じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 昨日の日記で、道路標識の色に関連して、赤色の塗料はかつては色褪せしやすい欠点があった、と述べた。現在では改善されているというが、古い標識や看板などでは赤い塗料で塗られた部分や文字が褪色している例が見られる。

2025年04月23日(水)




【小さな話題】TIME 果てしなき時間の旅(1)時間と時刻、人生における主観的な時間の長さ

 2025年4月4日にNHK-BSで放送された表記の番組についてのメモと感想。ちなみに、この番組は3月9日にNHK-BS8Kで初回放送されたようだが、レギュラー番組とは独立しており、番組表を閲覧していてたまたま見つけて録画予約したものであった。レギュラーものであれば毎週録画に設定しておけば見逃すことはないが、今回の番組は私にとってはまったく唐突な放送であった。なおこの番組は外国で制作され日本語版として監修されたものと推定される。原題は、

●Time―a Journey Through Thousands of Years

監修は織田一朗、映像提供はZDF Studios。

 放送の冒頭では、私たちが常に秒刻みで時間に追われていること、文明の発達とともに時間にどのように影響を受けてきたのか概観された【以下、要約・改変あり】。
  1. およそ1万年前、人類は、農耕を始めた頃、いつ種を蒔くべきか、いつ収穫すべきか、正確な時間を知りたいと考えた。
  2. 日時計、水時計、機械式時計、というように私たちの文明は時間を知る能力とともに発展してきた。
  3. 時間を正確に知ることは私たちの生活をより豊かにするはずだった。しかしいつからか、時間は私たちを支配するようになった。
  4. なぜ時間に支配されるようになったのか? 過去から現在、未来へと進む時間、その歴史をたどりながら、私たちにとって時間とは何なのか、そして時間とどう向き合うべきかを探るのがこの番組の目的。


 放送では続いて、時間知覚(時間の経過の知覚)の話題が取り上げられた。時間の進み方は状況によって長く感じたり短く感じたりする。それは私たちが持って生まれた体内時計による時間感覚によって引き起こされる。子どもの頃は時間経過はとても緩やかに感じるが、歳をとるにつれてそのスピードはどんどん速くなる。5歳であろうと50歳であろうと、物理的な1年の長さは同じなのに年齢によって速さの感じ方が違う。
 19世紀、フランスの心理学者ピエール・ジャネは、年齢別に新しく経験することの比率が時間の長さの感覚に影響を与えると指摘した。
  • 生まれてから最初の1年間、新しく経験することの比率は100%
  • 20歳では5%【20年間のうち、20年目の1年間に新しく経験するのは5%という意味】
  • 40歳では2.5%

 このことに関して、社会学者のハルトムート・ローザは次のように述べている【要約・改変あり】。

私たちが新しい経験をするとそれは脳に刻み込まれ記憶に残る。しかし大人になると同じことの繰り返しが増え、新しい経験をすることが減るため、脳に刻まれる記憶も減る。そして時間が速く過ぎるように感じる。

 ここでいったん私の感想・考察を述べるが、上掲に限らず、番組全体を通じて「時刻」と「時間」が混同されているような印象を受けた。私が理解している限りでは、「時刻」と「時間」は以下のように区別できる。
  • 「カップラーメンに熱湯を注いで3分待つ」という「3分」はあくまで「時間」。いつ食べるのかという時刻は、昼であろうが深夜であろうが調理時間には関係が無い。
  • ある場所で何時何分何秒に日が昇るのかというのは純粋に時刻の問題。
  • 上掲で「いつ種を蒔くべきか、いつ収穫すべきか、正確な時間を知りたい」というのは時刻の問題。「種まきや収穫は秒刻みの瞬間ではないので『時刻』ではなく『日付』とすべきではあるが。
  • 物理的な『時間』は人間の存在と無関係に存在する。もっとも相対性理論のことは私にはよく分からない。
  • 『時刻』や『日付』は、「太陽と地球(地軸)の位置関係によってもたらされる四季の変化」という意味では人間と無関係に存在するが、人間同士が時刻を利用して面会時刻を約束したり集団で活動したりする場合は「時計合わせ」が必要。
    • どんなに正確な時計があったとしても、「時計合わせ」をしておかなければ、面会や開始時刻として利用をすることができない。
    • そういう意味では「時刻」とは、「時計合わせ」と「時計を合わせた瞬間からの経過時間」として定義できる。
    • 物理的な時間は人間と無関係に流れるが、地球の自転、公転、歳差が変動すれば1年の長さが変わってしまう【←専門的なことは分からないが、少なくとも自転速度は長期的に見れば次第に遅くなっているらしい。公転や歳差は巨大天体が地球に接近するようなことがあれば影響を受けるだろうが、可能性は皆無に近い?】。この場合、四季や雨期、白夜などの日付が変動すると人間生活に不便をきたすので、うるう秒挿入などで適宜調整される【←もっとも、地球温暖化などの影響は調整では解決できないが】。


 次に、ピエール・ジャネやハルトムート・ローザが指摘したように、主観的な経過時間(日数)の長さが新しい経験の量によって決まるという仮説は確かにその通りかと思う。但し、時間の長さは生まれてからの年数に単純に反比例するのではなく、結婚、子育てなどの新しい経験があればその時期は、若い時期よりも長く感じられるはずだ。私の場合について言えば、人生の主観的な年数の長さは

|   一桁代   |    10歳代    | 20歳代 |    30歳代    |40歳代|50歳代|60歳代|

となっていて、結婚や子育てのあった30歳代はかなり長く感じている。なお最近は加齢とともに年々、過去の記憶が減衰しており、10歳代や20歳代の出来事は次第に思い出せなくなってきた。そのぶん10〜20歳代の主観的な時間の長さも短くなりつつある。

 次回に続く。