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9月12日(土)

【思ったこと】
980912(土)[一般]イソップの話をどう解釈するか
 9/9の日記でとりあげた「ブドウ園の三人兄弟の話」について、ぴったんこさん裏日記で、あれがイソップの話だとは知らなかったというようなことを書いておられた。私もだんだん自信が無くなってきて、イソップワールドというサイトの付設の掲示板に質問を書き込んだところ、さっそく主宰者のはなまさんから詳しい情報をいただいたので御紹介させていただく。
さて、ブドウ園の三人兄弟の話についてのご質問ですが・・・・
確かに、これは、イソップ寓話集の中に収められている話です。

しかも、これは、正当派イソップ寓話集に属するもので・・・・・
恐らく、紀元前300年頃までには、すでに、世間に流布していた寓話であると思われます。

ちなみに、現在日本では、

岩波文庫「イソップ寓話集」山本光雄訳
シャンブリ番号 83番 「百姓と彼の息子たち」

中公文庫「新訳イソップ寓話集」塚崎幹夫訳
シャンブリ番号 83番「農夫と息子たち」

に収められております。

この話は、イソップ寓話の中では、かなり異質な存在であるように思われます。

一つは、この話が動物寓話ではないこと・・・・・・
もう一つは、見かけ上の教訓と、実質的な教訓が別であるという点です。

イソップ寓話の場合・・・・反面教師的な寓話と、奨励的な寓話の二つのが一般的に考えられます。

反面教師的な寓話とは、例えば「兎と亀」のように、満身していると、たとえ実力が上であっても、負けてしまうぞ。というような教訓となります。

一方奨励的な寓話とは、「北風と太陽」のように、太陽が北風に勝つという事例から・・・・
相手に強く当たるよりも、優しく接した方がよい。というような、奨励的な教訓を与えることになります。

では、「ブドウ園の話」を見てみますと、これは話としては、大変面白いのですが、教訓は何か?と考えてみますと判然としません。この寓話の最後に添付されている教訓からしますと・・・

「この物語は、骨折りが人間には宝物である、ということを明らかにしています。」

となっていますから・・・そのように解釈すればよいのですが・・・・
しかし、この息子たちは、宝物に目がくらみ、畑を堀返しているだけなのです。・・・・
しかし、その結果として、葡萄の収穫・・・・という宝物を本当に手に入れてしまうのですから、教訓としては・・・・しっくりとは来ないのです。

もし、本当に働くことを促す教訓を与えるとするならば、「アリとキリギリス」のような話の方が適切なのです。

つまり、この「ブドウ園の話」は、父親の賢さを称える話である。というように、思えるのです。つまり、下世話な表現で申し訳ないのですが、「馬鹿と鋏は使いよう」というような教訓が・・・・実質的な教訓のように思えるのです。

このような・・・・見かけ上の教訓の裏に、実質的な教訓が隠れているというような話は・・・・
筆者の知る限りでは・・・・「ブドウ園の話」以外はないようです。(もちろん意図的に隠しているというようなことではないとおもいます。)

それにしても、これほどよく出来た話なのに、日本ではあまり知られていないことが・・・・
不思議でなりません。
 なるほど、さすがイソップワールドを開設している方だけあって、博識に加えて鋭い読みをしておられると感服した。また、何はともあれ、あの話がイソップの話であって一安心。

