【連載】チコちゃんに叱られる! 除夜の鐘が広まったきっかけ、「煩悩を払う」を否定する宗派は?
12月26日(金)に初回放送され表記の番組についての感想・考察。この日は、『えー!?もう年末なの?パリオリンピックって今年だっけ?いやいや去年でしょ?そんなんじゃ万博もいつだったか忘れるよ?いいのいいの だって「年忘れ」っていうもんねスペシャル』という拡大版で放送された。取り上げられた話題は以下の通り。
- 日本中で大みそかに「除夜の鐘」を鳴らすようになったのはなぜ?
- 今年の漢字を清水寺で発表するのはなぜ?
- 【チコの部屋】区切るのソコかよ!クイズ!
- 「ひょうたん」がくびれているのはなぜ?
- 「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」 同じ発音のひらがながあるのはなぜ?「」
本日はこのうちの1.について考察する。
放送では、日本中で大みそかに除夜の鐘を鳴らすようになったのは、「NHKが目玉番組にしたから。」が正解であると説明された。除夜の鐘の歴史について研究している平山昇さん(神奈川大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 除夜の鐘が広まったのは昭和にはいってから。
- 『除夜の鐘』は、中国の禅寺で鬼をはらうため毎月末に108回鐘をついたのが起源と言われている。それが毎月末から大晦日になった。
- 除夜の鐘は鎌倉時代に日本に伝わり一部の禅寺では行われていたが、大正時代の終わりまでは庶民には浸透しておらず、有名寺院(寛永寺、清水寺、知恩院、善光寺)では鳴らしていなかった。
- 日本でラジオ放送が始まったのは1925年3月22日。開局直後は音楽番組、教養番組、ラジオドラマなどがあったが番組の数は足りなかった。
- 1926年に大正天皇が崩御し、大晦日をしめやかに送るという意味で12月31日の『京都日出新聞』(京都新聞の全身)に「除夜の鐘がしめっぽい」という記事が掲載された。
- この記事がラジオ関係者の目にとまったらしく、1927年12月31日東京放送局(現在のNHK)が初めての年越し番組の目玉として、お寺から鐘を借りてきてスタジオで108回鳴らした。
- 鐘は重すぎて運び入れられなかったので代わりに『磬子(けいす)』を108回鳴らした。
- スタジオにはニワトリも運ばれた。カゴを毛布で包んでおき、新年を迎えた瞬間にそれを外して電灯をあてて鳴かせようとしたが思い通りにはいかず、少し遅れて鳴いたという。
- 2回目(1928年)はスタジオに鐘を設置し108回鳴らし、最後にニワトリの鳴き声で新年を迎えた。
- 3回目の放送(1929年)は浅草寺から生中継をした。これが全国に広まったきっかけになった。
- その後ラジオの普及率は10年間(1925~1934年)で約8倍に急増し、多くの人が除夜の鐘に耳をすますようになった。
- 全国の寺院もこうして除夜の鐘を鳴らすようになった。
- 1953年にテレビ放送が開始されるとテレビ版の除夜の鐘がスタート。1955年には『ゆく年 くる年』に番組名を変えて今に引き継がれている。
ここからは私の感想・考察を述べる。
まず、私が子どもの頃には除夜の鐘は全国に広まっており、生家では近隣の豪徳寺の鐘が聞こえてきた。当時は夜中の12時を過ぎたあとで鳴らしていたと記憶しているが今はどうしているのだろうか。
今住んでいるところでは法界院がいちばん近い。ここの鐘は自由につくことができる。もっとも私自身は大晦日であっても21時には寝ているので、除夜の鐘を聞いたかことがあるかどうかは覚えていない。
ウィキペディアによると除夜の鐘を108回鳴らす理由については諸説あるという。
- 煩悩の数
人間の煩悩の数とする説がある[1]。眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
- 四苦八苦
四苦八苦の意味で四九(36)と八九(72)を足したものとする説がある[1]。
- 1年間
月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表すとする説がある[1]。
- なお、寺によって撞く回数は108回と決まらず、200回以上の場合などがある。
次に宗派による違いだが、ウィキペディアによれば、
- 除夜の鐘はもとは禅宗寺院の行事だった。しかし、後述のように昭和初期のラジオ中継を通して日本全国に広まったという。
