じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] スミレの群生。一般教育棟構内にて。これだけの規模の状態を自然のまま保つのは困難だろう。どなたか、保護をされているのだろうか。


4月14日(水)

【思ったこと】
990414(水)[心理]カウンセリングに頼らない生き方が基本

 就職や入学でストレスが増える時期なのだろうか。このところ、「カウンセリングいたします」といった広告が新聞紙上や折り込みチラシで目につくようになった。昨日見ただけでも、「精○対話士」、「○教占星術カウンセリング」など...。このほか、朝日新聞家庭欄でも「王様の耳」という連載が始まっている。悩み事はあるが、親兄弟・親友には恥ずかしくて相談できない。そういうニーズが宣伝を活発にしているのであろう。

 しかし、この日記でも何度か書いたように(例えば、昨年4月17日の日記参照)、カウンセリングとかカウンセラーについてはいろいろな誤解がある。
  • 1つは、カウンセラーを、医師や看護婦(士)のような国家資格の1つであると思ってしまうこと。私のところにも、「ここに入学したらカウンセラーの資格が取れますか?」という受験相談の電話をしてくる高校生が居るけれど、そもそもそういう資格が無いのだから答えようがない。確かに、「○○カウンセラー」というように、カウンセラーの前に特定名称を冠して資格要件を定めている場合もあるけれど、「カウンセラー」という名称自体は資格でも何でも無い。誰がどのように名乗っても、商標を侵害しなければ詐欺罪に問われることはないのだ。「認定された資格」というのも、それぞれの団体や宗教団体が独自に作成した基準に基づいて認定をしているだけにすぎない。カイロプラクティックなんかと同様で、腕の良い人も居れば胡散臭い人も居る。事前に十分に調べてから相談に行く必要がある(←もっとも、事前に十分に情報収集ができるぐらいゆとりのある人は相談に行かないかも...)

  • もう1つは、カウンセラーを増やせばイジメも不登校も暴力もみんな無くなってしまうかのような過度の期待をいだくこと。もちろん、学校や職場でのカウンセリング体制は不十分であり、もっと人員を増やす措置を講じることは必要であると思うけれど、1000人の生徒が通う学校に配置するカウンセラーを1人から2人に、あるいは2人から3人にと増やせば、それに反比例してあらゆる問題が解消するというものではない。
 3月17日の日記にも書いたように、精神的な悩みをかかえて相談に来る人の数というのは、相談を受ける側のキャパシティに大きく依存してくる。“来談者が増えすぎれば、診療のクォリティも下がらざるを得ない。となると、継続的に相談に来る学生も減ってくる。しかし、ある程度減れば、またまたクォリティが向上して再び来談者の数が増える..”というイタチごっこのようなものである。4/14の朝日新聞家庭欄「王様の耳」の記事(原宿カウンセリングセンター所長・信田さよ子氏担当)の中には
カウンセリングを求めるのも一つの手です。私たちは、苦しんでいる人に共感し、免責と肯定を与えて支援します。
と書かれてあるけれど、このプロセスを実現するために1人の来談者に1人のカウンセラーが費やす時間は医師が患者を診断して処方箋を書くのに要する時間の何十倍もかかるだろう。1000人の生徒が通う学校に1人や2人のカウンセラーを常駐させることは、本当に深刻で放っておけば自殺してしまうようなごく少数の生徒の立ち直りのためには役立つであろうが、言ってみれば、感染源を断たずに伝染病にかかってしまった患者への救命措置に追われるだけで精一杯であって、根元的な解決には至らないように思う。

 では、どうすればよいのか。1つは、医療によける予防策と同様、精神的な悩みの発生源のうち、物理環境や集団内に起因するものを探り出し除去する(より積極的には、生きがいを与えるものを作りだし配置する)という日常的な点検作業を行うことだ。そのためには、そこで勉強(労働)する人たちの行動に対してどういう結果を与える随伴性が配置されているのかをしっかり把握する能力が、現場の教師や責任者に求められる。

 もう一つ、これもアナロジカルな主張になってしまうけれど、風邪を予防するためにうがいをしたり手を洗ったりするように、あるいは成人病を予防するために適度な運動をしたり深酒を慎むのと同じように、精神的な意味での健康管理も、まずは自力できっちりと維持していくことであろう。具体的には、自分がどういう行動をしているか、それに対して外部からどういう結果が与えられているか、自分の行動に対して自分自身でどういう言語的な強化をしているか....などなど。

 サービス過剰の時代、お金さえ払えば、どんな問題でも誰かに解決してもらえるような錯覚に陥りがちであるが、本来、どんな病気も自力で治すのが基本だ。特効薬を与えて治すと言われるような病気も、本当は、「特効薬」という毒を体に与えて自己治癒力を活性化して治すようなもので、日頃から自己治癒力を整えておかなければ効き目が少ない。

 私の周囲にも、自分一人では不安を解決できないような人が複数居る。そういう、本当に助力を必要としている人たちの来談時間を奪わないためにも、安易な他者依存は禁物だ。敷居を高くして、せっかく相談に行こうと決意した人の足をひっぱる気は毛頭ないけれど、カウンセリングは天の助けではない、自力で判断し自力で生きるためのちょっとしたヒントをもらう所である、ぐらいに受け止めていくべきであろうと思う。
【ちょっと思ったこと】
  • 18時すぎに車を運転していた時、NHKラジオで建築リサイクルの話を取り上げていた。建築産業について10%、20%、40%、50%という数字が示されていた。メモをとっていなかったので記憶は不確かだが、10%:労働人口に占める建築関係者の比率、20%:生産性、40%:全資源に占める建築関連の消費率、50%:ゴミ全体に占める建築関係の廃棄物、という数字だったと思う。岡大周辺でも数カ所で住宅の取り壊しが行われているが、廃材をすべて不燃ゴミとして埋め立ててしまうのはまことに勿体ない。昔は、大黒柱や壁土はリサイクルされ、特に壁土などはリサイクルするほど品質が良くなったという。途中までしか聞いていないのでどういう方策が示されたのか不明だが、100年使える住宅、リサイクル可能な資材の活用、省エネルギーに配慮した構造ということに気を配ってほしいと思う。
【生活記録】
【5LDKKG作業】
  • 忙しくて一度も立ち寄れず。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】