花後の未熟の子房を切り取って日陰で干すとそのままドライフラワーになる。花色はここにある通り多彩。園芸書には黄色もあると書いてあったが、私自身は未だその黄系統の色は見たことがない。中心部の子房が急速に伸びるので花期は短い。いったん種が飛び散ると他の雑草を寄せ付けないほどまで旺盛に繁殖する。


5月24日(月)

【思ったこと】
990524(月)[日記]反論は個人メイルではなくHPでという意味


 5/22の日記でとりあげたこの話題については、その後もさまざまな方々がご自分の立場を日記の中で表明されておられた。

 この話題は私が言い出しっぺでないし、それぞれの方の表明も私の日記に反応したものではない。それを承知の上であえて誤解を解くために言わせてもらうが、、私が5/22の日記で言いたかったことは
批判や反論は受け付けない。そういうメイルは読まずに捨てる。
では決してなかった。5/22の日記にちゃんと書いてあるように
反論をするならば、私個人に対してではなく、不特定多数の目に触れるようなHPの上で、責任の所在を明らかにしたうえで堂々と反論してほしい。
という趣旨であったのだが、一部のセンテンスだけが誇大に受けとめられてしまったのはたいへん残念であった。

 で、なぜ、個人メイルではなくてHPで反論してほしいのかと言うことになるが、これもちゃんとその続きに書いてある。あえて再録するならば
  • 1つは、いま述べたように反論をするならちゃんと責任の所在を明らかにしてほしいということ。個人的なやりとり、特に匿名者からのメイルではこの点が曖昧になりやすい。
  • もう1つ、ネットの本質として、HP開設者と読者は「一対一」の関係ではなく、「一対多」になっているということも個別的な応答を難しくしている。反論をする人は1人を相手にメイルを書いていればよいけれど、それに答える側は相手が10人なら10倍、100人なら100倍の時間と労力を要するものである。
ということであった。

 HPを立ち上げて責任の所在を明確にして反論するならば、そう支離滅裂な文章は書けないだろうし、誹謗・中傷にあたるような表現があれば他の読者からも猛反発をくらうことになる。個人メイルに比べると感情的な対立が生じる危険性がかなりの程度で押さえられる。

 さらに、こちらから再反論をする場合でも、そのHPの過去ログを参照することで、反論者の意見がどういう文脈で出てきたものなのか理解することができる。これに対して、単発型・断片的な反論メイルだけでは、その見解の背景が見えてこない。

 こうした私の考えに対して
  • 反論をウェブ上でしようにも、インターネットを利用している全ての人が自分のホームページを持っているわけではありません。
  • その日記の筆者に読まれていない一方的な読者、HPを持っていない読者は批判の手段が無いのではないか。
というような意見を述べられた方が複数おられた(←これらの方は、私の主張の趣旨をよく理解してくださった方であるとも言える)。

 もし、ネット上でHPを開設することに多額の経費や手間がかかるというのであれば、おっしゃる通りであろう。しかし、少なくともEメイルで批判や反論を送れる環境にある人であったら、メイルを書く手間とHPを開設してそこにファイルを転送する手間とはそれほど変わらないのではないだろうか。

 じっさいメイルを出せる人は、何かしらプロバイダに加入している人のはずだ。メイルだけ使えてHPが作れないなんていうプロバイダがそんなにあるとは思えない。まして、匿名で批判や反論を送って来られるひとは、実に手の込んだことをする。私が、批判メイルは読まずに捨てる(←厳密に言うと、スクロールしない範囲で画面に表示されている文字ぐらいは目に入るかもしれない)ことを決めたのは、以前、血液型性格判断がらみで送られてきたある中傷メイルがきっかけであったのだが、そのメイルなどは、発信元が分からないように、匿名アドレスサービスをしている海外の会社を二重に使って発信するなど実に手の込んだことをやっていた。そういう手間をかけるぐらいなら、HPの開設なんぞ朝飯前であるという気もするのだが。[ちなみに、フリーのHPスペースを探しておられる方は、タダものではない!というサイトがオススメだ。]

