じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ウコンザクラ。漢字では「左近の桜、右近の橘」の「右近」と書くのかと思っていたが、園芸書では「鬱金桜」となっていた。この場合の「鬱金」は、ショウガの仲間のウコンのこと。ウコン色とは、ウコンの根茎で染めた鮮やかな黄色のことだという。なお、4/20夜に三日月(実際は月齢4)と一緒撮影した写真がこちらにある【期間限定公開終了】。


4月20日(火)

【思ったこと】
990420(火)[一般]ソウカイに出ろと言われても

 市議選の宣伝カーの騒音にうんざりする毎日だが、この季節、選挙とは別に、「○○総会」の案内が次々とやってくる。PTA総会、町内会の総会、少し先には社団法人日本○理学会の総会などが予定されている。それぞれ開催の趣旨は理解できるけれど現実には形骸化、委任状をとるだけの儀式に終わっているような気がしてならない。

 町内会の総会などが良い例だ。もし本当に全員の出席を求めるならば屋外のグラウンドか体育館でも借りないかぎり人を収容しきれない。最初から公会堂の2階で開くなどというのは、住民全員の参加を想定していないからだ。代わりに委任状だけはきっちり集めに来る。

 社団法人日本○理学会の総会のほうはもっと現実味に欠ける。現在の定款では通常案件の定足数は600名余り、重要案件の議決は約4000名だというが、全国の会員が仕事を休み、高額な交通費と宿泊費を払って集まってくるとは到底考えられない。けっきょく大部分は委任状、あとは東京近辺の会員だけが請われて出席することになる。

 本来、総会というのは構成員全員が出席し自由に意見を述べあい合意を形成していくために設定されたものである。しかし、その人数が100人、200人と増えていくと、限られた時間・空間の中では一部の人しか意見が言えなくなり、個々人が影響を及ぼす度合いも微々たるものになってくる。結局、長たらしい挨拶を聞くという拘束だけが待っている。

 それにも関わらず毎年総会が開かれるのはなぜだろう。極端に言えば、それは後から文句を言わさないための最も効果的なセレモニーだからだ。一部の出席者だけでで物事を決めてしまうと、あとから不満が続々と出てくる。ちゃんと委任状をとっておけば、それだけ決定の拘束力が高まるし、文句が出ても「じゃあ、あの時なんで出席しなかったんですか。文句があるんだったら、あの時ちゃんと提案して支持を集めればよかったでしょう。」という形で押さえることができる。

 ではどうすればよいのか、と言われても対案があるわけではない。ネットの発達した現代なんだから、会員の発言をダイレクトに他者に伝える方法も多様に設定できると思う。ネットに頼らない場合でも、地域別、分野別の小規模の集まりが日常的に開かれ、そこでの討論の結果が全体に反映されるようなシステム作りが必要だ。あとは、執行部の暴走をくい止めるための独立監査機関、情報公開、リコール制度の確立ということだろうか。より行動分析学的な視点から言えば、個々人の能動的な「参加行動」に対してこまめで確実な結果を与えるような制度を保証するということになる。そういや、まもなく行われる学長選挙についても同じことが言えるかも。
【新しく知ったこと】
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【生活記録】
【5LDKKG作業】
  • 昼食後、スイカ、メロン、キュウリの苗を植える。夕刻は、二十日大根と小松菜の間引き。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】