じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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ナンテンの赤い実と時計台。 |
【思ったこと】
981119(木)[一般]ネット上での議論は可能か 獅子座流星群の日記ばかり拝見しているうち、日記猿人界では、ネット上での議論を巡って小規模ながら意見が交わされている模様。 HP上での論争に関しては9/26の日記で私の考えを述べたことがあるけれど、今回は、主としてネット上の掲示板における議論が話題となっているようだ。掲示板の発言とレスの付け方をツリーモードにしたほうがよいか、発言順の追記型にしたほうがよいか、あるいは全く別の配列・表示方式が可能か、などなかなか興味深い問題がありそうだ。 もっとも、仮にそういう改善がなされたとしても、「議論」にまつわる根本問題はあまり変わらないように思う。従来の学会年次大会のシンポやパネルディスカッションであっても、対立的な意見が建設的な方向で収束し価値ある結論に到達するなどということは、現実にはほとんど不可能ではないかという気もする。少なくとも私自身はそういう体験したことは一度もない。 学会のパネルディスカッションなどたいがいの場合は時間切れとなり、結局は言いっぱなしに終わってしまう。ネット上の場合は、執拗に自己主張を繰り返す人が現れて他の参加者がうんざりして手を引いてしまうか、時間がたつにつれて末梢的な部分へのこだわりが強まり、結局自然消滅してしまうか、どちらかであろう。 『新明解』によれば、「議論」は [ある問題に関し][何人かの人が]自説の陳述や他説の批判を相互に行い、合意点や結論に到達しようとする△こと(やり方)。と定義されているようだが、根本的に立場の異なる人が短時間の議論の中で創造的な解決を見いだすなどということがありうるかどうか疑問である。あるとすれば、それは「利害は対立するが争えばそれ以上の不利益を生む」という状況のもとで何らかの妥協点を求める場合、もしくは、もともと1つの目的のもとに結集した人々が、テクニカルな問題の解決のために知恵を出し合うような場合に限られるものと思う。 では、立場が異なる人たちが議論することは全く無意味なのかといえば、必ずしもそうとは言えない。批判し合うことで自分の弱点があらわになれば、その補強の努力を通じて、より整合性のとれた理論が構築できる場合もある。聴衆も、対立点がより明確になる過程で新しい情報を収集することができる。少なくとも私自身がシンポやパネルディスカッションを聞きに行くのは、単に自分自身の研究に役立つ情報を収集に行くためであって、そこで結論が出ることなどハナから期待していない。結果的に非難の応酬になっても、その過程で価値ある情報さえ得られれば、私は参加したことは後悔しない。 対立する理論が議論の場を通じて合流、発展することはまず無いのではなかろうか。ただし、議論で論破されなくても、妥当性や有用性を欠く理論は、結局は、競争の中で自然に淘汰されていくものであろうと思う。 <11/20追記>現在知られている無料掲示板サービスはこちらのサイトから容易に知ることができる。11/20朝の時点では、MKボード系12、ツリー系4、タウン系10、オリジナル系24となっている。 この日記のメイン掲示板である「お互いを更新する掲示板」はこちらからこちらにリニューアルされました。使い勝手はどんなものでしょうか。それと、旧掲示板のログを保存されたい方はお早めにどうぞ。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【夕食後の夫婦の散歩】------61日目(妻は59日)。ピカチュウ万歩計で2743歩。----
妻がくたびれていたので、以前住んでいたアパート〜農学部農場内を一周するにとどめた。戻ってから妻と一緒にアパートの下で双眼鏡(FUJINON 7×50)を使って星を眺めた。 この双眼鏡、ヘール・ボップ彗星記念の懸賞でメーカーからもらったものでたいへん性能がよい。木星の衛星や土星の輪もチラリと見える。きょうは空気が澄んでいたせいもあって、天頂付近にあるアンドロメダ大銀河がとてもよく見えた。 |
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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