じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 欅の絨毯。文学部西側。奥の山は半田山。 [今日の写真] 解体の朝を迎えた旧・将校集会所。先月の旧・第四喫茶建物に続いて、本日よりこの建物の解体工事が始まった。以前に岡大構内の戦跡めぐりツアーに参加したことがあるが、その時に解説をしてくださった角田茂氏の案内資料によれば、“見習士官・少尉以上の幹部の部隊内クラブ。庭園を備え、日支事変出征記念と彫った石燈籠が残る。”とある。なお、同じ資料によれば、現在の文・法・経三学部構内は、もともと第17師団の輜重兵第17大隊(工兵第10大隊のち同第10連隊)の兵営になっていたという。

昨日から当日朝の日記

12月11日(金)

【思ったこと】
【ちょっと思ったこと】
[Image]
  • この間購入した新車の代金を払うため貯金を引き出す。これだけの札束を手にするのは一生のうちに何回あるだろうか。記念に写真をとった。先日来、「ストーブに火をつけるのは何故か」というタイトルで好子(正の強化子)出現と嫌子(負の強化子)消失の違いを問題にしているけれど、こうして実際に1万円札の札束を眺めても、あまり般性習得性好子であるとの実感がわかない。少なくとも私の場合、札束は数字の変化のシンボル、つまり、通帳の残高がゼロに近づき、そのことによって別の好子の獲得が困難になったという弁別刺激としてしか機能していないようだ。

  • 12/11の朝日新聞によると、岩波映画が10日、負債総額約12億円をかかえて自己破産を申し立てたという。岩波映画の作品は学校でも何度か見たと思うが、私の記憶が正しければ、私が子どもの頃、八幡製鐵提供の「みんなの科学」というモノクロ番組が毎夕あり、これを制作していたのが岩波映画ではなかったかと思う。あの番組は、私が科学的な物の見方、特に実験とはこういうものかということを知る上で大いに役に立った。あの番組が無ければ私は科学少年にはならなかったかもしれないと言ってもよいぐらいだ。

  • 政府は11日、日債銀を一時国有化する方針を決めたという。日債銀と言えば、日本不動産銀行から名称を変更した頃に、アルバイトで貯めた資金を「リッシン」として預けたことがあった。私の記憶が正しければ、その頃は、国債が8.7%、関西電力社債が9%、郵便普通貯金が4.32%、そして日債銀が扱っていた「リッシン」は確か8.5%ぐらいではなかったかと思う。先日、銀行スーパー定期0.15%に対してMMFは0.755%もあって如何にお得かという広告があったけれど、20年前とはエライ違い。
    当時私が日債銀を選んだ理由は単純だ。京都の下宿から自転車で河原町通りを南下していくと、最初に行き当たるのが御池通りのあたりにあった日債銀京都支店であった。リッシンでもリッチョーでもリッキーでもみんな利率はいっしょだったので、いちばん近いところを選んだにすぎなかった。これもいまの時代であれば、もうちょっと慎重になっていたところだろう。
【新しく知ったこと】
【生活記録】
[Image]
 午後は年休をとって、新車代金支払いを兼ねて夫婦で買い物ツアーに。14年目の冬を迎えた石油ファンヒーター(左の写真。ナショナルOH-306)が設定温度に達した後に点火を繰り返す症状が出てきたので、まずその買い換えから。石油ファンヒーターというのが一般的に長持ちするものなのかどうか不明だが、これまでの功績をたたえて再びナショナルを買おうとするが、近くのホームセンターで、コロナのFH-A47Yが現品限り1万円引きの14800円というのを見つけ、そちらに心変わりする(ちなみに、今まで使っていた物は当時39800円で買ったと記憶している)。昨年の在庫品処分かと思われるが特に問題は無し。10年以上長持ちするだろうか。

 そのあとオー○バッ○スにタイヤチェーンを買いにいったが、チラシの商品の品揃え無し。店員の親切な応対で腹も立たなかったけれど、いったいどういう売り方をしているのだろう。
【夕食後の夫婦の散歩】------83日目(妻は79日目)[娘は3日、息子は3日]。ピカチュウ万歩計で4680歩。----
農学部農場〜文学部往復。昼間年休をとったため仕事がたまり、私だけ研究室まで行き22時過ぎに戻る。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】