じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 木蓮と桜(4/11撮影)。小学校5年生の時に在校生として卒業生を送った歌は「木蓮の花咲いてる庭で靴の紐を直してくれた6年生....卒業だ」という歌詞だったと思う。小学校に入学したばかりに親切な上級生が靴の紐を直してくれたという意味なので、ちょうど今の季節のことを歌っているものと思う。もっとも今の時代、紐を結ぶような靴を履いて登校する児童は居ないかもしれない。


4月12日(月)

【思ったこと】
990412(月)[教育]352名の受講希望者から130名を「当選」させたわたし

 月曜日から前期の授業が正式に始まった。今週は、月曜が一般教育「こころの科学」、火曜日午前中が学外非常勤講師、午後は「心理学研究法2コマ」、水曜が「大学院特殊講義」、木曜が「ガイダンス科目:行動科学入門」と3、4回生のためのゼミ2コマ、金曜が「大学院演習」、ほかに博士課程学生のための個別指導というように、毎日1コマ以上の授業がある。今年度から、夏休みが1カ月遅くなって8、9月となり、前期の授業は7月末まで一気に行われることになった。この長丁場を何とか乗り切りたいものだ。

 きょうは、まず1限目から一般教育教養科目の「こころの科学」が始まった。一般教育科目は昨年度までは、それぞれの授業を受けられる学部が限定されていたのだが(私の授業の場合は、文学部、医学部、歯学部3学部)、今年度からは制度が変更され、どの学部の学生も「自由に」受講科目を選べるようになった。

 もっとも「自由に」選べるといっても、各教室の収容人員には限界がある。朝8時40分に教室に向かってみたところ、教室内はもちろん、廊下にも希望者があふれ出し、マイクの声も通らない大混乱になっていた。私自身の学生時代、数学の森毅教授の開講時にも同じような大混雑があり、床にしゃがみこんで授業を受けたことを思い出した。私が受け持つ授業では、もちろん初めての体験である。

 今回の新制度では、受講生が多すぎる場合は、まず教官が授業の概要を説明して希望の意思を確認したあと、受講カードを集めて抽選するというように定められていた。しかし、こんな状況では概要を説明しても廊下の学生には聞こえない。そこで
  • とりあえずカードに学部、氏名等を書かせ、提出した学生はいったん廊下に出て未提出の学生を教室内に入らせた。
  • 全員の提出を待ってから、今日壇上でカードをかき回し、130枚分を抜き取って抽選終了。あとで調べたら全部で352枚のカードからの抽選だった。
  • 抽選に外れた学生の名前を読み上げる(外れた学生は別の教室に直ちに移動して、別の授業の抽選に参加する)。
  • 次に、残った学生全員を教室内に入れ、当選者の名前を読み上げて、返事をした者だけを受講生として確定した。
この新制度、どの学部の学生も好き授業を選べるという趣旨は良かったのだが、今日のような混乱のもとでは、貴重な講義時間を1コマ分減らし、学生側にも初っぱなから無用な消耗を強いた可能性が大きい。

 今回の抽選が公平にできたかどうかちょっと考えてみた。
  • 一人の学生が2枚以上のカードを提出した可能性→「当選」しても、事後のチェックで同一人のカードが2枚以上見つかった場合は受講許可を取り消すものとしたので避けられたと思う。
  • 同一人が、複数の友達のカードを代筆した場合→最終的に点呼したので、とりあえずチェックはできていると思う。但し、代筆者の「代返事」までは防止できなかった。
  • 上記と関連するが、同一学生が友達に代筆を、月曜日1コマ前の受講枠を確保するために複数科目の抽選に参加する。その後、「当選」した科目の中からいちばん好きなものを選ぶ。→これは、他教官のデータと照合しない限りはチェックできない。
 今回の混乱は、私の授業が特別人気があるためではなかった。あとで、聞いてみた話では、どこの教室が満杯で、中には公平な抽選は困難と判断して、通常の授業では使わない大教室に教変更し、400人以上の希望者全員に受講を許可した教官もおられたという。おそらく、前期の最初の授業ということだったので、「週の後半で抽選に外れてもよいように、とりあえずよさそうな科目を確保しておこう」という軽い気持ちから受講希望を出した学生が多いのではないかと推測している。となると、ここで130名を選んだものの、来週やってくる受講生は100人未満、ひょっとすると半減しているという可能性もある。学生に「自由に」科目を選択させるという当初の趣旨を活かせたかどうか、来週以降の受講状況を待って判断したいと思う。
【ちょっと思ったこと】
  •  昨日の日記で、他人所有の土地を通過する権利についてちょっと書いたところ、あんくるさんと野猿さんから情報をいただいた(4/12夜までにいただいた分)。

     野猿さんによれば、これはいわゆる「囲繞地通行権」と呼ばれるそうで、こちらのサイトを教えていただいた。

     あんくるさんからは、地籍について詳しい情報をいただいた。その一部を引用させていただく(改行は長谷川が変更。文字化け防止のため、マルつき数字も変更させていただいた)。
    ... で、戦後の地籍調査が始まってますが、ド田舎(山の中)と都会の執行が遅れています。ド田舎は、必要がないからです。ダム事業などで山を買収すると、大体、公図の1.5〜2倍になります。売る気のない土地は、固定資産税がかかるだけですから、昔の地主は面積の過少申告を意図的にしたようです。
     都会の場合、都会にいつの間にかなった場合がややこしいです。昔の農家に、それほど土地の私有の観念はありませんでした。ですから、例えば耕耘機が必要になったとき、田んぼをつぶして畦道を拡幅しましたが、誰も公図の修正なんかしません。で、地籍を調査することになると、もめます。
     古い地積図では形は無意味ですから、元の畦道を復元することは不可能です。したがって、
    1. 現状を追認する、
    2. 当時の記憶を証言として、例えば「幅半間だった」、として境界を確定させる。 のような方法が採られます。
     もっと大変なのは民民の境界で、例えば垣根の場合、誰が植えたか、とかで、垣根の真ん中か、そのどちらか寄りか、っていう問題が生じて、大もめします。
    どうもありがとうございました。岡山大学近辺は、細い道が多く、対向車が来た時に苦労することが多い。突然道が細くなって車が通れなくなったり、1mにも満たないような散歩道もある。昔から住んでいる人の話を聞くと、このあたり一体はもともと一面の田んぼだったそうだ。宅地化される段階で、持ち主が道路のことを配慮せずに切り売りし、買い手が最大限に自分の敷地を広げ、さらには代替わりで隣地との人間関係が疎遠になったために、今のような状況が生まれたのだろう。大げさに言えば、ムラ社会型の「ええよ、ええよ」型の分かり合いが、地価高騰による利権と都市型の権利確定主義に取って代わられた結果であると言えるかもしれない。
【5LDKKG作業】
  • 朝から夜まで授業、会議などのためとうとう1度も寄れなかった。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】