- 浄土真宗の寺院でも除夜の鐘を撞く寺院があるが、真宗大谷派本山の東本願寺では「親鸞聖人の教えでは、煩悩を払うという考え方はしない」として除夜の鐘は実施していない。
- 本願寺派本山の西本願寺でも、鐘は法要前や平和を祈るために鳴らすものとしており除夜の鐘は実施していない。
と記されていた。念のためChatGPTに浄土真宗では煩悩をどう考えているのか尋ねたところ以下のような回答をいただいた。
結論から申し上げると、**浄土真宗にも「煩悩」という概念は明確に存在します**。ただし、その**位置づけと向き合い方が、他宗派(特に禅宗・天台宗・真言宗など)と本質的に異なる**ため、東本願寺では「煩悩を払う」という象徴行為としての除夜の鐘を行っていない、という理解になります。
以下、整理して説明します。
- 浄土真宗における「煩悩」の位置づけ
浄土真宗は、親鸞の思想を基盤とし、その核心は次の点にあります。
- 人間は**煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫**である
- 生きている限り、煩悩を断ち切ることはできない
- 自らの修行や努力(自力)によって煩悩を滅することは不可能
- そのような凡夫をそのまま救うのが、阿弥陀仏の本願(他力)
したがって浄土真宗では、
> **煩悩は「なくすべきもの」ではなく、「抱えたまま生きるもの」**
> と捉えられます。
- 「煩悩を払う」という発想を取らない理由
一般に除夜の鐘は、
- 人間には108の煩悩があり
- 年の終わりにそれを一つずつ打ち払う
という象徴的意味を持ちます。
しかし親鸞の立場からすると、
- 煩悩は鐘を撞いたから消えるものではない
- 「煩悩を払った」と思う心そのものが、すでに煩悩である
- 煩悩を克服できたと考えるのは、自己を過信する「自力」の発想
となります。
このため東本願寺は、
> 「煩悩を払う」という思想そのものが、親鸞の教えと合致しない
> という理由で、除夜の鐘を行っていないのです。
- 「煩悩即菩提」との関係
仏教全体には「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という思想がありますが、浄土真宗ではこれを次のように理解します。
- 煩悩がそのまま悟りに変わるのではない
- 煩悩にまみれた凡夫である「私」が、そのまま阿弥陀仏に救われる
- 救われる条件として、煩悩が減る必要はない
つまり、
> **煩悩を抱えた凡夫であることの自覚こそが、信心の出発点**
> とされます。
- 他宗派との違い(簡潔な対比)
| 宗派 | 煩悩への基本姿勢 |
| ----- | -------------------- |
| 禅宗 | 修行により煩悩を断じ、悟りに近づく |
| 天台・真言 | 修行と智慧により煩悩を転じる |
| 浄土真宗 | 煩悩は断てないと自覚し、他力に身を委ねる |
この違いが、除夜の鐘という行事の扱いにも反映されています。
- 補足:浄土真宗でも煩悩を「肯定」しているわけではない
重要な点として、浄土真宗は
- 煩悩を良いものと肯定している
- 煩悩のままで何をしてもよい
と教えているわけではありません。
煩悩に苦しみ、迷い、自己中心性に悩む存在であることを深く見つめたうえで、
> **それでもなお見捨てられていないという救い**
> を説いている宗派です。
- ## まとめ
- 浄土真宗にも**煩悩の概念は明確に存在する**
- ただしそれは「払う対象」ではなく、「凡夫であることの証」
- 東本願寺が除夜の鐘を行わないのは、親鸞の**他力思想・非修行主義**を徹底した結果* 「煩悩をなくす仏教」ではなく、**「煩悩を抱えたまま救われる仏教」**である
この点を押さえると、ウィキペディアの記述の背景が明確になると思います。
除夜の鐘が特定宗教の行事であるとするとNHKが毎年中継をするのは公共放送の精神に反するようにも思えるが、ま、除夜の鐘を聞く人たちの多くは仏教の教義や煩悩についてはあまり深くは考えておらず、町内会主催の秋祭りやクリスマスイベントと同じように習慣化しているだけかもしれない。
※私自身は一貫して無宗教。但し、各宗教の教義のなかに学ぶべきところがあれば宗派を問わずに受け入れていきたいとは思っている。また元日には三社参りをする予定。
次回に続く。
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