じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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10月23日(金)

【思ったこと】
981023(金)[一般]「匿名サイトの気軽さと、はかなさ」その後
 10/20の日記で、血液型性格判断に関連して、研究者の実名をあげて批判活動を行っている複数の匿名サイトのことに言及した。その後、そのうちの1つであるゴールデン血液型倶楽部を拝見したところ、10/22の更新日付のTopページから「と学会本の事実誤認」とか「血液型別情緒曲線」など、研究者の実名が多く登場する「作文」が削除されていることが分かった。それらのファイルはすでに私の手元にセーブさせていただいてあるが、決して「研究者の方々そのものを個人攻撃するもの」にはなっていなかったと思う。私が求めたのは、実名をあげて批判するなということではなく、フェアな論戦をするのであれば、ちゃんと名乗り出て欲しいということであったのだが、あるいは、そこまで関わりを持つよりは、気軽な匿名の立場から、差し障りの無い?範囲で「心理学者たちによる血液型性格関連説研究の「なんか変じゃのう」というポイントをチクチクいびる」ことに徹するというおつもりなのだろうか。その後の更新を見守りたい。

 もうお一人のABO-FANの方のほうは、長谷川さんのページへの感想の末尾のほうで10/20の日記の内容に「反論」しておられたが(10/22付け)、こちらのほうの方の反論のロジックには、いつもながら率直に言ってうんざりしている。要するに自分自身の体系性をもったロジックが無いということに尽きるのだが、今回の指摘に対しても“【匿名を続けることについての】私の理由については、ここにはあえて書きません(笑)。ただし、「実名を隠し続け」ている人の数は否定論者の方がずっと多いのです。”といって論点をそらしている。そういえば、以前に“自己紹介も無いままにたくさんの心理学者に一方的に質問メイルを送ったところで、返事をもらえないのは当然ではないだろうか”と書いた時にも、“自己紹介がなかった、という理由で返事をもらえなかったことは、今までに1回もありません。”などと同じパターンの反応を示しており、匿名のままで実名をあげて批判活動をしたり質問メイルを送りつけることの是非、あるいは匿名サイトと実名サイトのあいだでフェアな議論ができるのか、といった本質的な問題については何一つふれていない。

 匿名問題は別としても、私がこれまでに書いたこと(資料集に収録)をちゃんとお読みいただければ、このShozoさん(←と呼んでほしいらしい)がいろいろ掲げている設問?のかなりの部分は、すでにそれ自体意義を失っているということにお気づきになるはずなんですがねえ...。ま、この方の個人的な知的好奇心を満たすためだけに懇切丁寧に説明するつもりはありませんので、分らなければそれでも構いませんが...。

 いずれにしても「○○ちゃんがやっているから自分も」、「○○ちゃんが言っているのでそうした」、「あなたがそんなことするならワタシもそうする」なんていうような他者依存型の反論はヤメて、ロビンソンクルーソーになっても展開できるような体系性のある論理に基づいて批判活動を続けてもらいたいものだと思う(あっ、もちろん、正体も明らかにしてネ!)。
※「ロビンソンクルーソーと科学的真理」については改めて取り上げる予定。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
  • 10/24の朝日新聞学芸欄で荻野アンナ氏。「『〜的』の使用例」についての興味深い話題があった。もともと「的」は、中国語(確か「タ」というような発音だったと思う)で、名詞に添えることでその語を形容詞化する働きをもつものだったと思っていた(たとえば「偉大的○○○主席」というような表現)。しかし、三省堂の『新明解国語辞典第五版』』によれば「そのものではないが、それに似た性質をもつ」「何かに関する」「何かの範囲で行う所の」「....としての」などの意味を表し、「の」の意で用いられた宋元の俗語を英語の-ticの訳語として拡充したものということらしい。
    確かに私の学生時代には、「反動的」「徹底的」「戦闘的」...というように学生運動の立て看板に「〜的」とつける習慣があったようにも記憶しているが、いまふうの「場所的には」とか「わたし的には」などという言い回しは決してなかった。
    少し前には「日記な人」というように「〜な」をつける流行もあったように思うが、いまはどうなんだろうか。ま、手っ取り早い方法は、いろんなWeb日記のなかで「〜的」「〜な」という言い回しがどのぐらい現れているかをチェックすることなんだろうが、どなたか時間のある方にお願いしたいところだ。
【東京で見たこと、感じたこと(11)松蔭幼稚園への階段】
[Image]
 これは、40年ほど前に私が幼稚園に通っていた時に上った階段だ。右側の崖や柵は補修してるが、階段の石そのものは40年前と変わらない。ただし、なぜか「危険・立ち入り禁止」となっていた。実際にはこの上にあるのは松蔭神社で、そこから境内を通って幼稚園に向かった。大人の足ならば10分たらずの道のりだが、幼稚園の時は30分以上かかっていたように思う。そして、どの坂も、ものすごく急に見えた。
 なお、松蔭幼稚園はだいぶ昔に閉園となり、その敷地にはいまは世田谷図書館が建っている。
【夕食後の夫婦の散歩】
  • きょうは妻に運転してもらって、夕食前に整形外科に行った。骨のレントゲン写真は異常なし。やれやれ。ということで今日も散歩なし。
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • 日本長期信用銀行は23日、「預金などの払い戻しが停止する恐れがある」との文書を提出、小渕首相は同日、特別公的管理を決めた。
  • 坂本弁護士一家殺害など2つの事件で計4人に対する殺人罪に問われた岡崎一明被告(38)に対して、東京地裁は23日、死刑判決(求刑:死刑)を言い渡した。
  • 10/24の朝日新聞学芸欄で木原勝彬氏:理念に流れず現場主義で「政策形成型」育てよう。公的サービスの提供を目的とする自己充足型のNPOと政策形成主体としてのNPOに大きく二分されていくとの見通し。