じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4月3日朝5時台のNHKニュース『おはよう日本』で、

●NewsWEB 郵便番号 なぜ秋田が「01」東京「10」に?

という話題を取り上げていた。ネットで探したところ、よく読まれているというのはこちらの記事であった。

 そう言えば、郵便番号は、ほぼ北から順に割り振られた都道府県コードなどに比べると、郵便番号上2ケタの割り振りは秋田が「01」なのに隣の山形は「99」、沖縄が「90」なのに「91」は遠く離れた福井、というように一見不規則であるように見えるが、これまで深く考えたことがなかった。

 リンク先によれば、正解は、

●「郵便物の多さから、東京を起点として西まわりに九州まで割り当てられました。そのあとは大阪から青森までの鉄道郵便に沿って番号が割り当てられました

であるとのことだった。要するに起点は秋田ではなく東京であり、区分機が最も読み取りやすい「1」を先頭とした「10」から割り振られることになった。つまり秋田の「01」は起点ではなく、山形の「99」に続く「101」の下2桁「01」であったのだ。なのでその後は岩手の「02」、青森の「03」と続いて、北海道の「04」から「09」で終わる。なお一番小さい「00」も北海道に割り当てられている。これにより、全国で一番小さい数字の郵便番号は北海道札幌市北区北十条西の「001-0010」。一番大きい郵便番号は山形県遊佐町菅里一部の「999-8531」になっているという。

 いずれ『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられるだろう。


2024年4月4日(木)




【小さな話題】フロンティア『古代文明 同時崩壊のミステリー』と『海の民』仮説(3)大地震と疫病、歴史の周期性

 昨日に続いて、2月15日に初回放送(された、NHK『フロンティア』、

古代文明 同時崩壊のミステリー

についてのメモと感想。

 昨日記したように、
  • 古代DNA解析による『海の民』のルーツの分析→いろいろな地域からの寄せ集め集団である可能性
  • 文明崩壊の時期に干ばつがあったことの検証→鍾乳洞の石筍、地中の花粉から時代別の樹種を特定、特にオリーブの生育
というように最新の科学技術により、『海の民』のルーツや文明同時崩壊時の干ばつや飢饉の証拠が得られるようになった。

 放送ではさらに、文明崩壊の原因として、大地震と疫病の可能性が挙げられていた。

 エジプト・ルクソールにあるアメンヘテプ3世葬祭殿にはかつて東京ドーム8個分に相当する古代エジプト最大級の神殿があった。建てられたのは海の民襲来のおよそ100年前、紀元前1349年頃であった。復元工事の過程で、ブロックが南向きに傾いているエリアと北向きに傾いている絵エリアがあり、さらに液状化の痕跡が発見された。液状化した地層に埋まっていた土器から、大地震が起こったのは紀元前1200年頃、マグニチュードは6以上であると推定された。
 地震の痕跡は地中海の北側のミケーネにも残っていた。ここ数十年の間に発掘された人骨の中に、紀元前1200年頃に死亡した、頭頂部に多くの骨折のある頭蓋骨があり、大地震の犠牲となった可能性が示唆された。
 地中海北部からトルコ一帯には活断層があり、紀元前1225年から50年間の間に『地震の嵐』と呼ばれる連鎖的な発生によって次々と都市が破壊された可能性もある。

 災害が多発、特に飢餓が起きている時には人々は疫病にかかりやすくなる。エジプト・王家の谷で発掘されたラメセス5世(在位:紀元前1145〜1141年頃)のミイラには顔中に小さな膿疱があった。分析の結果、死因は天然痘であることが分かった。王墓と同時期には他の親族の墓も作られており、天然痘により全員が突然、同時に亡くなったことが示唆され、さらに国全体に蔓延していた可能性がある。

 以上の証拠から考えられる『海の民』誕生のシナリオとしては、

長期にわたる大規模な干ばつと飢饉、同時期に発生し数十年にわたって連鎖した大地震、一部の都市で発生した疫病、これらによって故郷を追われた人々が安住の地を探して移動を始めた。その中の一部の集団が都市を侵略、後に『海の民』と名づけられた。【長谷川により改変】

ということで、『海の民』は、移住者でもあり、侵略者でもあり、難民でもあった。文明同時崩壊の原因は、『海の民』と、同時期に多発した自然災害の複合によってもたらされたと考えるのが妥当なようである。

 青銅器時代は国際化された交易ネットワークによって繁栄していたが、そうしたグローバル化で、人々はネットワークの恩恵に過剰に依存していた。そのため一部の都市が崩壊しただけでも物資の流通が滞ってしまう。さらに、王制では上層と下層のあいだに格差があり、反乱の起こりやすい脆弱な体制になっていた可能性がある。いろいろな厄介事は順番に発生するのではなく『パーフェクト・ストーム』と呼べるように一気に押し寄せてきて文明崩壊をもたらす。人類の歴史上、殆どの社会は崩壊してきた。現代の社会が同じようにはならないとは限らない。

 放送の終わりのあたりでは、必ずしも絶望的とは言えないという願いを込める意味からか、文明崩壊を免れた当時のエジプトの対応が紹介されていた。その力となったのは農業であった。当時のエジプトでは、ナイル川を利用して、豆や野菜や穀物などを育てていた。しかし干ばつの影響でナイル川の6500km以上にわたり水位と水量が低下、約300年も続いた。家畜の骨を調査したところ、年老いた牛の骨が増えていたことが分かった。これは、家畜を食用ではなく耕作用に長く飼うようになったためと考えられる。このほか、収穫に使う鎌の数も増えており、特に小麦や大麦の穀物の栽培を拡大させていた可能性が示唆される。これらの作物は乾燥にも強い。こうした農業の変化で困難を乗り越えていった。

 放送の最後のところでは、2人の研究者から次のようなコメントがあった。
  • 【エリック・H・クライン ジョージ・ワシントン大学教授】文明が崩壊するかしないかが問題ではありません。崩壊の前、崩壊のあとに何を準備するのか、どうしたら止めることができるか、どう回復するのか、どう立ち上がるのか、それが大切です。
  • 【サリマ・イクラム カイロアメリカン大学教授】歴史は非常に周期的なものです。起きたことを繰り返すかもしれないし、それを止めるために何かできるかもしれません。


 ま、周期的な崩壊であればやむなしと考えることもできるが、地球規模の核戦争が起これば回復の期待は皆無。私の寿命が尽きたあとも人類の存続・繁栄が続くことを祈らざるをえない。