じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
八重の紅梅。農学部農場にて。岡山県北部には大雪警報が出るなど相変わらず寒い毎日が続いているが、季節は確実に春に向かっているようだ。 |
【思ったこと】
990212(金)[心理]価値の起源と創出について思うこと(1) ちはるさんが2/10付の日記で野田先生の集中講義のメモとして「自分の生きる価値は自分で作らなくてはならない」という話題を提供しておられた。私の手元にもアドラー心理学とか野田先生のご講演を紹介した御本は何冊かあるがまだ勉強が足りないので、ここでは私なりの立場から「価値」の問題について考えを述べてみたいと思う。 私は「価値」の基本は「好子出現(正の強化)の随伴性」にあると考えている。要するに「行動し、それに伴って好子(正の強化子)が出現する」ことが価値の実現であるということだ。もっともこれは私のオリジナルの考えではなく、B・F・スキナーが何冊かの著書の中で表明している考えである。スキナーの考えについては、最近では1月31日の日記で .....人間の幸福が、「Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. 正の強化子を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動すること」.....(訳は佐藤方哉訳、行動分析学研究、1990, 5, p.96)というように引用した。この発想からまず言えるのは、 価値は、物そのものではない。行動と一体となって生み出されるものである。ということだ。この点について「行動分析学は、好子(正の強化子)そのものを価値であると考えている」という批評があるが、これは間違い。仮に好子が無限に氾濫していて何をしなくても手に入る環境があったとしても幸福は実現できない。好子は、行動の結果として随伴しない限りは価値として機能しないのである。 このことを前提にした上で次に問題となるは
きょうは時間が無いので、このうちの1.の生得性好子について簡単にふれておきたい。生得性好子というのは、行動分析学の教科書では「他の好子と対提示されなくても好子である刺激、出来事、条件のこと」(杉山ほか『行動分析学入門』132頁)として操作的に定義されるが、実質的には、食物、水、性的刺激など、個体維持や繁殖に有用な刺激がこれに相当する。 生得性好子は本来、無条件に価値をもたらすものである。というか、個体維持や繁殖に有用な刺激が好子になるような種が進化の過程で結果的に生き残ったとも言える。にも関わらず、少なくとも現代社会では、生得的好子は必ずしも第一義的な価値とはならない場合がある。これはなぜだろうか?
次回は、習得性好子と価値との関係について考えてみたい。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】 |