じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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10月29日(木)

【思ったこと】
981029(木)[一般]Eメイルでは伝わらなかったこと
 心理学関係の知人K氏の告別式に参列するため急遽、大阪方面まで行ってきた。まだ30代半ば、10月から新しい大学に転任して張り切っておられただけに、たいへん残念な死であった。
 間接的に聞いた話では、10/18に転任先のアパートで急に倒れ、一人住まいだったため何とか自分で救急車を呼んで病院に運ばれたが、懸命の治療の甲斐なく、10日目に急性肺炎で亡くなられたのだという。

 K氏とは某研究所の共同利用で知り合って以来、かれこれ10年以上のお付き合いになる。これまでにシンポジウムでの講演や学術誌への原稿執筆依頼など、4〜5回ほどお世話になったことがある。また先方からも下原稿についてのコメントを依頼されたことが何度もあった。じつは現時点でも、私が編集を引き受けている某書籍の分担執筆を3章分もお願いしており、原稿の修正のさなかにあった。

 ところが、思い返してみると、K氏とはこのところずっと直接お会いしたことがない。学会年次大会でのすれ違ったときの挨拶程度を除けば、いちばん最後に会って話をしたのはおそらく4年前、岡大で地方学会のシンポが行われた時に指定討論者をお願いし、講演後に大学近くのレストランでお食事をした時ではなかったかと記憶している。

 K氏との唯一の交流手段はEメイルであった。最初の頃はFAXも使っていたが、双方のネット環境が整備されたことでその必要も無くなった。ちょっとした依頼の場合も、論文の原稿へのコメントも全部Eメイルのみで用が足りた。

 じつは、これはK氏と私の間に特異的なことではない。たとえば夏頃に、私を含めて3者の共訳本が出版されたが、その筆頭者のA先生とはもう5年以上お会いしたことが無い。翻訳に必要な訳語の統一作業とか印税の割り振り、献本先の協議などもすべて3者間の同報メイルでこなしていった。

 K氏から最後にもらったEメイルは、編集者としての私からの修正加筆依頼に対して、「返事が遅れて申し訳ございません、期限に遅れてしまいましたが、郵送できました」、というような数行程度の内容だった。10/14付けだから、倒れる4日前に出されたものだった。私の方は、他の出版作業にも追われており、K氏はたぶん転任直後の雑用で忙しいのだろう程度にしか気にとめていなかった。もしかすると、すでに体調を悪くされており、期限に遅れたことへのお詫びの気持ちをこめて必死にキーを打ったのかもしれない。鈍感な私は、この行間のメッセージを読みとることができなかった。
 
 葬儀に同席していた友人代表のC氏もまた、K氏とはここ数年は直接会ったことがなく、やはりEメイルのみでやりとりをしていたそうだ。せめて電話で直接声を聞いていればもう少し様子が分かったのに...というのが、C氏と私が得た共通の教訓であった。

 今回の訃報自体もまた、Eメイルで配信されてきたものであった。それを読んでしばらくは、何かのいたずらではないか、あるいは全くの誤報ではないかではないか、と到底その内容を信じることができなかった。
 出棺の直前、ご遺族・ご親族以外の一般の参列者にも最後の対面の機会が与えられた。白い菊の花を棺の中に捧げながら安らかなお顔を拝見した時に初めて、K氏はやっぱり亡くなられたのだとやっと信じることができた。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
【夕食後の夫婦の散歩】------41日目。妻の歩数で2720歩。----
 大学でやり残したことがあったので、まず車で大学まで行き、一緒にアパートの近くまで歩き、私だけ研究室まで歩いて引き返した。よって私自身は5000歩程度。
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】