 このほか、HPに反論を書いても元の日記と比べて読者が少なければ不公平になるのでは、という意見もあるかもしれない。しかし、もともと個人メイルで反論を送るのであれば、その内容は相手一人にしか伝わらない。HPに反論を書いてそのurlを伝えていただけるならば、元の日記の作者のほか、通りすがりや固定読者など少なくとも個人メイルよりはたくさんの人の目にふれることになるはずである。

 だいぶ昔、新聞の全面広告で一方的な主張を展開することに対して、反論権をどう確保するかという議論があったように記憶している。全面広告の掲載は莫大な経費がかかる。お金の無い人は反論できない。それでよいのか、それとも新聞社の側で独自に反論のスペースを提供するべきかという議論であった。しかし、ネット上ではそのような心配はあまり無いのではないか。反論を転載することと、その反論が記されたページへリンクをはることは、殆ど同等の意味をもつ。もともとネット上での議論では地位、職業、年齢などへの配慮は不要。「自分は無名でHPを立ち上げても読んで貰えないから個人メイルで反論します」なんていうロジックはどう考えてもおかしい。

 余談だが、ここまで「議論」、「反論」などと述べてきたけれど、私はもともとネット上での議論は淡泊であるべきで、何かの合意をめざすのは不可能であろうと考えている。このことについては、昨年11月から12月頃にじぶんの考えを述べたことがある。フリーサイトのため別窓で広告が出ますが、参考にしていただければ幸いです。
【ちょっと思ったこと】
  • 5/24の朝日新聞の「どうする日の丸・君が代法案」の連載の中で社民党の照屋参院議員が“「定着」なら法制化不要”と書いておられたが、もっともなことだと思う。前から思っていたのだが、「国民の間に慣習として広く定着している」から「法制化が必要」というロジックは自己矛盾しているように思う。法制化を主張するのであれば、「十分に定着しているとは言えない」ので「法律で義務づけや尊重をさせる必要がある」から法制化すべきだという議論を展開すべきであろう。

  • 5/25の朝日新聞によれば、仙台地裁は24日、東北大の助教授(45)に対して元大学院生に対するセクハラの事実を認定し、750万円の支払いを命じたという。「地位を利用して性的関係を強要された」という訴えに対して「両者に教育上の支配従属関係があった」ことを認めたものであるが、加害者の地位権限の乱用行為をセクハラと認定したのは初めてであるという。

     この種の事件は一般にセクハラとして扱われてしまうけれど、本質的には「性的関係強要」の部分とその手段であった「地位権限の乱用行為」の部分は区別して考える必要があるように思う。このうち「性的関係強要」は明らかにセクハラであるが、地位権限の乱用はむしろアカデミック・ハラスメント(いわゆる「アカハラ」)と言われるタイプのものだ。例えば、男性教授が男子学生に対して、本人の自発的申し出が無いのに研究と無関係の趣味本のワープロ入力をさせたり私的移動の運転手をつとめさせた場合、セクハラとは言わないがアカハラであることは疑いない。

     こうした問題は、特に博士課程レベルでおこりやすいように思う。というのは、博士課程の入学(あるいは進学)の可否は、たいがいの場合、指導教授の判断だけで決まるからだ。これはまかり間違えば縁故入学もおこりかねないし、またどんなに優秀な学生であっても教授に見捨てられれば入学もできないし、仮に入学しても学位をとれないという不公平をもたらしかねない。そこには常にアカハラがおこりうる危険がひそんでいる。

     博士課程の教育は専門性が高いため指導関係の透明性を確保するのは容易ではないが、助教授にも学位審査の権限を与えるなどして複数教官による指導体制を可能にし、かつ指導内容について日常的に外部評価を受けるなどのシステムが確立すればいくらか改善につながるのではないかと思う。
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【5LDKKG作業】
大雨のため特に作業無し。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】