 で、これだけでは転載日記になってしまうので、私自身も少し自分の視点から「ブドウ園の話」と「北風と太陽」のことをとりあげてみようと思う。

 まず、きっかけとなった「ブドウ園の話」のほうだが、これは、行動分析学的に言えば「付加的な強化随伴性」の典型であろうと思われる。いっぱんに、行動の成果が、時間的に遠く離れていて、それを実現するための個々の行動に確実な結果が伴っていない時は、なかなかやる気が起こらないものである。そこで、行動の本質的な結果(ここではブドウの収穫)とは無関係な別の強化子を人為的に付加してやるわけだ。このような形であれ行動が高頻度で持続すれば、最終的には、本質的な結果であるブドウが出現し、以後はそちらのほうで強化されていくことになる。
 これは言ってみれば、算数教育の初期の段階で、ドリルの枚数とか、進度が早いことへの表彰といった強化を付加することで、結果的に算数の勉強を促進させる技法とよく似ている。算数というか数学は、一定以上勉強を重ねれば、本質的には面白い学問なのだ。とはいえ、九九とか3桁以上の計算問題などにはあまり面白さは感じられない。そこで、暫定的に、算数の勉強行動を付加的強化子で強化してやれば、最終的には数学好きの子供を作ることも可能になるという仕組みだ。とすると、ブドウ園の父親は優秀な行動分析家であったというのがこの話の教訓、ありゃ、これでは、「父親の賢さを称える話」であるという点で、はなまさんと全く同じ解釈になってしまった。

 もうひとつの「北風と太陽」の話だが、これは行動分析学的に見れば、次のようになる。
  • 目的は、コートを剥がすこと
  • 北風は、物理的な力でコートを吹き飛ばそうとした。これは結果的に、「コートをしっかり押さえる→寒さの出現を阻止」という「嫌子出現阻止の随伴性」によって、目的とは正反対の行動を強化していることになる。
  • 太陽は、「コートを脱ぐ→暑さを除去」という「嫌子消失の随伴性」によって、「コートを脱ぐ」という行動を強化したことになる。
 旅人が自発する「コート脱ぎ」行動を強化したという点で太陽は立派な行動分析家であるということになる。いっぽう北風は、旅人の自発する行動を強化できないばかりか、目的とは逆の行動(服を押さえる)の出現頻度を高める確立操作(いわゆる「動機づけ」)をしてしまったという点で、行動分析家としては失格であったということになる。

 なお、太陽が旅人に行った強化は、いっけん旅人に優しく接したように思われがちであるが、実際は、旅人に「暑い」という不快感を与え、その不快を除去する逃避行動を自発させたにすぎない。そういう点では、太陽は罰的制御を用いて行動を引き起こしたということにある。北風と太陽の唯一の違いは、コートを剥がすという目的を達成するために、旅人が自発する行動を利用したか利用しなかったという点にある。

 では、上記の場合で、あくまでポジティブな行動制御にこだわるならばどうすればよいか。暑すぎることのない快適な温度のもとで、例えば道の途中に古着屋のテントを作り、「どんなに汚いコートでも○○円以上で高価買い取り」なんていう看板を出したとする。これによって、旅人がコートを売りにくればOKだ。ただし、これはお金という付加的な随伴性で行動を制御したにすぎない。
 あるいは、道の途中に露天風呂をつくっておく。日本人の旅人ならば、服を脱いで(つまりコートも脱いで)風呂に飛び込むであろう。しかし、これでは教訓になりませんなあ。
【ちょっと思ったこと】
  • クリントン大統領の偽証および権力濫用疑惑に関して、11日にスター独立検察官が下院に提出した捜査報告書の本文がインターネットを通じて公開された。期間限定の感想はこちら
【新しく知ったこと】
【夕食後の夫婦の散歩】第7日目:妻の歩数で2480歩。
  • きょうはいつもの、「昔のアパート→粗大ゴミ集積所→大学の農場」のコース。両輪ともパンクしていない自転車が捨ててあったが、鍵がかけられており、盗難品の恐れもあったので持ち帰らなかった。ほかの旧型のパソコン一式、ソファ、ラジカセなどあり。
  • きょうは夕顔が5輪咲いていた。
  • 話題は娘の将来の話。私が娘に「この頑固者め!」と言ったことについて、そういうことばかり言っていると、父-娘関係が良好に保たれず、けっきょく変な男と一緒になって家出してしまうことになると妻が主張。
  • 私の方は、いろいろな女性日記作者を例にあげて、ま、家出したって幸せになっている女性もいるんだから、ケセラケセラだなどと反論。
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • 米国務省当局者は11日、先月31日に北朝鮮が発射した弾道ミサイルは、小型の人工衛星を軌道に乗せようとしたが、失敗したという結論を得た」と述べた[9/13 朝日]