じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ミニシクラメン。行きつけの花屋(岡山西警察横)で2鉢100円で売っていた。 |
【思ったこと】
990110(日)[心理]痴ほう介護と心理学(1)問題と方法 1/10の朝日新聞に、厚生省の研究班が試算した「65歳平均余命と平均自立期間」の表が載っていた。全国平均で、男性の余命は16.48歳、女性は20.94歳。また、介護を必要とせずに生きられる「平均自立期間」は、男性14.93歳、女性18.29歳となっていた。 これより前の1/7の朝日新聞(大阪本社)のトップでは、痴ほう性老人が150万人を超すと言われるなか、厚生省が痴ほう介護について研究するセンターを設置することを決めたと報じている。これまで、平均寿命や平均余命の長さばかりに関心が向けられていたところがあったが、同じ長生きするにしても、現役として活躍できる期間がどのぐらいある、その後の自立が難しい期間がどのぐらいあるのかを知らなければ老後の計画も立てにくい。介護保険の算定や特養施設のニーズを知る上でも重要な資料となるであろう。 この1/7の記事によれば、設置される研究施設は全国3箇所で、「特別養護老人ホームやグループホームに併設され」るということ。また、テーマは、「痴ほうの早期発見方法や進行を遅らせる環境、介護のあり方などについて実践的に研究する」ということであったが、このなかで少々気になることが2つあった。 1つは、そもそも何を対象にするのかということ。1/7の記事を読んだ限りでは、生活環境の影響、具体的には、人生経験を話し合う、音楽療法、動物飼育などの活動が痴ほう老人に与える影響が検討対象であるというが、問題は何に対する影響なのかということだ。「痴ほうを遅らせる」と言っても、脳の生理的な機能そのもの影響なのか、自立的な行動の保持をめざすのかによって、測り方が違ってくる。脳機能そもののが客観的に退行しても、自立的行動を保てるという場合もあるだろう。また、そもそも自立行動の形成をそれ自体目的とするのか、それとも何か別の目的を達成するための手段としてとらえるのかによって、研究の進め方が変わってくる。 もう1つは、検証の方法である。1/7の記事では、特定の療法の効果についての評価がこれまでは「客観性に乏しく再現性がない段階」(長谷川和夫・聖マリアンナ医科大学長の話)であったと指摘されていた。また記事の中では、「自分のできる役割を与えられるグループホームのほうが、身の回りの世話をすべて家族にやってもらう家庭生活よりも痴ほうの進行が遅い」と言われている点について、「これは経験的にいわれていることで、理論的な裏付けはない。」と指摘されていた。 ここで問題となるのが、どういう方法でそれを検証していくかということである。ともすれば、医学的な研究は、新薬の効果を検討する実験のように、実験群と対照群を設け、各群の平均値に有意な差があるかどうかという統計的検定に基づいて有効性が判定される。しかし、こうした平均値の群間比較だけが唯一の客観的な検証手段ではない。 痴ほうの進行は個々人によって多種多様であり、またその個々人に対する働きかけの内容も一般的抽象的に論じることはできない。たとえば「動物を飼育することの効果」と言っても、ネコを飼うのか、犬と散歩をするのか、家畜の世話をするのかでは内容は全く異なる。動物が好きな人もいれば触るのが嫌な人もいる。そのうちの1つの飼育法だけを対象にとりあげて、「すべての痴ほう老人において、動物飼育は痴ほうの進行を遅らせる効果があるのか」と論じるようなことはできない。「平均化された痴ほう老人集団」への効果ではなく、あくまで、個別的なレベルでの具体的方法の効果を蓄積し、どういうケースではどういう方法が有効かを見極める知識を増やしていくしか無いように思う。 こうした個人本位の行動の変容を客観的に検証する方法としては、単一被験体法というものがある。ところがこの方法の意義と適用の仕方が意外に知られていない。これは統計的検定についての教育の不十分さからきているのかもしれないが、何でもかんでも集団の平均値をとって有意差を出すことがすべてであるように考える悪癖があるように思える。これを機会に単一被験体法の意義と正しい適用法についても考えていきたいと思う。 ということで、次回以降に続く。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【夕食後の夫婦の散歩 since 980906】
体脂肪測定計つき体重計を買ったのを記念して、別日記に以降しました |
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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