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1月29日(木)

【思ったこと】

980129(木)
[心理]最終回の授業で訴えたいこと(2)「自由意志」
 きのうの日記の続きで、1回生向けの一般教育授業「こころの科学」の授業の最終回でしゃべったことの回想。今日は「自由意志について」。
 行動分析学では、行動をレスポンデント行動とオペラント行動に分けます。レスポンデント行動にはそれを誘発する刺激が必ず存在し、それなしで生じることはありません。これに対して、オペラント行動は、生活体が自発する行動であって、行動の結果によって影響を受けるものです。

 ここから容易に推察できるように、レスポンデント行動は行動の結果によって変わるものではないため、罰することができません。人間社会の仕組みは、このことをちゃんとわきまえていて、周囲には望ましくない行動であってもレスポンデント行動であれば許容されます。
 例えば、先日のセンター試験の最中にセキやクシャミをしても、一定の限度内であれば試験妨害とは見なされません。同じ騒音でも、建物の外でバイクを暴走させれば妨害行為と見なされます。それは、セキやクシャミがレスポンデント行動であるのに対して、バイクの暴走はオペラント行動であって、罰を与えるて制止することが可能であるからです。
 例をもうひとつ。今日のような寒い日に薄着をすれば鳥肌がたちます。この場合、鳥肌が立った人をいくら罰してもそれを減らすことはできません。鳥肌は寒い外気によって誘発される一種のレスポンデント行動だからです。これをなくす唯一の方法は、部屋を暖め寒い外気を除去することです。

 さて、オペラント行動は自発するものであると言いましたが、「自発」ということは必ずしも「自由意志によって生じる」ということを意味するものではありません。大分県の別府に行くと坊主地獄というのがあります。ちょうどあれと同じようなもので、自由意志があろうとなかろうと、ボコッ、ボコッと生活体から自然に噴き出してくるものがオペラント行動だと思ってください。
 もっとも行動は、坊主地獄と異なって、その結果によって増えたり減ったりします。例えば、みなさんの家の近くに3つのスーパーがあったとします。Aという店に行けばスタンプがもらえる。Bという店はとにかく安売りの目玉がある。Cという店は、2階に貸しビデオ屋と本屋がある。このどれを選ぶかということは、長い目でみれば、必ず結果によって左右されていることがわかります。

 どれかの店を選ぶ直前には、身体の内部で何らかの感覚や気分の変化のようなものが生じるかもしれません。それを言語化したものが「意志」と呼ばれるものになるかと思われます。それゆえ私たちは、行動の直前に生じる身体内部の何らかの状態が原因となって行動が生じたというように錯覚してしまいます。しかし、長い目でみると、選択の比率が行動の結果に依存しているという結果に代わりはありません。そこで自由意志を仮定しようがしまいが、行動をコントロールしたり予測したりする上では何の影響を受けることもありません。

 時として人間は、明らかに損をするような行動をとったり、結果が同じでも特定の選択肢にこだわることがあります。しかしそれは自由意志の表れではなく、人間の行動の大部分が行動の直接の結果ではなく、行動とその結果を記述したルールによって支配されていることに起因しています。また物質的な結果よりも二次強化子としての言語刺激が強い効果をもたらす場合もあります。これらの場合も、自由意志の仮定は何の効力ももちません。もし行動を変えようと思ったら、その人のルール保持をささえている強化随伴性や、言語刺激の二次強化の連鎖を変更することが必要です。

 さらに考えて行くならば、「環境から完全に独立して自由に振る舞う」というような意味での自由は存在しません。いかに自由に振る舞うといっても、環境とのふれあいの中で働いている行動随伴性から逃れられることは不可能なのです。したがって、行動論的な真の自由を勝ち取るためには、ただ名目上好き勝手に振る舞うのではなく、むしろ自分の行動を制御していると思われる随伴性全体を把握し、それを承知の上で行動のバリエーションを考えていくことになろうかと考えます。
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※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
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