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昨日の日記

3月23日(月)

【思ったこと】

980323(月)
[日記]時事ネタを扱う日記について
 日記読み日記で何度かとりあげさせていただいたように、ニュース日記さんが、まもなく日記を終了されるとのこと。私がWeb日記を読み始めた昨年4月の頃には、時事ネタをとりあげた日記はまだ数が少なく、「スクラップブック」を執筆していた私としてはよきお手本となっていた。

 このニュース日記さんが、3/22付けの日記で
私のように日記でまでニュースを取り上げているものが言うのも変ですが、当事者にしかわからないようなことを、第三者があれこれと詮索して、識者ぶって偉そうな意見を垂れるは本当に無粋なことなんです。
と書いておられた。もちろんこれは日記の途中の部分からの引用であって、最終結論ではないわけだが、日記猿人登録番号160番、長年ニュース日記を執筆しておられた方の御発言だけに、重みを感じる。

 たしかに、新聞記事などというものは、記者や編集長による報道内容の取捨選択の過程を経て伝えられたものであるだけに、仮に事実であったとしても、注目すべき点が微妙にずれてしまうことが多い。誤報もあれば、見出しの活字の大きさも各紙によって微妙に異なる。そして上の指摘にもあるように、時事ネタというのはその背後に当事者しか分からないような事情が必ずいくつか潜んでいるものだ。となると、時事ネタというのは元来限りなくフィクションに近いノンフィクションにすぎないのかもしれないと思う。

 では、そういう記事にコメントを加えて日記として発表することは無意味なのだろうか。いや、私は、大いに意義があることだと思う。
 新聞などで報じられた範囲の時事ネタであっても、それにコメントすることで、その人の物の考え方がよく分かるようになる。万が一、あとになって誤報であることが分かっても、その時にコメントした内容の価値が無に帰すということはないと思う。
たとえば、先日、30年後に小惑星が地球に大接近すると報じられたが(13日の日記参照。17日に追記あり)、国際天文学連合(IAU)の「衝突可能性わずかにあり」という当初の報道だけを信じて自分の考えを書くと、「小惑星衝突までの人生をどう生きるか」というとんでもない日記になってしまう。しかし、そこで示された作者の人生観、世界観は、「衝突可能性なし」と訂正報道があったあとでも、何ら無価値になるわけではない。

 極端に言えば「ロミオという男性が、仮死状態にあったジュリエットが本当に死んだものと勘違いして自殺。仮死状態から醒めたジュリエットもロミオの後を追って自殺。」というフィクションについて自分の考えを述べるのと、伝えられた報道内容に対して考えを述べるのと、コメント内容の価値という点では、本質的な差異はなかろうと思う。
 もともと、他人の人生観とか世界観などは抽象的に論じられても理解しがたいものだ。フィクションであれノンフィクションであれ、具体的な事例についての考えを述べることは、読者の理解を大いに助ける。また、本人自身にとっても、自分の考えの矛盾や弱点を克服するよい手段になるものと思う。

 昨日の日記に書いたように、時事ネタで扱われた内容が仮に100%事実そのものであったとしても、それは単なる偶然的な変動の結果であるかもしれない。より決定論的な観点からみても、同定できないほどの多数の原因の相互作用がその出来事を出現させたのかもしれないのである。
 しかしこのことは、何事が起こっても「すべて偶然という神様のなせる業です」と諦めてしまえ、と言っているわけではない。私が主張したかったことは、ある現実の出来事を少数の原因のみに帰着させることには無理がある、物事はそんなに単純に起こるものではないよ、ということである。もちろん、分からないことまで無理に説明しようとするとある種の宗教になってしまうので、基本は地道な努力に委ねられなければならない。ただ、その過程では、ただ「分かりません」を連発するのではなく、「こういう可能性もあるのではないか」、「この原因だったら操作可能だから改善に役立つよ」というように、クリティカルシンキングの精神(『クリティカルシンキング』、北大路書房)をもって柔軟な目で物事をとらえていくことが大切だと思う。
 何よりも避けなければならないのは、何でもかんでも持論に都合のよいように固定的に解釈することだ。最近の中学生の非行問題についても、個々の事例に特殊な要因を考慮せず、果ては「歴史教育に問題があるからだ」などと原因を固定化する人まで出てくるのは困ったことである(←それも意見の1つではあるが)。特定の価値観や倫理観を強制する単色の社会は、戦前の日本やナチスドイツの時代、旧ソ連や紅衛兵時代の中国などを見るまでもなく、決して良い方向には向かわない。Web日記を通じて、時事ネタについてのさまざまな物の見方が提示されることは、そういう単色化を阻止する大きな力にもなるだろう。
<追記>この内容について御意見をお持ちの方は、私あての個人メイルではなくて、あくまで御自分のホームページにそれを発表してください。個人的にメイルをいただいてもいちいちお返事は書けません。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
  • 3/24朝のNHKニュースによれば、京大霊長研のチンパンジー「アイ」が妊娠し、エコーで胎児の像が映し出されたという。順調に育てば、母親のアイが自分の子供に人工言語を教えるという画期的な実験ができるようになるかもしれない。もっとも、長年人工的な環境で飼育され、他のメスの保育場面を観察したことのないアイが果たして、自力で子育てができるかどうかは疑問だ。ちなみに、「アイ」という名前は、人工知能の「AI」をもじったものだ。
  • 同じ霊長類でも、ゴリラの「サルタン」は気の毒であった。3/24の朝日新聞によれば、サルタンは繁殖のため、上野動物園から京都市動物園に移送。23日にメス3頭と初めてじゃれ合っていたところ、わずか3分後に急に座り込み、急性心不全で急死したという。最も幸せな最期であったと言えないこともないが。
【リンク情報】
【生活記録】
  • 3/23大学構内で「ピーチクピーチクピーチク」という今春最初のヒバリのさえずりを確認。
【家族の出来事】
【スクラップブック(翌日朝まで)】