じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】
981016(金)[心理]性同一障害と性転換手術 報道によれば、埼玉医科大学は16日、性同一性障害の女性患者に対する性転換手術を国内で初めて開始したという。今回は子宮・卵巣の摘出と尿道の延長、約半年後に患者自身の皮膚などを使って男性器を作るのだという。 この問題はいろいろ考えさせられる点が多い。じつは、私が一般教育の授業で使っている『行動分析学入門』(杉山・島宗・佐藤・マロット・マロット, 1998, 産業図書, ISBN4-7828-9030-3)は、第1章の冒頭からいきなり「私は男にうまれてきた女」という仮想の逸話が紹介されている。この本では、女性への性転換を希望する男性が、行動分析的な手法、さらには、女性のヌード写真へのペニスの勃起を誘発するためのレスポンデント条件づけを受けることによって「男性らしさ」を取り戻すというプロセスを通じて、条件づけの種々の技法の事例の一部を具体的に紹介しているわけであるが、ともすれば「同性愛は修正すべきもの」との固定観念を助長する恐れがある。じっさい、正式版に先立って2度にわたり改版された暫定私家版では、批判を含むさまざまな意見が寄せられたという。著者たちの見解は、同書の343ページ〜346ページに詳しく述べられている。 この事例については日本語版作成の段階で削除や変更も検討されたそうだが、結果的にもとの英語版と同じストーリーのまま残された。その主たる理由は 一見、生得的に決まってしまって変容の余地がないと思われがちな行動にも、実は習得的なものがあるということ。そして、それは我々の発達段階のわりと早い時期の行動随伴性によって決まってくるという事実である。こうした行動は、強化や弱化の随伴性を工夫することで変容できるかもしれないし、できないかもしれない。[p.346]ということを伝えたかったためであるという。また、根本的には「性的行動を変容すべきか否かについては、その個人の選択行動を尊重すべきである」というのが著者たちの主張であるとされている。 しかし、これでもまだ考えるべき点は多い。いま「個人の選択行動を尊重すべきである」との主張を紹介したが、行動分析学的な視点を貫くならば、個人の選択行動自体、その個体をとりまく行動随伴性によって決定されていくのであるから、個々人のレベルではそれで構わないとしても、社会全体の問題として考える時には、「個人の自由意志に委ねる」では済まされない問題が残る。 同じ日のニュースでは、全国の河川の2/3(←記憶は定かではない)から何らかの環境ホルモンが検出されたという。仮に精子数が減ったからといって、直ちに男性の女性化が進むというのは暴言かもしれないが、何らかの形で女性志向の男性が増える可能性には対処しておく必要がある。かりにそういう人たちが、現実にトイレとか入浴などで生活に支障をきたし、最終的に性転換手術を望んだ場合、常に「個人の選択」だけで片づけてよいものだろうか。 このほか、性同一障害とは全く別問題ながら、少子化問題も同じジレンマをかかえていると言ってよいだろう。これについては機会をあらためて考えてみることにしたい。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【東京で見たこと、感じたこと(6)小学館の学習図鑑】
私の愛読書だった小学館の学習図鑑。ほかに、昆虫図鑑、理科実験の図鑑、魚図鑑があったが、昆虫と魚は行方不明。私が特に好きだったのは、植物、昆虫、動物、理科実験で、ヒマさえあれば眺めていた。こういう育ち方をしたから、今でも植物や昆虫に興味をもっているのだろう。 この図鑑はかなり息の長いものらしく、古本屋で自分の子供に買い与えたものさえある。ただ、最近の改訂版と違って、昔はすべて手書きの絵で紹介されていた。その分記憶に残りやすかった。 シリーズ第一号の植物図鑑は、初版が1956年。子供に買ってやった1960年の第12版は350円という価格になっていた。 |
【夕食後の夫婦の散歩】------33日目。妻の歩数で4028歩。----
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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