じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ふだん低脂肪牛乳を使ってヨーグルトを自家生産しているが、妻が買ってきた乳飲料(カルシウム340mg強化、希少タンパク質MBPが牛乳の2倍、炭酸カルシウム、乳化剤入り)が余っていたので、試しに同じ方法でヨーグルトを作ってみた。いちおう固まったが、写真のように固形分と透明な液体に分離していた。やはり「牛乳」でないとちゃんとしたヨーグルトは作れないようだ。
同じことは「低脂肪乳」についても言える。「低脂肪牛乳」と「低脂肪乳」は一文字違いだが、低脂肪乳でヨーグルトを作ろうとしても、液体のままで酸味も薄く、到底食用には適さないものになってしまう。


2024年4月2日(火)




【小さな話題】フロンティア『古代文明 同時崩壊のミステリー』と『海の民』仮説(1)

 2月15日に初回放送(された、NHK『フロンティア』、

古代文明 同時崩壊のミステリー

についてのメモと感想。
 ちなみに、『フロンティア』という番組は、2023年12月6日初回放送の『日本人とは何者なのか』が第1回、その後、AIや宇宙開発、東洋医学、アルツハイマー、西之島、古代文明などさまざまな話題を取り上げており、私もほぼ毎回録画しているが、中身が濃いため、なかなか視聴が追いつかない。それにしても、12月からの4カ月で12回分を放送するというのは相当のスピードである。最近では制作費削減のせいか、あるいは、番組スタッフが足りないせいか、『チコちゃんに叱られる!』や『ヒューマニエンス』などは毎週の時間枠が決まっていても、かなりの頻度で再放送を挿入してなんとかレギュラー化を維持している。この『フロンティア』はどうなっていくのだろうか。

 さて、元の話題に戻るが、古代文明の同時崩壊というのは、地中海東部で栄えたミケーネ(今のギリシャ)、ヒッタイト(今のトルコ、シリア)、エジプトの古代文明が、紀元前1200年ごろに、ほぼ同時に崩壊したことを意味している。念のためウィキペディアでそれぞれの古代文明について調べてみたところ、
  • ミケーネ文明
    ミケーネ文明は、紀元前1600年頃、南下したギリシア人の第一波とされるアカイア人によってアルゴリス地方で興り、地中海交易によって発展した。クレタ島のミノア文明との貿易を通じて芸術などを流入し、ついにはクレタ島に侵攻、征服したと考えられる。このころ、ミケーネはトローアスのイリオスを滅ぼし(トロイア戦争)、後にこれをホメーロスが叙事詩『イーリアス』の題材としたが、イリオスで大規模な破壊があったことは認められるものの、これが事実かどうかは推察の域を出ない。紀元前1200年頃、突如勃興した海の民、もしくはドーリア人によって、ミケーネ、ティリンスが破壊され、ミケーネ文明は崩壊したと思われる。また、内部崩壊説や気候変動説も存在する[3]が、はっきりとした事情は不明である
  • ヒッタイト
    は、紀元前1600年頃にアナトリアの北中部に位置するハットゥシャを中心とした王国を樹立する上で重要な役割を果たしたアナトリア人である。この王国は、アナトリアの大部分だけでなく、レバント北部と上部メソポタミアの一部を含む領域を領有していたシュッピルリウマ1世の下で紀元前14世紀半ばにその絶頂に達した。【中略】
    紀元前1190年頃、通説では、民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった
  • エジプト新王国
    エジプト新王国(エジプトしんおうこく、紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃)は、古代エジプト史における時代区分。エジプト第18王朝の王イアフメス1世が第15王朝(ヒクソス)を滅ぼしてエジプトを再統一してからの時代が新王国に分類されている。古代エジプト文明が最も栄えた時代であり、この時代に建てられた無数の記念建造物、文化遺産は現在に至ってもエジプトに数多く残されている。 【中略】
    エジプトのシリア支配は前進と後退を繰り返したが、やがてヒッタイトとの間に平和条約が結ばれるとやや安定した。しかし前12世紀末頃の「海の民」の移動に伴ってシリア地方が再び混乱すると、実質的な支配権は後退した。そして新王国時代末期には遂にエジプトのシリア支配は終焉を迎えることになる。
となっていて、いずれも『海の民』の侵攻が文明崩壊にかかわっていたように説明されている。

 もっとも、素朴に考えても、そのような『海の民』が当時の国家を滅ぼすほどの強大な力をもっていたとするなら、どこかに拠点となる都市を築き、チンギスハーンのような指導者が現れ、歴史に名を残すような別の文明を作っていたはずであるように思われる。
 ウィキペディアのリンク先にもその謎についていくつかの議論が紹介されている。
  • 紀元前1200年の前後5年間の間に発生した複数の文明の突然の終焉は、多くの古代の歴史家に海の民がヒッタイト、ミケーネ文明、ミタンニ王国の崩壊の原因となったという仮説を提唱させることになった。しかし、マーク・ヴァン・デ・ミエループ(コロンビア大学教授)らはいくつかの問題からこの説に反対している、
  • 別の仮説では、彼らの記録された名前に基いて、海の民はこの時代のギリシア人移住、或はギリシア語を話す侵入者("Ekwesh" はアカイア人、デネン人はギリシア人の古名である Dananoi に同定される)がきっかけとなって形成された人々であるとされる。
  • 考古学的な記録からは中央ヨーロッパやイタリア半島からきた人々が海の民の事件に関係しただろうと信じうる確固たる論拠を導くことができる。
  • 海の民の蹂躙により豊かな都市がいくつも崩壊されたのには疑いようがない。彼らはこの富を維持しようとはせず、遺構の上に低文化・経済水準の定住地を築いた。これはそれらの都市の象徴するものへの深い軽蔑を示す。
  • 文献や遺物の記録はギリシアとエジプトの国家が北や西からの傭兵を活用したと示している。これらの傭兵の集団が数多くの社会構造、特にギリシアや近東の硬直した国家構造を破壊するために土地の奴隷層と同盟したという可能性が出てくる。
  • 紀元前12世紀のいつごろかに、海の民の連合を見捨ててイスラエルの部族連合に入ったと考えてダン族を海の民の一つの "Danua" やデナイ人に比定する学者がある。このような比定は士師記にあるダン人とペリシテ人の根深い敵意を説明もするだろう。


 ということで『海の民』はいまだ謎に包まれているが、今回の放送では、最新の科学技術を用いた分析により、文明同時崩壊の複合的な原因がいくつか明らかにされた。この種の謎は、小説家の想像力ではなく、あくまで地道な証拠の積み重ねによって科学的に解明していく必要がある。この番組では、どのような科学技術ががどのような解明に繋がっているのかが分かりやすく解説されていた。

次回に続く。